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第一章「神放縁稲光(かみがはなつえにしのいなびかり)」
【魂魄・弐】『胡蝶は南柯の夢を見る』9話「狂輪」
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手を伸ばした滄溟を威嚇して叫んだ宗久。被り物の僅かな隙間から怒りの視線を向ける。そればかりか避けるように部屋の片隅に蹲ると背を向けて彼を拒絶した。
「誰にも……見られたくないのだ……どこか部屋を貸してくれないか」
「う、うん……」
滄溟が空室までの道順を教えると、礼を言った宗久は逃げるようにその場をあとにした。彼を見送って神妙な顔で野分が呟く。
「あの波動砲って技。尋常じゃないわ」
「そうなの?」
「わかりやすく言うと、滄溟が長嵜で机の上の蜜柑を動かしたのが一段階目だとすると……私の気操術は十段階目か十五段階目くらい。そして彼の波動砲は軽く百段階目を越える……」
「ええッ、そんなに?」
「連続して気を操るのは本当に大変なの。魂魄を繋げている気を、一時的にでも他の用途に用いるのは非常に危険なことなのよ」
「じゃあ、もしかして彼の容姿も……」
「……あり得るわね。魂の器である魄がバランスを崩し、身体を崩壊させたのかも知れない……シッ、何か聞こえない?」
〽沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは鳩州 蜜柑船
それはどこからともなく聞こえる陽気な囃し声だった。
二人は顔を見合わせて甲板に出ると、突如として現れた何隻かの船が黒船を取り囲んでいた。船は全て丸に神の字が染め抜かれた帆を掲げていた。
「あれは、皆神水軍……」
「こんな時に海賊に囲まれるなんてっ」
「操舵長、ふりきれないかッ」
「ムリですッ、この船は小回りが利かない。囲まれちゃ身動きが取れないッ」
「しょうがない。砲撃用意ッ」
「先ほどの嵐で火薬が湿っていますっ」
「クッ……打つ手なしか」
滄溟が歯ぎしりしていると小舟を出した海賊が続々と乗船してきた。彼らは青龍刀と呼ばれる大陸製の刀を持つヒトと半獣で構成されていた。
その中でも立派なツノを生やした牡鹿の半獣が、鍛え抜かれて黒光りする体に付いた水滴を払いながら滄溟に近付いてくる。
「黒船……お前は鳩州の滄溟か」
「そういうお前は海賊……皆神だろう」
「話が早い。鳩州の黒船が食料を大量に積んでると聞いた。全て頂戴しようと思ってな」
「なっ……誰から聞いた?」
「お頭、大変だっ……ヤツが来る」
「あん? ……クラーケンかッ、お前らっ、海に獣除けを撒けっ」
「クラーケン?」
「間に合わないッ。もうそこまで来てるッ」
「チッ、食料のニオイに気付いたか。ヤツには百人束になっても敵わねぇ、逃げるぞ」
「合点承知っ」
「ちょっと待ってっ、クラーケンってなんなのよ」
「嵐を呼び、津波を操る海の化物さ。お前らの食糧を狙ってるのは俺たちだけじゃねぇってことだ」
「クッ……一難去ってまた一難とはこのことねっ」
「俺たちゃ先にずらかるぜ。あばよ、ボウズ」
「待てっ」
「キャァ」
小舟で退散する海賊を目で追う滄溟が振り返ると、巨大な触手が黒船に絡まりつき、野分の足を捕らえ海中に引きずり込もうとしていた。
「野分ッ」
「ッ……その娘、もしかして青江家の娘か」
「滄溟、助けてっ」
滄溟は走り出して野分の手を掴もうとするが、触手が邪魔をして吹き飛ばされてしまう。
海賊は「チッ」と舌打ちし、制止する子分達の声を聞かずに服を脱ぐと、青龍刀を口に咥え、野分を捕らえた触手を追って水面に勢いよく飛び込んだ。
「皆神ッ!」
滄溟は驚きを隠せなかったが自分も助けようと柵に手をかける。すると無数の触手が黒船に絡み付き、船諸共に大渦の中へと引き込んでいく。吸盤に吸い付かれた異国製の鋼鉄はギシギシと不気味な音を立てている。
「くっ、溺れる……」
