冬の日

滝乃睦月

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冬の日

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 小さな炬燵の上に頬杖をついて、窓の外をぼんやりと眺めている。ベランダの手すりの上にどんどん雪が積もっていくのを見て、このまま三メートルぐらい積もったらしばらく休めるかな? 何て事を考えている。ラジオ代わりに付けたままのテレビで今日は記録的大雪になると言っていた。久しぶりの休みのためと思い日付が変わるまで残業したというのに朝イチで会社の後輩、と言っても歳は私よりも年上の村上さんから「日替わりランチのスープなんだけどコンソメとコーンどっちがいい? 今日は寒いからコーンかな」なんてどうでもいいモーニングコールのおかげで目が覚めてしまった。割と絶妙のタイミングで邪魔をしてくれる村上さん。嫌がらせ? 段取りが上手くて仕込みも速く、頼りになるのにどこか抜けている。疲れているだけなのか、この間はメレンゲができないんだけどどうしたらいい? って言いながらドレッシング用の油を必死で混ぜていたり、これでゆで卵の殻を人の三倍速く剥けると言って手で持てる空気入れを使ってみたり。忙しい時に限ってそんな事をしてくれる。思いつきでメニューにのってない創作料理を作ったり、しかもそれが美味しかったりする。それでも面白いからまだ良いけど。
 休日に寝てるだけなんてもったいないと思いつつも、寝不足のせいで動く気にはならなかった。久しぶりの休みだというのにこの大雪。暖かい部屋の中で何も考えずにゴロゴロするのも悪くないかと思う。最近クリスマスイベントやらなにやらで休日出勤をしたりとまともに休んでいなかったのでむしろ都合がいい。窓の手すりに積もった雪を何となく触りたくなり窓を開けると重く湿った雪は手のひらの中ですぐに固まった。久しぶりの雪に興奮して作った小さな雪だるまに綿棒の腕を付けて満足した私は炬燵に戻ってまたそれを眺めた。前の彼氏と別れたのもこんな雪の降るクリスマスだったなんて事を思い出しながら。別れ際、俺はお前の料理が好きだったのであってお前が好きだった訳じゃない、というトラウマになる言葉を残してくれたおかげでそれ以来仕事以外での料理ができなくなってしまった。好きと好きが完全にすれ違っていたのに気づかずに二年も一緒にいるってどうなの? って今更どうでもいいけど。炬燵で体が暖まると心地良い眠気が襲ってきたので目が覚めたら日本中雪に埋まってますようにと願いながら少しだけ目を閉じた。
 しばらくして、携帯電話の着信音で目が覚めた。焦って画面を見ると「母」の文字。
「なんだ、でるじゃない。アンタ今日仕事休み?」
「休みだけどなに?」
「機嫌悪いの? そっちは雪大丈夫? それより、アンタ年明けお見合いしてみない? 健ちゃんとこの職場の方がねアンタの写真見て紹介してくれって言ってんの。ほら、もういい歳じゃない。そろそろ結婚しないと嫁の貰い手なくなるかなと思ってねぇ」
「いや、お見合いとかしないから」
「まず会うだけ、会って合わないと思ったらごめんってしたらいいから会うだけ、ね。お願い」
「会うのがめんどくさいの!」
「めんどくさいって、アンタ。そもそも彼氏もいない三十路前が三十越えて結婚できる確率しってんのかい? 二十パーセント以下。この間テレビて言ってたから。ね、市場に出れんのも今だけって事」
「しつこいなぁ、彼氏もいるし、その人と結婚するから大丈夫、じゃあね、きるよ」
 我ながらすぐにばれる嘘だなと思った。正直今はいいかなと思う。仕事面白いし。最近の母からの電話はほとんどお見合いしないかというものばかりで気が滅入る。心配してくれているのはわかるのだけど口煩く言われてしまうとどうも反発したくなる気持ちが勝ってしまう。目前に控えた三十路というステージを前に色恋から逃避するように日々を仕事に費やす事に疑問を感じているのは確かだった。職場と家の往復を何年続けているんだろう? そもそも彼氏のつくり方すら忘れかけている。そんなんでいいの? と自分に問いかけてみても何も出てこない私は炬燵に潜って頭を出し、両手両足を目一杯伸ばして亀になる。兎と亀の勝負は最終的に亀が勝つじゃん、何て一人呟きながら。そんな事をしていたらあっという間に休みの半分を消化していた。
