上 下
5 / 5

第5話 病んでいる魔王様と退魔師について①

しおりを挟む

「――ということで、よいな、奏太」
「……えっ、あ、うん」

なんとなくニホンの縦割り行政と護送船団方式について黙考していると、突如ジーサンに同意を求められ、それが望まれている雰囲気だったので俺はいかにも理解したようにうなずく。
ヒューマンの欠けた俺が人様の政治云々について思考を働かせてやれば、人間の擬態に深みが増すのではないか、そんな浅ましい狙いであった。

「カナタ様……」

俺の真横で端座たんざするエミリアは安堵したように微笑んでいる。

やれやれ、ようやく一段落つきましたかって感じだが、俺はその実なにも聞いちゃいない、ただ雷同らいどうしたまでのこと。

「うむ、本人の同意も得られたことだし、そなたは今日から『新山絵美《にいやまえみ》』としてここで暮らすのじゃ」
「はいっ!」
「はい?」

同じ言葉でもニュアンスひとつで異なる意味を持つニホンゴ様。俺は動揺にこわごわしてきた胸を強いてなだめ、重ねて問うてみた。

「具体的には絵美ちゃんを新山家の養女として迎え入れる。戸籍については儂の力でなんとかするから心配するでないぞ」
「いや、そういう意味じゃ……」
「なんじゃ、結婚の心配でもしておるのか? なら安心せい、新山の本家預かりという形にしておく。つまり、お主と絵美ちゃんは親戚同士ってことじゃ。何も問題はなかろう?」

本家ってのは親父の兄貴の家を指しているのだろう。
別にそういう心配をしているわけではないのだが、このジジババ連合には話が通じないことがすでに実証済みである。

したがって、外堀は埋めた、言質を取った、となればしょうがねえ。家主にあくまで逆らおうもんなら身ぐるみ剥がされて家を追い出されるかも知れず、そうなりゃ果ては野生化したヒトモドキだ。ひとまずは羊のように従うか。

「まあ分かりました。それで、エミリアは引っ越しとかどうするの? というか、今までどこ住んでたの?」
「ここから北へ約10キロの山奥に古い山小屋があったので、今はそちらに」
「食料とかは?」
「イノシシやクマなど、主に現地調達ですっ!」
「へぇ……」

メイド服。
その格好でサバイバル生活とはね、などとほくそ笑んだ俺は死んだ方がいいくらいの馬鹿である。
死ぬる思いの恥辱。エミリアのさんさんとした笑顔が憎らしい。太陽ってのは直視すると目が潰れるのだ。

「それで、引っ越しについてなんですが、今から山小屋に戻って荷物を取りに行こうと思うのですが……」
「??? 行ってくればいいいじゃない」
「昼間は魔力不足で<転移>が使えないので、ご面倒でなければ……」
「ああ、なるほどね。理解した」

俺は指を弾いて物理情報を空間化した<転移門ゲート>を召喚する。使用者が行き先を思い浮かべながら渦の中に飛び込めばあら不思議、ってやつだ。
ちなみにこの魔術理論に『特異点』などというファンシーな概念を応用した魔法が、<異世界転移アナザーゲート>である。

エミリアは俺に厚く礼を述べると夜までには帰りますと笑顔で言い残し、去っていった。で、ジーサンは渦の中に消えていく彼女を見て、

「………」

特に驚いた様子もなく、どこか虚ろに笑って見送っていた。
俺は珍しく人の機微というものについて想像をたくましゅうしてみたのだが、途端に腹が減った。

「じゃあ俺はちょっと外でメシでも食ってくるかな」
「今からか? 今晩は絵美ちゃんが馳走を振る舞うと息巻いておったのじゃが……」
「あ、そうなんだ?」
「もう夕方じゃ。いまから腹を満たせばせっかくの馳走も美味くなくなってしまうぞ?」
「うーん……」

じゃあ迎合しますか。世間に。ジーサンもそれを望んでいる。
しかし、ああ。この胃をきゅんきゅんとやってくる空腹感。あああ。気が狂いそうです。なにがヤって畜生さながらにメシのことばかり浮かぶのがヤ。空腹だとね。