大渦の中で彼が最後に見たのは、水中で青龍刀を構えた皆神が、野分を守るように海獣と対峙した姿だった。
その刀の先には怪魚のような下半身に四本の足を持ち、筋肉質な上半身の背から触手を伸ばして威嚇する、巨大な海獣がいた――。
○
――射頭茂岬
ヨイチとサロクを捕らえた船は嵐をまぬがれ射頭茂に停泊していた。海賊達はクミと兄妹を連れて夜の街へと消えた。船内には無能そうな見張りが一人……捕縛された二人を見下ろしている。
「クミッ、くそうッ」
「お前ら、こん船から逃げられるハズねぇべよ。諦めるこった」
「クミ達はどこに連れられてくんだっ」
「他人の事より自分の心配すっべよ。あの娘っ子らは美蝉……脂屋に売られるんだば。若い娘っ子はあそこに売るに限るべ」
「脂屋……ここから近いのか」
「いんや。親分さん方はこの街で一晩明かして明朝に向かうんだってばよ。美蝉はここと死國の間にある歓楽街さ。マァ、穢土の吉原までの規模はねぇんだがな」
「吉原……聞いたことあるな」
「ヨイチ……狂輪だよ。穢土の吉原、狂都の嶋原、境の芳町。この三狂輪が朝廷によって公許された遊び町だ。
そこは女の子達の人生を狂わせる……男にとっては天国でも女の子にとっては最悪の地獄だよ」
「ムヒヒッ、あの娘っ子は器量良しだ。もしかすっと傾城まで昇りつめるかも知んねぇど。そしたら、親分にガッポガッポお銭が入る」
「クソッ、そんなマネはさせねぇッ」
「捕まっとるお前らには無理だば、明日から紗治島で銀堀りだば」
「……もし、捕らえられてなかったら?」
「んあっ、お前ゃあ何をっ」
「サロクッ」
ヨイチが驚いてサロクを見ると、彼はいつの間に縄から逃れたのか、無能そうな男の横に立っていた。彼は「エイッ」と肘で男の脇腹を付くと、見張りの男はキューと言って目を回して倒れ込んだ。
「やるなっ、サロク」
「こんなバカな見張り、朝飯前さ。それよりもクミが……」
「ああ、明日には脂屋に連れて行かれちまう。急ぐぞ」
「うんッ」
サロクはヨイチの縄を外し共に船上を目指した。薄暗い廊下を進み階段を見つけて登ろうとするサロクにヨイチが「ちょっと待った」と制止して立ち止まった。途中の部屋に何かを見つけたのだ。
「あれ、例の刀じゃないか?」
「誰にも……見られたくないのだ……どこか部屋を貸してくれないか」
「う、うん……」
滄溟が空室までの道順を教えると、礼を言った宗久は逃げるようにその場をあとにした。彼を見送って神妙な顔で野分が呟く。
「あの波動砲って技。尋常じゃないわ」
「そうなの?」
「わかりやすく言うと、滄溟が長嵜で机の上の蜜柑を動かしたのが一段階目だとすると……私の気操術は十段階目か十五段階目くらい。そして彼の波動砲は軽く百段階目を越える……」
「ええッ、そんなに?」
「連続して気を操るのは本当に大変なの。魂魄を繋げている気を、一時的にでも他の用途に用いるのは非常に危険なことなのよ」
「じゃあ、もしかして彼の容姿も……」
「……あり得るわね。魂の器である魄がバランスを崩し、身体を崩壊させたのかも知れない……シッ、何か聞こえない?」
〽沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは鳩州 蜜柑船
それはどこからともなく聞こえる陽気な囃し声だった。
二人は顔を見合わせて甲板に出ると、突如として現れた何隻かの船が黒船を取り囲んでいた。船は全て丸に神の字が染め抜かれた帆を掲げていた。
「あれは、皆神水軍……」
「こんな時に海賊に囲まれるなんてっ」
「操舵長、ふりきれないかッ」
「ムリですッ、この船は小回りが利かない。囲まれちゃ身動きが取れないッ」
「しょうがない。砲撃用意ッ」
「先ほどの嵐で火薬が湿っていますっ」
「クッ……打つ手なしか」
滄溟が歯ぎしりしていると小舟を出した海賊が続々と乗船してきた。彼らは青龍刀と呼ばれる大陸製の刀を持つヒトと半獣で構成されていた。
その中でも立派なツノを生やした牡鹿の半獣が、鍛え抜かれて黒光りする体に付いた水滴を払いながら滄溟に近付いてくる。
