氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢

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05.パーティはおそろいのコートで

 いよいよパーティ当日だ。今日に至る約1週間は、これまで以上に過酷だった。
 勉強の時間はさらに増え、とりわけ礼儀作法の講義はもはやオンサだけでは間に合わないと、新たな講師が何人も呼ばれスパルタでの特訓を余儀無くされた。
 そして3日前からは念入りなエステやマッサージまでスケジュールに組み込まれ、これがまたミラには酷く苦痛だった。臭い香油やぬるついた泥などをこれでもかと顔中身体中に塗り込まれたかと思うと、腕と足を力任せに捻じ上げられる。髪には薬草を潰した気持ちの悪い色の汁を何度擦り付けられたことか。

「完璧ですミラ様! お美しい!」

 ムフーッと満足気な鼻息を吐いてオンサは頬をテカテカさせているが、ミラは出発前から早くもぐったりしていた。

 しかし、新しいコートが米粒色でも毒キノコ色でもなくなったことにはまあ、それなりに感謝もしている。日数の足りない中で急な変更を強いてしまった仕立て職人には申し訳ないことをした。
 もっとも、体格詐欺のためのミラの妙案は残念ながらすべて採用されなかったけれど。しかもウエストを絞ったシルエットだけはオンサがどうしても譲らず、あまり男らしいとも強そうとも言い難い出来となっている。ミラのほうは上げ底靴まで諦めさせられたというのに、不公平ではないだろうか。



 やにわに屋敷の入口がざわめき始めた。セティアスが到着したらしい。今回は部屋ではなく玄関ホールでの出迎えだ。外には恭しいほどに重厚な馬車が停車している。
 ヴァルディール家のフットマンが馬車の扉を開くと、真っ黒な生地に最低限の金糸の飾り刺繍を施した、シンプルなコート姿のセティアスが降り立った。そして玄関口に立たされているミラの姿を目にし、わずかに目を見張る。

「…………ミラ、その格好は……」

 セティアスが思わず戸惑った理由は分かっている。ミラのコートもまた、セティアスと同じ真っ黒だったからだ。さらに同じく金糸の刺繍を奥ゆかしく光らせている。決して背中にドラゴンはいない。要所にだけ刺されたごく控えめな装飾がシックだ。
 いつものシュレイン家の人間が着用するパーティ用衣装としては、かなり地味と言えるかもしれない。とにかく飾り立てろ、目立ってなんぼ、という父グアロの好みが優先されて、ミラだけでなく5人の兄たちにおいても、これまでは華やかに煌びやかを足して余りあるようなけばけばしいコートやタキシードがあてがわれることが多かったのだが。

「……似合いませんか」

 ほんの少しだけ頬を赤らめて、ミラはじろりとセティアスをにらみ上げた。咄嗟に敬語が出たのはスパルタ講義の成果と言えよう。

「…………いや、……ああ」

 どっちだ! というツッコミはかろうじて飲み込む。斜め後ろには父も母もいるからだ。

「ああセティアス様! 本日は愚息を何卒よろしくお願い申し上げます! まだ記憶も戻らず本来ならば行かせるべきではないかと存じますのに……!」

 大袈裟に両手の指を胸の前で絡ませて、グアロは芝居がかったようなお辞儀をして見せた。
 そうなのだ。よくぞ父が今のミラにパーティへの出席を許可したものだと不思議に思っていたのだが、グアロは最初、何度も必死に固辞しようとしていたらしい。だがセティアスがミラの同行を希望して譲らなかったそうだ。
 さては1人で出席するのが心細いのだろう、とミラはほくそ笑んでやった。前回も壁の花(壁の染み?)としてパーティの輪に入れずにいたらしいから。ミラのことが好きだから……という理由では、多分無い、はず。

「よいなミラ! くれぐれも! 絶対に! セティアス様のご迷惑になることはするなよ! おまえは馬車に乗ったその瞬間から、一切口を開くでないぞ! 一切だ!」

「……ハイ」

 へーいでもハーイでもなくハイと答えられたのも、ミラにしては上出来だ。しかめた眉と尖らせた口はともかくとして。



 セティアスは、まじまじとまだミラの衣装を観察し続けている。自身のトレードマークのように言われているらしい黒をミラが纏っていることが、そんなに気に入らないのだろうか。
 だが仕方が無かったのだ。屋敷にストックされていた濃色のパーティ用高級生地が、真冬仕様のものと毒キノコ色を除くとあとはもうこの黒だけだったのだ。
 黒はセティアスの色だと躊躇するオンサの言い分を振り切ろうと、誰の色などということは無い、ゴキブリだって黒いじゃないか、と力説したときにはオンサに軽く叩かれた。ついに主人に手をあげるようになるとは、この側近……。

 ところで、馬車に乗る際にはまずセティアスが手のひらを差し出してくるので、おとなしくその上に右手を重ねてエスコートされるように、と講義では教わった。だが当のセティアスは、先ほどから氷塊のように固まったままだ。
 一向に動こうとしないセティアスに、父も母もおろおろとし始めたところで、隣で頭を下げたままのオンサが口を開いた。

「セティアス様、本日のミラ様の装いは、ミラ様たってのご要望でございます。セティアス様と同じ黒がよろしいとのことでして」

「おいっ……!」

 慌ててオンサを黙らせようと振り向くミラだが、視界には父母も映っているため下手なことはできない。
 だがミラが率先しておそろいを望んだような言われ方には語弊がある。あくまでも無かったのだ、黒以外が。