 外に食べに行くのも面倒だったので買い置きの冷凍パスタを電子レンジに放りこみカップスープ用のお湯を沸かす。一緒に食べる人ができた時私は料理を作れんだろうか何て思う。簡単にお昼を食べてまた炬燵でもぞもぞしていると友達の朝子からメールがきた。タイトルはヘルプと書いてある。メールを開くと仕事の付き合いでご飯を食べに行くんだけど一対一は面倒くさいので付いて来て欲しいという内容だった。天気も天気だし断ろうかと思ったが、美味しいご飯が食べられる、の一文に釣られてしまったとはいえ降り続いている雪はどうにかならないもんかなと思う。
 夕方。寒いの嫌だなぁと思っていたらキャメルのコートにデニム、マフラーをぐるぐるに巻き付けていた。くるくるまとめてお団子にした髪形と合わさってマトリョーシカみたいなシルエットになった自分を見て着太りだよねと言い聞かせ家をでる。冷たい空気が鼻の奥をつんつんするような感覚。久しぶりの雪の匂いがする。マンションの階段を降りると予想以上に雪が積もっていた。近くの駅まで歩いて十五分くらい。透明なビニール傘を差し、少し歩いて国道へでると歩道は除雪されていて歩きやすかった。年末が近いせいか平日なのに人が多い。そして大雪だというのにやたらと家族連れやカップルが目につく。幸せそうな空気で溢れている街の中を一人で歩くのは肩身が狭い。
 待ち合わせ場所の繁華街から近いコンビニに着くと立ち読みしている朝子が見えた。海外の雑誌モデルみたいなスタイルに黒いコートの裾から少し除くスカートがまぁ女らしいこと。コンビニのガラスに映ったマトリョーシカみたいな自分を見て同じ人種とは思えなかった。
「ごめん、待った?」
「いや、私もさっきついたとこ。ごめんね付き合わせちゃって」
 朝子は今日も丸くて可愛いねといいながら私のほっぺたをさわってきた。
「どうせ太ってますけどね」
「あ、怒った? 私好きだよ、たまこのほっぺた。ぷにぷにしてて」
「もう」
 二人でそんなやり取りをしながら繁華街に歩いて行った。日も暮れて街灯や店の灯りが灯り始めて、大雪の中でも街は色で溢れていた。
 その店は大通りから少し脇道に入った所にあった。コンクリート打ちっぱなしの入り口から薄暗い階段を降りていく。少し気後れしながら朝子の後をついて行く。
「いつもこんなお店で食べたりしてんの?」
「んー、いつもじゃないけど外周り多いから付き合いで来る事はあるよ」
 大丈夫、料金はあっち持ちだからと笑う朝子。そこじゃないよ。私みたいなのが入っていい所なのと言うと大丈夫大丈夫、みんな最初はそんなもんだよと笑った。店内は間接照明がお洒落なレストランで夜にはバーになるらしかった。入り口近くのカウンター席にはもうお客さんがいた。私たちはそこから更に奥にある個室に入って行った。中に入ると、見るからにチャラそうな茶髪のパーマ男と仕事出来そうな感じの男が奥に座っていた。
「朝子ちゃーん、会いたかったよー。俺もう待ちくたびれて迎えに行こうと思ったよー」
「え? 滝さん、もう飲んでんの?」
 滝さんと呼ばれたパーマ男の前にはもうすでに空のジョッキがいくつかならんでいて
、まぁいいじゃない、と言いながらさあさあ座って、とりあえず何飲む? と慣れた手つきでメニューを開いて注文までしてくれた。程なく人数分のビールがきたのでとりあえず乾杯。自己紹介でもしようじゃないかと言って姿勢を直した。
「それじゃあ俺から。滝田正直、しょうじきと書いてまさなおってよみます。バーテンやってます! 最近ハマってんのは朝子ちゃんです!」
 駆け引きとか一切ないのは名前のせいかは別としても、それってどうなの? と思う。人は見た目で印象が決まるというけどここまでくると引いてしまう。
 それじゃ次、大村さんどうぞ! と促され自己紹介が続く。
「えっと、大村って言います。普通のサラリーマンやってます。お酒と食べ歩きが趣味なんですけど料理作るのも好きです」
 少し恥ずかしそうに話す大村さんに、俺の店の常連さんなんだよねーと滝田さんが合いの手を入れている。
「滝さんとは普段から会ってるけど大村さんとは初めましてですよね。神田朝子です。広告を作る仕事をしてて滝さんとは仕事をする上でいいお付き合いをさせてもらってます」
