氷の婚約者様に破談を申し出たら号泣された

楽矢

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09.拒まれた初めての贈り物

 コナーの金髪はメイドによって丁寧に櫛が入れられ、元の光を取り戻していた。本人はまったく気にせず笑っているが、グアロはいつまでも揉み手をしながらペコペコと頭を下げ続けている。

「誠に申し訳ございませんでしたコナー様! この末の息子は先日の病からこちら、何をやらせても振る舞いが落ち着かぬのです!」
「いえいえ、ミラと話すのは楽しいですから」
「おお! 魔術も使えぬ無能な愚息に、かのリイナシオン家のご子息様が、なんという寛大なお心遣い!」

 身振り手振りがうるさくて、まるでオペラでも演じているかのようだ。無理やり頭を下げさせられたミラは、グアロに見つからないように舌を出した。どうでもいいが、ミラの記憶喪失については病で押し切るつもりらしい。

「ねえミラ、それよりレモンパイ食べてみて! 美味しいんだよー。気に入ってくれるといいんだけど!」
「おう!」
「こらミラ! その返事は何だ!」
「……ハイ」
「アハハハ」

 慣れた手付きでオンサがレモンパイと紅茶をテーブルにセットしてゆく。細くカットされたレモンパイを載せた皿には、ナイフとフォークが添えられていた。ナイフはどうも苦手なのだが仕方ない。渋々それらを手にしようとすると、コナーがミラの手に触れた。

「待ってミラ、このパイは手でパクッと食べちゃったほうがいいよ。ちまちま切っても味が分からないでしょ?」
「え、いいのか?」

 正直そちらのほうがありがたい。だが食事マナーについては毎日嫌と言うほど叱られているため、ミラはついチラリと父の顔を覗いた。するとそこへすかさずコナーのフォローが入る。

「構わないでしょうかグアロ様? このパイは昔から我が家の気軽なおやつですから、皆幼少の頃よりそうしているのです。うちの弟たちなんて、1口で頬張ってしまったりするんですよ、アハハハ」

 グアロは揉み手を高速化させ、ますます腰を曲げてあっという間に迎合してしまった。

「素晴らしいですなコナー様! いやはやリイナシオン家の皆様が日常的にお召し上がりになっているものを頂戴できるとは何とも幸運な愚息でございます! おいオンサ! 早くカトラリーを下げぬか!まったくおまえは気が利かんな!」
「……かしこまりました」

 おそらくコナーは、ミラがナイフに苦手意識を持っていることを察してくれたのだろう。それに巻き込まれて怒鳴られたオンサには悪いことをしたが。

「うまーー!! ……じゃなくて、美味しー、……です」

 お言葉に甘えて手掴みで放り込んだレモンパイは、甘酸っぱさに香ばしさ、爽やかな香りが口中に広がって、ミラは感動の声をあげた。

「アハハミラ、言葉なんて気にしないで? 僕たちの間に遠慮は要らないでしょ」

 ニコニコと紅茶を口に運ぶコナーに、グアロはもう興奮を隠せなくなっていた。何故だ分からないがミラはすっかりコナーに気に入られている。これはまさに、名門リイナシオン家に取り入る一大好機と言えるのではないかと。
 もう矢も盾もたまらず、紅潮させた顔でグアロはガタガタと立ち上がった。

「コナー様!! 我がシュレイン家には優秀な息子たちがあと5人おります! 生憎長男と五男は今留守にしてございますが、是非とも上の息子たちにもご挨拶をさせていただけませぬか!!」
「いえそんな。僕は今日、友人であるミラに会いに来ただけですので」
「そうおっしゃらず!! 自慢の息子たちです! この六男とは違い他の息子たちは魔法薬術師として立派に家を盛り立てております!」
「でも……」

 何とか断ろうとするコナーに、グアロはしつこく食い下がった。出来損ないのミラではなく、出来の良い兄たちをリイナシオン家と昵懇にさせたいのだ。そのほうが当然我がシュレイン家も安泰のはずである。

「そうだここへ連れて参りましょう! すぐにです! どうかそのままお待ちくだされ!」

 出っ張った腹を揺らしながらいそいそと扉へ向かうグアロに、2個目のレモンパイを右手に持ったミラは眉をしかめた。困ったように笑うコナーへの申し訳なさがこみ上げる。



「……転べっ」

 聞こえないように小さく呟いて、空いている左手をただ悪戯まがいに軽く振っただけだった。深い考えは無かった。



 するとその瞬間、グアロの腰のベルト金具がプツンと短い音を立ててちぎれ、足元までストンとショースが落ちてきた。足早に歩を進めていたグアロはそれに躓き、大きな音を響かせてその場に転がってしまった。

「ぐおっ!!」

「グアロ様!」
「グアロ様っ!!」

 大慌てでオンサやメイドたちが駆け寄るが、何が起こったのかまだ把握できていないグアロは、ただあたふたとショースをたくし上げるばかりだ。
 ぽかんと目を丸くして固まっている、ミラとコナー。