だが彼らの意向というものがありこれを無視するのも俺には恐怖で、呻吟しんぎんの挙げ句、俺は『その辺で軽く』という妥協案を提出した。

「暗くなる前に帰るんじゃぞ」
「わかりました」

承諾を得たところで俺は徒歩でバスターミナルへと戻り、そこから町の中心へと向かった。





商店街。

商店街だあ。もひとつ、商店街だあ。などと、ひとしきりはしゃいでいると、

「おう、あんちゃん! 今日は野菜が安いよっ!」

といいながら店主風の男は俺に目を向けた。

「……って、あれ? あれれぇっ? あ、あんちゃん、もしかして、武田のお孫さんかい?」
「そうですけど」
「ひゃー」

頓狂な声を発すると、ちょ、ちょっと待ってくれな。などと唾を飛ばし、男性は店へと取って返した。

「……な、なんだ?」

店主風の男はすぐに戻ってきたのだが、両手に大振りのメロンを抱えている。

「はいようっ。これは名刺代わりだ、とっといてくんなっ」
「はあ?」

ずいずいと押しつけてくるので俺はやむなく受け取ったのだが、でかいので、とにかく邪魔だ。

「な? 武田の大旦那に、な? 食ってもらえりゃあ、な? ウチが一番だって、分かってもらえるってもんよ、な?」
「はあ……」

それから時間にして3分48秒ほど『青果の九兵衛』の販促活動にこれ務めた後、男性はようやく去っていった。

これってあれか? ジーサンに対する袖の下ってやつか?

「めんどくせぇ……」

俺の腹腔からため息が押し出される。

ややあってようやく目的地へと到着。
ガキの頃からあったはずのソバ屋でソバを飲み込み、人間ってめんどくせぇー、噛むのもめんどくせぇー、飲む。などとやっていたらブホホと馬鹿馬鹿しく咽せ、で、店を出た。

喰ってる最中からしてあがが、ぎぎぎ、身悶えていたのだが、どっかに国鉄はねえか、身投げの誘惑、恥ずかしくて死ぬる思い。
かかる羞恥は他でもない、なんで俺はこれ幸いとばかり、エミリアの引っ越しの手伝いを申し出なかったのか。だから俺は駄目なのだ。

人間世界の番外地の住民である俺は、せめて六分目の腹具合を守って家路に就こうとメロンを脇に抱え、のれんをくぐり歩き出した。


「……………………」


メロン。

捨ててやろうかなあと思い、スイカ割りならぬメロン割り。別に食いたくねえのだ俺は。

こそ泥のように辺りを見回すのだが、しかし待てよ、路上その他にこんな一見高級そうなメロンが捨ててあったら下手人は早晩割れるに違いないのであり、それはいかにもまずい。

しょうがねえなあと俺はメロンを持ち直し、後で、これで、一家団欒的雰囲気って感じを生み出してみますか、などと考えた。



我が家に帰宅した俺は、自室でメロンを木魚に見立てて法悦じゃあ、などとチャカポコやって喜んでいると、

「……なにをやっているのじゃ、お前さまは」

引っ越し業務を終えたエミリアが姿を見せた。

「うーん……暇潰し?」
「喰い物を粗末にするようでは、いい死に方はできんぞ?」

昼間のポンコツメイドの姿はそこにはなく、裏(表?)の顔をのぞかせていた。なんとなれば時刻は既に19時を回っており、ここから夜明けまでは冥王の領分である。口調が変わる原理はよく知らんけど。

「今から死に様について考えたくはないけど……で、なんか用?」
「もうすぐ夕飯の支度ができるのじゃが、その前に風呂にでも入らぬかと思うてな」
「それはよき提案ですな」
「うむ。妾も一緒に、と言いたいところじゃが、まだ支度が残っているのでな」
「一緒に入る予定は今後もないけど……」
「カッカッカ、照れるでない照れるでない」

わろてるで。

(それにしてもエミリアの手料理ねぇ……)

俺は過去100年近くほぼ毎日エミリアの手料理をんでいたのだが、ハッキリいうとメシが美味いとか不味いとかはどうでもよく、空腹は最良のソース、などと、はっ、馬鹿らしい。という世間とは相容れぬ感覚を俺は持っていて、まあそんなときはまず確実に俺の方が間違っているのだが。

こら『うまいメシを喰らう』ということに際しての反応について研鑽を積んでおいた方がいいかも知らんな。などと、俺はそんな浅ましい考えと着替えを持ってエミリアと共に自室を後にした。





「あぁ……法楽法楽」

しかし相変わらずすごい風呂である。 いやはや、いわゆるところの総檜造り。

(ブルジョワ………)

俺は早速、垢顔蓬髪《こがんほうはつ》を原状回復させることにしたのだった。

ゆったりとした湯船で体を伸ばす。 風呂や温泉を楽しむ趣味はないが、この水圧の圧迫感は好きだった。

「…… えっ?」

驚愕の拍子にごぼごぼと溺れそうになった。
いったい誰や、曇りガラスの向こうに人が立っているのだ。って、あんなゴツイ肉塊、 女じゃねえ。 となると。 となると。

「よう、 奏太。 一緒に入ろうと思ってな、 儂もやって来たぞい」

いやあ。もういやあ。このご老公たち。

「な、なな、なんすか? いったい」
「フフッ。······むん」
「……いや、やおらポージングをやるような愉快な真似はやめてください」
「キレてるじゃろう。 ボディービル用語でいうところの筋肉の割れじゃ」
「ご老体とは思えないくらいっすね」
「さてさて」