 朝子ちゃんそりゃないよねーと滝田さんがリアクションを取る。次は私か。
「小倉って言います。朝子とは高校の同級生で、私は小さなレストランで料理作ってます」
「小倉さん、下の名前なんつーの? 俺女の子は名前で呼びたい人なんだけど」
「……たまこです」
 そう言うと滝田さんは手を叩いて笑い出した。丸いから? いいじゃん玉子みたいな顔してるし。ねぇ、大村さん可愛いよね、何て言って笑ってる。こういう事が割とよくあるのであまり下の名前は言いたくない。まぁ気にはしないけど初対面でここまで笑われると少し腹がたつ。
「名は体を表すっつーけど俺と一緒じゃん。いいね、たまちゃん。よろしくね」
 滝田さんはきっと、まぁ、色んな意味で正直なんだろうな。こんな人と一緒にいたら楽だろうななんて思う。私は嫌だけど。
 次第にテーブルの上が賑やかになっていった。揚げ物やらチーズやらのおつまみ系からリゾットにお刺身とかステーキとか、もうゴチャゴチャ。滝田さんが適当に頼むよって言いながら本当に適当に頼んむものだから結構な料理がならんだ。滝田さんは最初に言っていたとおり、ずっと朝子に質問ばかりしている。私は適当にビールを飲んでお刺身やら何やらつまんで、へぇーとかそうですねーとか言いながらお腹を満たしていった。ふと顔を上げると大村さんと目があった。
「美味しそうに食べるね」
 大村さんが言う。
「食べるの好きなんです。だからこんなになるんですけど」
「ごめんそう意味じゃないんだけど。僕は作るのが好きで、美味しそうに食べる人を見るのも好きなんだよ」
 これも食べる? と言って大村さんは私の手が届かない所にある料理を皿に取り分けてくれた。
「ありがとうございます。大村さんってお仕事は何されてるんですか?」
「僕はただの営業。雑貨とかの。スーパーとかにさ、小さい子供向けのおもちゃとかあるでしょ? ああいうのを卸してまわってるんだよ」
 地味でしょ? と笑う大村さんも見た目どおりの大人しそうな人に見えた。
「そんな事ないです。でも営業の人って凄いよく喋る人ってイメージが強い です」
「まぁ、滝田君みたいには喋れないけどなんとかなるんだよね」
 ちょっとまって、俺そんなにおしゃべりじゃないよ! 人見知りだもんとか言ってる滝田さんがだんだん面白くなってきた。
「それにさ営業の最大の魅力は出先でご飯が食べられるって事なんだよ」
 そこからしばらく、大村さんは今まで行った事のあるお店の話を自身の考察を交えながら語りその店の美味しい物を食べて、それを再現出来た時が凄く楽しいと嬉しそうに言った。その顔を見ていると本当に食べたり作ったりするのが楽しいんだろうなと思う。もしかして自分のお店を持つ予定でもあるんですか? と聞くと、ないない、俺は店の味を再現して僕でも作れるじゃないかって思いたいだけだからと言って笑った 。話を聞いていくとだんだん疑問符が湧いてくる。
「小倉さん料理人って言ってたけど、やっぱり真似されるの嫌?」
「嫌ではないですよ、むしろ嬉しいくらい。でも、そのお店の味を再現出来たら次行かなくなるんですか?」
「まぁ、行かないね。だから新しいお店に行くんだよ。小倉さんみたいに作る側の人には悪いけど」
 感じ悪いなあ。それ言うんだ。大村さんには食べて欲しくないなあと思う。
「いいと思いますよ。そういう人がいても」
 そう言いながら残っていたビールを一気に飲み干した。
「ごめんごめん、怒らせちゃった?」 
「別に怒ってないです」
「今度行くからお店の名前教えてよ」
「あ、うちの店再現するほどのものもないですよ。むしろうちの料理人思いつきで作るの で再現出来ないと思いますよ。美味しいですけど」
「そんなんだ。僕の経験上思いつきで作る料理人は素人みたいな人が多いよね。そもそもいつ行っても同じ味でない料理にお金を払うのは嫌だよね。もっとレベルの高い店に行った方がいいよ、そんな店にいるよりさ、紹介しようか?」
 お酒の酔いがまわってきたのか少し顔が赤くなった大村さんが言う。友達がこの場にいなければワインのボトルでぶん殴ってやりたかった。なんだかそれぐらい腹が立った。
「あ、結構です。大村さんみたいな人にうちの料理は食べてほしくないので。私帰りますね。すみません、御馳走様でした」
 そう言って朝子にゴメンと言ってからテーブルの上に一万円を置いてさっさと店をでることにした。
