魂魄シリーズ

常葉寿

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第一章「外套男郷愁(だんだらおとこのたそがれ)」

【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』4話「殺生石」

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 ――ある山の麓

 強い風が吹く平原にポツリと大きな岩がある。

 ボタッと音がし、焚き火をする初老の行商は驚き振り返ると鳥が落ちていた。ハテ面妖めんようなといぶかしんだ行商だが、空腹なので落ちた鳥でも食おうかと準備を始める。

 長旅は酷だ。すぐに食料や水は底を尽き、空腹と喉の渇きが無慈悲にも襲いかかる。運よく雨も降ってきたので、彼は急いで雨水を貯める容器を探すが見つからない。

「うん? もう一羽……」

 怪訝けげんな顔で再び落ちた鳥を掴む。これで二羽目だが多いに越したことはない。そう思った行商は雨水を貯めるために、寄りかかった岩を削り出そうと道具を取り出した。

 不思議なことに岩はみるみるうちに削られていき、それが雨水を溜められる鉢の形になるまで、そう時間はかからなかった。

「よしよし、これで水が飲める」

 喜んだ行商は起こした焚き火に羽をむしった鳥を投げ入れて食らう。空腹に雨水と肉が染み渡った。すぐに一羽を平らげて、少し悩んだあと残った鳥も焚き火に投げる。

 ――ボタッ

 なにかが落ちた音がして振り向くと、やはり死んだ鳥だった。いよいよ不可解だと行商が立ち上がると、数十の鳥が次々に落下してきた。空腹のあまり幻覚でも見たかと狼狽ろうばいしたが、気持ちを落ち着かせようと慌てて鉢の水を飲む。

「ええっ」

 行商はさらに驚いて跳びあがる。水の張った鉢に映った姿は数十年前の若い自分だったのだ。震える両手を見ると雨の雫さえも弾く、皺一つない若者の手があった。


 ――命を自在に操る石だと。そんなものがあるものか

 ――見てみろ俺の顔を。二十歳の時に若返っているじゃないか

 
 若返った行商は仲間に自分の顔を見せた。同年にも関わらず二人は親子以上の差があった。行商は続ける。

「お前も試してみろ。女房の病気が治るかも知れないぜ」

「不治の病と医者がサジを投げた病気だ。治ったら奇跡……まさに神様岩だ」

 彼はそう言って勘定を済ますと居酒屋を後にした。

 翌日。顔を真っ赤にした友人は店にはいるやいなや、行商に向かい興奮して叫んだ。

「おい、あれは本当に神様岩だっ、女房の病が治っちまった」

「言っただろ。あの岩には特別な力があんだよ」

 それを聞いた居酒屋の客たちは次々に岩から石を削りに向かった。その噂が新たに噂を呼び、多くのヒトの手に石が渡り岩は姿を消した。

 石に触れた者は若返り、ある者は病が治り、そしてある者は体調を悪化させて死んだ。それはいつしかヒトの手から半獣の手にもわたり、生殺与奪せいさつよだつの石――殺生石さっしょうせきと呼ばれるようになった。

「殺生石だと?」

 石を受け取った鳥の半獣は、太い眉を寄せて怪訝そうに見つめた。彼は白い翼を広げると彼ら半獣を束ねる獅子王のもとに知らせに向かった。彼は走るよりも飛ぶ方が早い。ほどなくして王が住む宮殿に辿り着く。

「ホムラよ……どうした。珍しく青い顔をして」

「大変だ。生命を自在に操る石が巷に蔓延はびこっている」

「なんだと」

 獅子王は威風堂々とした体をおもむろに玉座から持ち上げ、駆け寄ったホムラから石を受け取った。それは美しくも禍々しい邪悪な輝きを放っている。

「この小さな石は病を治しときには悪化させるだけだが、ある行商が持つ石鉢は更に効力があるそうだ。何でも石鉢に入れた水を飲むと数十年も若返るという」

「若返りの水を作る石鉢……そのようなものが在るものか」

 獅子王はそう言うと再び玉座に座り、眼鏡をかけて書類に目を通し始めた。

 彼の治める半獣の国は様々な半獣で構成されている。種族により特徴が異なり、個性的な彼らの調和を保つためには、獅子王の限られた時間では足りないほど忙しかった。

「王よ、これは由々ゆゆしき事態だ。限られた命を操る物があっては、いつしか争いに繋がるぞ」

「ホムラ……お前がこの国に来てからずいぶん経つな」

「ああ、身元の分からない我らを受け入れてくれて本当に感謝している」

 ホムラはそう言うと獅子王に頭を下げた。彼は地球の生まれではない。蓬莱族と共に月に住む鳳凰族だが、ある病から逃げて来たのだ。彼はトリ族と素性を隠して彼らに紛れていた。

「その間に何か大きな事件はあったか。なんの争いごともなかったではないか」

「そうだが……」

 ホムラはなおも食いついた。彼がかつて住んでいた月では病の重大さに気付けず放置し、取り返しの付かない事態を招いてしまった。彼は早急の対処が事態の悪化を防ぐことを学んでいた。

「その石鉢を持つ行商を確認すればよいではないですか。父上は忙しいし……僕とホムラで向かいます」

「レオン……」

 ホムラはふり返り半獣の若者を見つめた。彼は獅子王の息子で継承者と期待されている青年だ。近ごろは自分の娘サツキと仲がいいので、彼と二人になれるのは好都合だ。

 身元を隠しているため正直に言えないが、娘は半獣ではなく、月の民である鳳凰族……決して結ばれることがあってはならない。釘を刺しておく必要があった。

「そうだな。私とレオンで様子を見て来よう」

「なにか問題があれば対処する。二人で行って来てくれ」

 獅子王は書類から目を離さずに呟いた。ホムラとレオンは王の間をあとにすると、領土から出て行商が頻繁に現れる町へと向かう。

「レオン……サツキのことをどう思っているのだ」

「なんだ唐突に。彼女は強く美しい。まるでこの世の者とは思えん」

 若獅子の半獣は父ほどではないにしろ豊かなたてがみを撫でる。その表情は次代の王に相応しく凛としていた。ホムラは苦虫を噛み潰したような表情で続ける。

「お前に娘は相応ふさわしくない……なんと言ったらいいか、難しいが」

「ハハハ、なにを言っている。僕がサツキに恋しているとでも? いいや、僕はほかの奴らと一緒さ。慈愛溢れる彼女を崇める者の一人に過ぎない」

「そうか……」

 それを聞いてホムラは安堵する。月の民である彼らには生まれつき特別な能力が備わっている。

 生きとし生ける存在を分け隔てなく愛するのだ。これは簡単なようで難しい。その精神に感銘を受ける他種族が鳳凰族に魅了され彼らの元に自然と集まった。
  
 サツキも例外ではなく、迫害された蜈蚣むかで大蛇おろち蝦蟇がまにまで優しく手を差し伸べた。

 彼らはサツキの虜だったが、彼女は彼らを尊重し平等に愛した。すると彼らは言葉には出さなくてもサツキの考えをくみとり、自然に彼女が考えたように行動するのだ。

「不思議だ。彼女にはまるで心を……魂を操られているような不思議な感覚がする。だがそれは決して苦痛ではないいのだ」

「そうか……」

 獅子王の息子は心地良さそうに風に鬣を靡かせる。ホムラはそんな様子を横目で見て相槌あいずちを打つ。他種族が鳳凰族に魅了されるのは不思議なことではない。この地に来てから多くの種族から慕われるのを彼自身も感じていた。

「む、あれは……行くぞっ」
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