魂魄シリーズ

常葉寿

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第二章「待希望砂星(まちのぞむきぼうすなぼし)」

【魂魄・参】『時空を刻む針を見よ』12話「戎の釣り竿」

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 ――西ノ宮にしのみや

 この宮は良縁を授ける七福神――えびす天神が祀られている。右手で釣り竿を担ぎ、左手で大きな鯛を抱えた漁業の神で、商売繁盛しょうばいはんじょう五穀豊穣ごこくほうじょうをもたらすが、たまに良縁祈願りょうえんきがんも叶えるらしい。

「やい太郎……そろそろ私は疲れてしまったぞ。この辺りで休もう」

「皇子さま、もう少しで都ですよ」

 二人は無事に西ノ宮で良縁を願って祈った。太郎冠者も年頃だと言うのにまだ嫁がないので、ついでに祈っておく。
 戎神社は荘厳で格式高く、彼らは天神につつしんで祈願した。道中に皇子が戎天神の前名は恵比寿えびす三郎だと言ったところ、太郎は木比寿きびす三郎であると言った。

 これは彼の言い間違いであったが、天邪鬼あまのじゃくな太郎は訂正せず、絵馬のように絵に描かれると「え」びす三郎と言い、彫刻のように木で彫られると「き」びす三郎だと屁理屈へりくつをこねて祈った。