「……今の、……ミラ……?」

「……へ……?」



 ミラはまじまじと己れの左手を見た。身勝手な父に腹が立ったこと、友人だと言ってくれたコナーに迷惑をかけたくなかったこと、それらこそがひょっとすると、純粋なミラの欲だったのだろうか。

「ハ……、ハハハ、これはこれはとんだ粗相を……!」

 何とか取り繕おうとするグアロのことはそのまま放置し、コナーはソファから腰を浮かせてミラの左手を両手で包んだ。

「すごいよミラ! 今のミラの魔法だよ! ほら、やっぱり使えるんだよ、僕の言った通りでしょ?!」
「魔法……?」
「な、なんだとミラ! おまえの仕業なのか? おいミラ!」

 メイドたちに装束を整えさせながら扉の近くでグアロが怒鳴っているが、引き続き無視を決め込むコナーだ。

「願ったことをを形にするだけ。今感覚掴めたんじゃない? あれこれ考えなくていいんだよ!」
「なるほど……」

 コナーが言うには、小石を使った物体浮遊は子供たちが最初に学ぶ魔術の基礎学習の1つなのだそうだ。それゆえ講師たちはまずミラに小石を浮かせることばかり強いていたのだろう。だがミラに必要だったのは、できないという思い込みを捨て去ることだったようだ。

「ヤッタねーミラ!」
「わわっ……!」

 ギュッとミラを抱き締めて、コナーはうれしそうに笑った。喜びと照れ臭さが入り交じった表情のミラの目に、ただ呆気に取られて立ち尽くしているグアロの姿が滑稽に映っていた。



◇ ◇ ◇



 グアロを床に転がした日から、ミラは少しずつだが魔術を習得していった。もちろん戦闘に役立つような大魔術にはほど遠いが、昨日はなんと記憶を失って以来初めての薬の調合にも成功した。
 グアロに言わせれば、まだ元の状態に戻ってさえいないと鼻で笑われるレベルではあるが、それでもミラはわずかばかりの自信を持てたような気がした。

 ちなみに父によるコナーと兄たちとの顔合わせは失敗している。あの日コナーは、ミラの魔力の発動を喜ぶとすぐ帰路についた。グアロの思うようにはいかなかったが、今後とも何としてもリイナシオン家との橋渡しに努めるようミラは仰せつかっている。知るもんか、と思いながら一応頷いてはおいたけれど。

「ミラ様、最近お勉強順調ですね」
「ふふん」

 オンサに褒められて気を良くしたミラは、小さなガラスの小瓶を窓の光にかざして悦に入っていた。中にはミラの手による魔法薬が入っている。ささやかな体力回復が望めるポーションだ。

「セティアス様のお着きです!」

 従僕の声が響いた。今日はセティアスの訪問日である。別に会いたいなんて思っていたわけではなかったが、ミラは小瓶を握り締めて少しだけそわそわと浮き足立っていた。

「ようこそおいでくださいました」

 出迎えの挨拶は滞りなく済んだ。ミラの記憶にある限り初めてのまともな挨拶である。ペコリとお辞儀をし、セティアスを部屋へ迎え入れた。すかさずオンサがテーブルにお茶をセットする。今日は紅茶とドライフルーツの焼き菓子だ。手で摘まめる大きさで、ミラの好きなナッツもたっぷりと入っている。悪くない。

「……何だミラ、その緩んだ顔は」

 腰を下ろしながらセティアスが眉をしかめた。依然として言い方は気に入らないが、つい口もとをムズムズさせていたのを見抜かれてしまったのだろう。ミラは下唇を軽く食んで笑いながら誤魔化した。

「べっつに! んへへ。けどあとで言う!」
「…………?」

 訝しみながらもセティアスは紅茶を口にした。2人きりにされても尚、この男は特に話題を提供するわけでもない。ミラが焼き菓子を食べる様子をただ黙って見ているだけであった。

「食わねーの?」
「……ミラ、あまり口内に物を詰め込むな。頬が膨れてみっともない」
「一気に口に入れたほうが美味いんだもん。おまえもそうすれば?」
「醜態を晒す気は無い」
「あっそ! 勿体ねー」

 紅茶もゴクゴクと飲み干して、自分でおかわりを淹れるミラ。セティアスのカップが空になっているのを見て、ついでにそちらにもなみなみと紅茶を満たしてやった。

「……珍しいな。今日は自分で注げとは言わないのか」
「今日機嫌いいからオレ」
「……そうか」

 すぐに沈黙がやってくる。普通ならここで、理由を尋ねるものなのではないだろうか。セティアスの会話下手には本当に呆れてしまう。

「あのさ」
「……何だ」

 やむを得ず、ミラは自分から切り出すことにした。やはりどうしても照れてしまうため目を反らしつつ、ジャケットの中に手を差し込む。



「これ、おまえにやる」
「…………?」



 ミラがコトリとテーブルに置いたのは、魔法薬の小瓶だった。誰にも言ってはいないが、この薬を調合する際に魔法で具現化した欲は、セティアスを癒したいという思いだった気がする。
 近々セティアスは遠征で戦場へ赴くと聞いていた。今回討伐対象となっている魔物はさほど困難な相手ではないとの話だが、それでも少しでも彼の体力を回復できたなら、この薬はきっと小さな助けになるだろう。