 階段を上り外に出ると未だに雪が降っていた。雪が払われていない所は膝ぐらいの高さまで積もっている。駅へと向かう途中、三回もころんだ。駅へついたらついたで、駅員が雪の影響で電車が止まって動かないです、と人混みの中で大声を出している。ツイてないなぁと、ため息混じりに吐き出して駅の壁に寄りかかった。周りを見渡すと何故だかカップルが目について何故だか村上さんの顔が浮かんできた。お店、忙しいのかな? なんて考えながら。少ししてから朝子から大村さんが酒癖悪いとかゴメンとかいう内容のメールが送られてきたけど、それに返信する気力も無くコートのポケットに携帯をしまった。電車が来るまで何も考えずに目を閉じていたい気分だった。
 携帯がなる。
 朝子からだったらでたくないなと思いつつ画面を見ると村上さんからだった。
「はい、どうしたんですか?」
「玉ちゃん今から店来れる? ちょっと食べてもらいたいのがあるんだけど」
「あー、今からは無理ですね。中田駅にいるんですけど電車が雪で止まっちゃって」
「そんなに遠くないね、今から行くから待ってて」
「ちょっと待っ」
 言葉を返す前に電話は切れていた。ため息を一つ吐き出してから、村上さんが見つけやすいように駅の入り口へと向かう事にした。村上さんをどんな風に怒ってやろうか考えながら。
 駅前のライトアップされたロータリーやら駅ビルもただただ真っ白になっていた。外はやっぱり寒い。屋根の無いところに突っ立っていたら傘地蔵みたいになるだろうな。
しばらくしてロータリーに泊まったタクシーから作業服のままの村上さんが降りて来るのが見えた。
「玉ちゃんゴメン、雪すごくてさ。寒かったろ? 大丈夫?」
 そう言って笑う村上さんを見たらなんか怒るのもなんか馬鹿らしく思えてきた。
「その格好できたんですか?」
「いや、ほら、急いできたからさ」
「まあ、いいです。行きましょ?」
 階段滑るよ、なんていいながら手を引いてくれる村上さん。手を繋ぐなんていつぶりだろうかなんて思いながら。タクシーの中でバーでの出来事を話すと村上さんは「玉ちゃんは真面目だなぁ」と笑った。「食べてくれる人が満足してくれたらそれでいいと思うよ」そう言ってまた、笑った。
 クローズの看板がぶら下がったドアを開けて静まり返ったお店に入る。
「ちょっと待ってて」 
 そう言ってカウンターのところだけ灯りをつけて村上さんは厨房の奥に入っていった。
見慣れたはずのお店の中もカウンターのオレンジ色のライトだけだと全く別に見えた。椅子に腰掛けて待っていると奥から村上さんが出てきた。
「メリークリスマース!」
 え?
 唖然とする私を無視して続ける村上さん。
「いや、あの、知ってるよ。クリスマス過ぎてるのは。あ、引かないで! 忙しくてみんなに渡せなかったから今日作ったんだー。ほら今日休み玉ちゃんだけだったから。みんなにはもう渡したんだけど」
 何だか頭の中がごちゃごちゃでただ、笑えてきた。
「みんな分作ったんですか?」
「おう! 全部違うケーキ。すんごい大変なのな」
 満足そうな顔の村上さん。
「それじゃ頂きます。あ、一人で食べるのも寂しいので村上さんもどうですか? コーヒーいれてきますね」
 少し考えてから「それじゃあ」と言って二人でケーキを食べた。子どもの頃に食べたイチゴショートに似た懐かしい味だった。
 メリークリスマスっていうのは村上さんなりの冗談らしく本当は少し早いけど一年間お疲れさまって気持ちらしいっていう事や、年末で休みにはいるとみんなに渡せないからこのタイミングだったって事、私に連絡していたけど気づかないみたいだったから仕事が終わってから電話をくれたって事とか。
「それにしても強引すぎますよ」
「だってさ、玉ちゃんに食べて欲しかったんだよ」
「子どもじゃないんですから……」
「ごめん……」
 申し訳なさそうに小さくなる村上さん。
「あの、今度、お礼に私がご飯作ったら食べてくれますか?」
「もちろん!」
 その後、雪のせいで帰るに帰れなくなった私たちはお店の休憩室に泊まることになり、翌日、お店の余り物で朝食を作っている時、なんとなく村上さんの気持ちがわかった気がした。
 
 
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