 どこかで信心深くないところがある彼は、自分の「太郎」、弟の「次郎」に続く「三郎」なので軽んじていたのだ。

「イヤ、ムリだ。もう日も落ちてだいぶ経つではないか。暗くてとても歩けん」

「このままでは野宿……あ、アレッ?」

「どないした」

「申し訳ございませんッ。すでに都を過ぎて……美和湖びわこに近い」

「な、なにぃっ」

 縦横に動かした地図を見て動揺する太郎に、皇子は顔を赤くして怒った。覇道皇に比べると温厚な息子だが、太郎の数々の失敗にはガマンの限界だった。

 太郎は有能で勤勉でこそあるが、考えずに行動しては失敗し、物事を熟慮する性分ではなかった。

「どうしましょう……」

「野宿するほかあるまい。やれやれ」

「申し訳ありませんっ」

 焚き火をし、皇子の寝床をこしらえると太郎も離れて横になった。

 暗い森で静寂に包まれると、すぐにフクロウや虫の音が聞こえてくる。春なのにまだ夜は底冷えし、旅の疲れか強烈な睡魔が襲ってくる。

 焚き火の温かさは彼をたちまち夢の世界へと誘った――。

 ――太郎、太郎よ

 声が聞こえて目を覚ますと、目の前で戎天神が微笑んで彼を見下ろしていた。

「お戎さま……」

「太郎よ。お前は名を間違えて正さぬまま、他の神に祈ったな」

「そ、それは……申し訳ありませんっ、つい出来心でっ」

「本来であれば、お前にも美しい嫁を授けたいが……ううむ」

「お願いしますっ、自分にも妻を……」

 すると懇願する太郎から戎天はどんどん離れていった。太郎がどれだけ駆けても、どれだけ手を伸ばしても笑いながら消えていく――。

「ハッ……夢か」

「太郎、どうした、悪夢でも見たのか。泣き喚いていたぞ」

「お、皇子さま……」

 ふと目を覚ますと彼は森の中にいた。毛布を跳ね除けて辺りを見回すが戎天神の姿はない。

「お戎さま……」

「おぉ、そなたも戎天の夢を見たか。私もだ……美しい妻を授けると言ってくれたぞ」

「そうですか……ん、これは?」

 太郎が拾い上げたのは不思議な気をまとった釣り竿だった。

 まるで神木から削り出したような厳かな気を醸し出している。

 しばらく思案してから彼はひらめいた。戎はいつも鯛と共に釣り竿を担いでいるから「神の力が宿るこの竿で妻を釣りあげよ」というお告げなのだ……と。

「皇子さま、この釣り竿で妻を釣りあげるのですっ」

「そうかっ……よし、どこへ投げようか……うん、あそこに池がある!」

 皇子は月に照らされた森の先にある小池を見つけ駆け寄った。舌舐めずりをして竿を池に放つと、しばらくしてから糸を引く大きな手応えを覚えた。

「おっおぉ!……何かが引っかかったぞ」

「きっと美女ですっ、取り逃がさないように」

 池に引きずり込まれそうな皇子の腰に太郎は手を回して、顔が赤くなるまで思い切り踏ん張った。「うぅっ、もう少しだ」と皇子が釣り上げると、目の前にはこの世の者とは思えぬ絶世の美女が釣り上げられていた。

「お、お前は何者だっ」

「私は良縁を求める娘。戎天に祈願して居りましたら、天から釣り針にしがみ付けとお告げを受けたので、そのようにしておりました……気付けばこの場所に。貴方さまは?」

「私は朝廷の皇子だ。どうやら神は私たちの縁を結んでくれたらしい」

「嬉しい……それでは貴方さまの奥方になれるのですね」

「そうだ。朝も夜も可愛がってやるぞ」

「嬉しい。私……元気な男の子を四人生みますわ」

 そう言うと、恥ずかしそうにうつむく美女は、腕を広げた皇子の胸の中に飛び込んだ。太郎はその様子を羨ましそうに見てから、皇子の持つ釣り竿を見つめた。

(……羨ましい。私も可愛い嫁さんが欲しいっ)

 ふと考える。

 自分は西ノ宮で戎天の名を間違えたまま、木比寿三郎に祈ってしまった。このまま皇子のようにすれば、が釣れてしまうかもしれない……なんだかヤな予感がする。

「そうだっ……」

 太郎冠者はある事を思い付く。

 弟と共に研究している陰陽術。その一つである召喚術の触媒しょくばいに、この釣り竿を用いることはできないだろうか。

 召喚術は、記憶の泉にある概念を一時的に出現させるものだ。だが、素手ではあまり大きな概念は召喚できない。

 そこでこの神通力のある釣り竿を使えば、大きく強力な概念をも釣り上げられるのではないか。少なくとも今の自分は嫁よりも陰陽所だ――。

 太郎は自分の両手を見つめ刻まれた才覚線さいかくせんを信じることにした。

 強力な概念を皇子の前で召喚できれば、覇道皇に対して大きな土産となる。次郎のお陰で陰陽所の新設は期待できそうだが……より確かな安心が欲しい。

 それに何としても出世して……故郷の母親に楽させてやりたかった。

「その釣り竿を私にお貸しください。私も釣り上げてみますっ」

「うむうむ、太郎も嫁を釣りあげよ」

 皇子から釣り竿を受け取りまじまじと見ると、やはり神がかった異質の気に満ちている。

(なるほど……これは期待できるぞ)

 次郎もさぞや腰を抜かして驚くだろうが……この池は強力な概念を召喚するには小さ過ぎる。

 太郎が適当な大きさの池を探していると、草をかき分けて進んだ先に、海かと見間違うばかりの巨大な――美和湖びわこに行き当たった。

「ここなら……」

 太郎は神経を集中させて釣り竿を湖に投げる。糸は真っ黒な夜の水面に吸い込まれると何かに当たった。引き上げようとするが、湖の中にある何かは非常に力が強く、太郎は逆に引っ張られてしまう。

「だ、ダメだ……引きこまれるッ」

 気付いた頃にはすでに遅く、彼は真っ暗な湖の中で藻掻もがきながら沈んでいった。それまで泳ぎは苦手でなかったが、釣り竿を失いたくない彼は、離すこともできず溺れるしかなかった。

「ガブガボがブブっッ……あゥっ?」

 ずっと釣り竿を放さずに溺れて気を失った彼が見たのは、泡に包まれた水中都市の姿だった――。
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