軽快な口調とは裏腹の感じにズイズイと、分厚い肉が湯船目がけて迫ってくる。
いやあ。 祖父が浴槽をまたいだ。 お湯が一気に溢れ出す。

「ふう………孫と一緒に入る湯というのも、これはまた、格別じゃ」
「狭いだけのような気がしますが」
「まあ、そう邪険にするな。 久しぶりの再会じゃろうが」
「はあ……」
「いや、実はな。 少々、いっておきたいことがあっての。 それでこうしてやって来たわけじゃ」
「出るまで待ってくださいよ……」
「フフ、裸の付き合いもそれはそれ、 目的のウチに入っておるよ」
「……で? いっておきたいこと、というのは?」
「うむ、将来のことなのじゃが。 お前はいったい、どうしようと考えている?」
「ん?」
「将来じゃ」

将来ねえ。そらこんな俺でも未来はやって来るだろうが、 唐突感のある質問ではあった。

「特に考えてはいないな」
「今時の若者じゃのう……」
「まあね」

例えば。 勉学や訓練、修練などに耳かきですくえるほどの価値も置かず、 そんなものに騙されるか俺は一発当てて一発キメるのだ、などと無根拠にいななく若者。
かかる人間はたまさか見かけるわけだが、俺は別にそういうのとも違う。

「あ、そういや、レフェリーはいいと思ったときがあったな」
「レフェリー?」
「俺って魔族だから人間の流す血が大好きでしょ? プロレスとかさ、流血騒ぎで俺がペロペロやって治してやってもいいなって」
「奏太っ!」

ジーサンが血相を変える。 俺は冗談ですよ、といった。(本当に冗談だった)

「けど急にどうしたんすか?」
「うむ……」

ジーサンは鼻白んだ様子を見せると、小さく息をついた。

「……後継者のな、問題を、儂もぼちぼち考えるようになったのじゃ」
「後継者?」

俺はジーサンの使った単語を繰り返し、そうすると、遠い異国の見知らぬ料理を口にしたような違和感。

「それってあれですか、武田商事とか武田重工とかの?」
「否……グループ企業はそれだけではないが、それらは表向きじゃ。儂がいってるのは、武田の源流たる生業――『退魔師』のことじゃ」
「退魔師? エミリアもチラとそんなこといってたんですが、なんですかそれ」
「……奏太には今まで黙っておったが、この世界にも昔から魔物や魔族は存在する。そして、それらから人々を守る役目を負う者を、退魔師と呼ぶ」
「ジーサンも退魔師なの?」
「うむ」

そういや三ヶ月前、ジーサンに俺の正体を明かしたとき、一発貰いそうにはなったが、やけにその後の話の飲み込みが早いと思った。エミリアの件についてもそうだが。

「……で、それを俺に継げと?」

ジーサンはぎこちなくうなづいた。

「いやあ……」

今いったのは嫌って意味ではなくて、まあ意味のない間投詞といったところ、実際、コメントに窮する発言ではある。

「そんな、まさか。あらやだ、はは、はは、はははは……ていうか、本気なんですか?」
「うむ」
「いや、だって俺は……」

純粋に不思議だった。退魔師というものがジーサンのいうようなものであるとすれば、俺ほど後継者として相応しくない奴がいるだろうか。

「……お前には人々を守る強い意志があると思った」
「え……」
「昔、な。……まだお前がここに暮らしていた頃、儂はそんな風に思っていたものじゃよ」
「…………」
「ともあれ、まだ先の話じゃ。結論はすぐじゃなくていい、心の片隅にでも留めておいてくれんか」
「わかったよ。で、エミリアはこの話、知ってるの?」
「お前が戻ってくる少し前に、な。「妾はカナタの決めたことに口は挟まぬ」と、いっておったぞ」
「そっか」
「うむ。では儂は出るぞ。ちとのぼせてしもうたわい」

身体も洗わずジーサンは出て行った。風呂にやって来たのは本当に話をするためだったようだ。

「魔族の俺が人間を守る、ねえ……」

ジーサンは俺の100年を詳しくは知らない。だから勘違いしたんだろう。

今の俺に、心の底から人間を守る気など、有りはしないのだから。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...