「……これは?」
「オレが作った!」
「え?」

 コナーのおかげで魔術を使えるようになったこと、この数日で薬の調合ができるようになったことを、ミラは得意げに胸を張って伝えた。薬草も自分で選別し、配合もすべて1人でおこなったのだ。もちろん薬術師の監視のもとではあるが。

「次の戦いに持ってってくれていいぞ! 疲れたら飲んでくれ」
「…………」

 セティアスは小瓶を手に取り、黙ったまま四方八方からそれを眺めた。
 驚いただろうか? 褒められるだろうか? 喜ばれるだろうか? ミラはセティアスの言葉をワクワクして待っていた。



「……色がやや濁っている。通常のポーションとは違う。こんなものは飲めない」



 セティアスの氷のような声が耳を突き刺した。

「え……」

 一瞬、目の前の景色がゆらりと揺れた気がした。それがうっすら滲みそうになった涙のせいだと分かり、ミラはギュッと奥歯を噛み締めた。

「……何だよ、それ」

「私はこんなものは飲まないと言ったのだ。おまえの魔術も薬術も信用ならない。おまえはこんなことはしなくていい。おまえには何もできない。無能な役立たずだ」

 どうしてだろう。ミラは思った。何故かセティアスの前にいるときは、すべてが上手くいかない。見返してやりたかった。そのために嫌いな勉強も必死に続けた。だがどうしても、セティアスには何かが届かないのだ。
 うつむいて、静かに拳を握った。それをどうするわけでもない。ただ悔しくて、情けないと思った。

「……おまえはさあ、……そんなに……オレのこと嫌いなの」

「…………? 急に何を言っている」

 別に急ではない。とっくに知っていた事実だ。顔が上げられない。今ここで涙を零したりするのは、絶対に嫌だと思った。

「……ミラ」

 セティアスはミラの名を呼んだ。テーブルの大理石に左手で体重を預け、こちらへ身を乗り出してくる。
 だがミラの顎にセティアスの右手が触れた瞬間、ミラは弾かれたようにその手を叩き退けた。



「触んな!! もうキスもすんな!! 今オレは上を向いてないだろ!!」



 ミラの目には、限界にまで溜まった涙が光っていた。それを落とさなかったのはほとんど意地だ。

「ミラ」

 再度名を呼ぶセティアスの低い声が煩わしかった。ミラは立ち上がった。

「おまえの婚約者には、もっと……! ファレク様みたいな、強くて美しい人が相応しかったんだろうな!」

「……ミラ、何を言っているんだ」

 肩や腕を押さえようとしてくるセティアスの手を、すべて力一杯払い退ける。こんなことが言いたいわけではなかったが、もうどうにも止められなかった。

「そんなんなあ! オレだっておまえなんか嫌なんだからな! おまえだけじゃねーからな!」
「ミラ」
「おまえはオレよりバカデカいしオレよりクソ強いしオレよりモテんのムカつくし身分も能力もオレよりずっと上だし!」
「ミラ、落ち着け」

「そもそもなあ! オレもおまえなんか全然好みじゃねーんだからな! オレだって……、オレだって叶うなら、ファレク様みたいな巨乳美女に好かれたかった! 巨乳と婚約して巨乳とイチャイチャして巨乳とオレはっ……!」

 そこまで言ったところで、ミラの顔はセティアスの大きな手のひらで覆い尽くされてしまった。最初、平手で殴られたのかと思い一瞬体が硬直したのだが、痛みは無い。ただ声が出ないようしっかりと口を塞がれている。

「ムグーッ!!」

 逃れようと暴れ始めたミラだが、すぐ目の前にあるセティアスの顔が、見たことの無い色をしていることに気付いて動きを止めた。真っ赤だ。耳まで赤い。

「……は、破廉恥なことを口にするな……!」
「……ハレ……?」

 セティアスの指の隙間から、ミラはかろうじて聞き返した。
 ふと、ミラが記憶喪失になってすぐの頃、オンサや屋敷の人間たちがバタバタと気を失って倒れまくったことを思い出した。そのときも確か、ミラが巨乳という単語を口に出したタイミングだったような気がする。

 え? 何? 巨乳って禁句なの? この国そういう清楚めな倫理観?
 下を向いてひたすら恥じらうセティアスに、力が抜けてしまったミラはとりあえず、諦めたような落胆したような溜め息をついた。



◇ ◇ ◇
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