「…………」

 ようやくセティアスの手が伸びてきた。ここに置くのか、とミラはふて腐れながら己れの右手をボスンと乗せた。

「決して何も言ってはダメよ! いいわねミラ?」
「おまえのその口はただの飾りだ! 飾り物だ! 何があっても開くなよ! 殺されても声を出すな!」

 そこまで言うか、と父母の叫びに呆れながら馬車に乗り込むミラは、小さく溜め息の漏れたその口を渋々と引き結んだ。



◇ ◇ ◇



 馬車の中はミラとセティアスの2人だけだ。オンサたち従者は貴族用の馬車に同乗することは許されていないため、後続の別の馬車に乗っているらしい。本当はオンサが近くにいてくれると心強いのだが、ヴァルディール家の馬車で無理は通らない。

 カタカタと馬車道を揺られ、時折石に乗り上げたような大きな振動にも見舞われるが、ミラは教え通りに背筋を伸ばしてひたすら口をつぐんでいた。
 それにしてもセティアスの視線が鬱陶しい。気付かぬ素振りで目を合わせずにいるものの、こんな閉ざされた空間で真正面から見つめられ続けるのはなかなかつらいものがある。

「……先週とは、多少見違えたようだが」

 セティアスが口を開いた。だがミラはそれをツンと無視する。父の命令でやむを得ずだ。ミラは悪くない。
 カタカタ音だけが白々しく響く中、もう一度セティアスはミラに声をかけた。

「……ミラ、タイが歪んでいるぞ。見苦しい」

 胸元を指さされ、ミラはできるだけ平静を装いつつ広がったリボンの先を左右に捻った。しかしセティアスの冷たい声に制止される。

「余計に歪んだ。タイも満足に整えられないのかおまえは」

 ムカつく。言い返したい。だが我慢だ。まだ今宵のパーティ会場に着いてすらいない。口さえ開かなければ本日のミッションは無事にクリアできるのだ。
 なんとかリボンを平行に直そうと捏ね回すミラだが、どんどん形が崩れてきているような。このままでは、完璧な美しさだと悦に入っていたオンサに叱られてしまう。

 するとセティアスがおもむろに、背中を屈めたまま席を移動し、ミラのすぐ隣に腰を下ろした。近い。肩も足もべったりと触れてしまっている。

 驚いて顔を上げたミラの目に、いつぞやのセティアスの黒い睫毛が飛び込んできた。



 そして、覚えのある感触が、唇に。



 大きな手で首の後ろを押さえられ、顔をそらせない。反対の手はミラの顎に添えられている。

 あろうことか、そのまま唇の隙間を縫って熱い塊が口内に侵入してきた。まさか、まさかこれは、セティアスの舌? ではこれは、ディープキスというヤツか? 大人だけに許されているという、あの?

「んーっ……!」

 口の中から上顎や舌裏を撫でられて、ミラの体はビクビクと震えた。こんな感覚は知らない。何も思い通りにならなくて苦しいのに、頭の奥から心地よく痺れるように熱が広がってゆく。
 どうしよう、このままでは……!

「……ぷはっ!」

 ようやく息継ぎを許されて、ミラはのぼせた顔で肩を上下させた。

「まっ……! また、キッ、キキキ……ス……っ!」
「……口を開かないんじゃなかったのか」
「無理やりこじ開けたんだろおまえが! 舌で!」
「上を向いたからだ」
「またそれえっ!!」

 うっすらと涙が浮かんでいたが、それよりも危うく零れそうになったヨダレのほうを先に手で拭う。

「直ったぞ」
「はあ?」
「タイだ」
「あ?」

 いつの間にかミラのリボンタイはバランスを取り戻していた。いや、ミラが弄る前とさほど変わらない気もするのだが、本当にタイは歪んでいたのだろうか?

「……もう上は、向かん」
「喋るのはいいのか」
「他の人間の前では喋らなきゃいいんだろ」
「私は良いのか」
「おまえにはもう既に色々バレてっからな。今さらだ」
「……そうか。……やはり見違えたと思ったのは気のせいだったな。変わったのはせいぜい服の色くらいだ」
「あーあーそんなに似合いませんか」
「…………いや、……ああ」
「だからどっちなんだよ!」

 先ほど入れ損ねたツッコミがようやく決まったところで、ミラは自分が少し落ち着いてきているのを感じた。ずっと屋敷に閉じ込められているのが嫌で、気乗りのしないパーティへの参加は承諾したものの、やはり不安はあったのかもしれない。
 にわか仕込みの礼儀作法でどれだけ乗り切れるのかという危惧に加え、これから顔を合わせる相手を誰1人としてミラは知らない。

 今回絶対にミラが避けなければならない失態は2つだ。1つは野蛮な言動を取ること。もう1つは記憶喪失について誰かに悟られてしまうこと。ミラ自身は見知らぬ誰かにどう思われようと構わないのだが、どちらもシュレイン家の信用、名誉を揺るがす由々しき事態に繋がるからだ。ひいてはヴァルディール家にも影響が及ぶ。
 だがいくら考えてもなるようにしかならない。ミラは腹を括って深呼吸をした。

 ところで、もうミラのリボンタイには用事も無くなったはずのセティアスが、いつまでも隣の席に座り続けているのは何故なのか。馬車のシートにはまだ余裕があるにも関わらず、こんなにも密着しているのも何故なのか。若干斜めになっているセティアスの体重を感じて、体の片側が少々重苦しい。
 それらは誰にも解けない謎であったし、それこそ考えても分かりようの無いことだった。



◇ ◇ ◇
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