「黒船……お前は鳩州の滄溟か」
「そういうお前は海賊……皆神だろう」
「話が早い。鳩州の黒船が食料を大量に積んでると聞いた。全て頂戴しようと思ってな」
「なっ……誰から聞いた?」
「お頭、大変だっ……ヤツが来る」
「あん? ……クラーケンかッ、お前らっ、海に獣除けを撒けっ」
「クラーケン?」
「間に合わないッ。もうそこまで来てるッ」
「チッ、食料のニオイに気付いたか。ヤツには百人束になっても敵わねぇ、逃げるぞ」
「合点承知っ」
「ちょっと待ってっ、クラーケンってなんなのよ」
「嵐を呼び、津波を操る海の化物さ。お前らの食糧を狙ってるのは俺たちだけじゃねぇってことだ」
「クッ……一難去ってまた一難とはこのことねっ」
「俺たちゃ先にずらかるぜ。あばよ、ボウズ」
「待てっ」
「キャァ」
小舟で退散する海賊を目で追う滄溟が振り返ると、巨大な触手が黒船に絡まりつき、野分の足を捕らえ海中に引きずり込もうとしていた。
「野分ッ」
「ッ……その娘、もしかして青江家の娘か」
「滄溟、助けてっ」
滄溟は走り出して野分の手を掴もうとするが、触手が邪魔をして吹き飛ばされてしまう。
海賊は「チッ」と舌打ちし、制止する子分達の声を聞かずに服を脱ぐと、青龍刀を口に咥え、野分を捕らえた触手を追って水面に勢いよく飛び込んだ。
「皆神ッ!」
滄溟は驚きを隠せなかったが自分も助けようと柵に手をかける。すると無数の触手が黒船に絡み付き、船諸共に大渦の中へと引き込んでいく。吸盤に吸い付かれた異国製の鋼鉄はギシギシと不気味な音を立てている。
「くっ、溺れる……」
大渦の中で彼が最後に見たのは、水中で青龍刀を構えた皆神が、野分を守るように海獣と対峙した姿だった。
その刀の先には怪魚のような下半身に四本の足を持ち、筋肉質な上半身の背から触手を伸ばして威嚇する、巨大な海獣がいた――。
○
――射頭茂岬
ヨイチとサロクを捕らえた船は嵐をまぬがれ射頭茂に停泊していた。海賊達はクミと兄妹を連れて夜の街へと消えた。船内には無能そうな見張りが一人……捕縛された二人を見下ろしている。
「クミッ、くそうッ」
「お前ら、こん船から逃げられるハズねぇべよ。諦めるこった」
「クミ達はどこに連れられてくんだっ」
「他人の事より自分の心配すっべよ。あの娘っ子らは美蝉……脂屋に売られるんだば。若い娘っ子はあそこに売るに限るべ」
「脂屋……ここから近いのか」
「いんや。親分さん方はこの街で一晩明かして明朝に向かうんだってばよ。美蝉はここと死國の間にある歓楽街さ。マァ、穢土の吉原までの規模はねぇんだがな」
「吉原……聞いたことあるな」
「ヨイチ……狂輪だよ。穢土の吉原、狂都の嶋原、境の芳町。この三狂輪が朝廷によって公許された遊び町だ。
そこは女の子達の人生を狂わせる……男にとっては天国でも女の子にとっては最悪の地獄だよ」
「ムヒヒッ、あの娘っ子は器量良しだ。もしかすっと傾城まで昇りつめるかも知んねぇど。そしたら、親分にガッポガッポお銭が入る」
「クソッ、そんなマネはさせねぇッ」
「捕まっとるお前らには無理だば、明日から紗治島で銀堀りだば」
「……もし、捕らえられてなかったら?」
「んあっ、お前ゃあ何をっ」
「サロクッ」
ヨイチが驚いてサロクを見ると、彼はいつの間に縄から逃れたのか、無能そうな男の横に立っていた。彼は「エイッ」と肘で男の脇腹を付くと、見張りの男はキューと言って目を回して倒れ込んだ。
「やるなっ、サロク」
「こんなバカな見張り、朝飯前さ。それよりもクミが……」
「ああ、明日には脂屋に連れて行かれちまう。急ぐぞ」
「うんッ」
サロクはヨイチの縄を外し共に船上を目指した。薄暗い廊下を進み階段を見つけて登ろうとするサロクにヨイチが「ちょっと待った」と制止して立ち止まった。途中の部屋に何かを見つけたのだ。
「あれ、例の刀じゃないか?」
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