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第四章「美雪吹雪喜(みゆきにふくゆきはよろこび)」
【魂魄・肆】『鬼神啼く声儺にて聞く』34話「決意」
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「ただいま……今日はこれだけだよ」
「おかえり、寒かったかい」
心情を悟られないように無理に作った笑顔で孫を迎える。
肩に積もった雪を掃う孫は本当に袖萩に似ている。美しく育った孫娘を見ると、それだけで思わず表情が緩む。
「おやおや、今日は蜜柑がこんなに……」
何気ない一言。もちろん他意はない。
そればかりか、この凍てつく冬山で蜜柑を数個得ることの大変さは身に染みて分かっている。かつて謙丈が取ってきた蜜柑を思い出しただけだった。
しかし、雪山の寒さで体の芯まで凍りつき、疲労困憊で帰ったばかりの孫を苛立たせる一言になった理由としては……充分だった。
「うるせんだよッッ婆ぁッッ、こっちは朝から晩まで雪道を歩いて探したんだ。家でのほほんとしてるお前を食わせるためだよッ、なんで嫌味を言われなきゃならないんだッ。母さんを追い出した鬼婆めっ、早く死んでしまえッ、このごくつぶしッッ」
そこまで言って固まる喜美。
自分の口から出た言葉が信じられないと言った様子で立ち竦む。
物心ついた時から祖母に対する言葉にできない怒り。言ってはならない言葉は彼女自身も気付かぬうちに蓄積され堰を切ったように溢れ出す。
そんな孫娘の狼狽する姿を見る事ができずに、老婆は俯いてただ一言だけ言うのが精いっぱいだった。
「そうだね……本当にごめんね」
この言葉も、また濱遊がずっと孫に伝えられなかった本心だった。
彼女が心を開かない理由もわかる。
物心ついた時に自分が彼女と母親とを引き離してしまったのだ。そして彼女に流れる血をひた隠しにするあまり真実も告げられず、こうして虚しく日々を送ることしかできない。
(そろそろ……潮時かね)
かつて海の妖怪だった老婆は決意する。
このままでは愛しい孫の感情を逆撫でするだけだ。ひっそりと家を出て姨捨山に向かおう。
この東北では食い扶持を減らすために老人が山に捨てられる風習がある。自分がいなくなれば秘密も墓場に持ち込める。
これでようやく肩の荷が降りるというものだ――。
○
「……」
「……」
老婆――安達ヶ原の鬼女と呼ばれた濱遊。
かつては死を覚悟した彼女だが、いつか出生を知る孫娘が心配で、ここまで生き延びてしまったという。
そんな彼女の告白を黙って聞く鬼道丸。
トキとハルはかける言葉も見当たらない。けれど、そんな沈黙を破った者がいた。それは鬼道丸と同じ半妖の多蛾丸だった。
「今度は鬼道丸……いや喜美、君の番だよ」
「……うん」
そう呟いて俯く彼女は、表情を悟られないようにしている……。
○
――安達ヶ原の屋敷
謙丈が家族のために主を売り、その息子を愛した袖萩が拒まれ、そして濱遊がたった一人で孫を育てた屋敷に――ポツリと喜美だけが残された。
「お祖母ちゃん……」
尚も彼女を許せない喜美は祖母を心配する本音に蓋をして、頑固にも孤独に耐えていた。意地と後悔の狭間で塞ぎ込む毎日。
そんな寂しい日々に終止符を打ったのは、森の精霊たちだった。
「えっ、なに……妖怪?」
「そうかも知れないし……」
「……そうじゃないかも知れない」
「あなたが思った姿が……」
「……私たちの姿だよ」
それは双子の少女だった。
名を聞くとスダマとミズハという名の魑魅魍魎らしい。いかにも悪戯好きそうな彼女たちは、草花に雨水の雫が落ちただけでコロコロと笑い合い、その屈託のない素朴な笑顔は、次第に塞ぎ込んだ喜美の表情を変えていった。
「君の名は?」
「なんていうの?」
双子は興味深そうに尋ねた。彼女は「喜美……」と呟くが、双子は真剣な眼差しの彼女を見てプーっと噴き出した。
「キミの名が……」
「……キミッ」
顔を真っ赤にして喜美は双子を追う。
大嫌いな雪だらけの世界が冬の光に照らされてキラキラと幻想的に彼女たちを包む。そして昨晩に降った新雪に双子と共にパフッと倒れ込んだ。
「もぉ……色々めんどい」
「じゃあサ、人間……やめちゃいなよっ」
「うんうん、妖怪の方が楽しいよっ」
嬉々とした表情をする双子に挟まれて喜美は考え込む。確かに何かが変わるきっかけが欲しかった。母を自害に追いやった祖父、そして彼の言うままでいる弱い祖母、小さな頃から誰かに甘えてみたかった。
素直になれない自分。
そんな心に生まれた小さなシコリは、いつしか拭い去る事のできない妄執となっていた。
「やめちゃおうかな……人間」
「そうしなよっ」
「ねぇ、名前はどうするっ?」
思い悩む自分の事など興味無さそうに、双子は妖怪となったあとの名の当てっこをしている。
しがらみなど知らずにただ遊んで悪戯をする。喜美の瞳には彼女たちが雪の結晶よりも輝いて写った。
「鬼道丸……私は鬼の道を進む。もう後戻りはできないの」
それは祖母を罵り、かつて母がされたように老婆を追い込んでしまった自分への自戒。あんなに大切に自分を育ててくれた祖母を傷付けた罰。
彼女はその行為が人道に反れたことを理解していた。
「ぷくぅッ、何それダサぁいっ!」
「男の子みたいっ!」
真剣な彼女とは裏腹に、山川に棲みつく悪戯好きの双子の妖精は笑い転げるのだった――。
○
「人間が妖怪に……」
「……そんな事ってあるの?」
「目の前にいる私が証拠よ」
トキとハルはマジマジと彼女を見る。
確かに目前の少女は人間とどこか違っている。本人がそう言うのだから人が妖怪化するのも不思議ではないと納得した。
「私は人間をやめて妖怪になった。双子と共に野山を巡り、霞を食して木漏れ日の下で寝た。彼女たちの悪戯でだいぶ心は軽くなっていた。そこへ……出会ったのが多蛾丸だった」
「僕はその頃、自分と同じ半妖や妖怪を探していた。人間はきっと理解してくれない。信じられるのは彼らだけだと思って」
鬼道丸は続ける。
元より山川の妖怪であった双子と異なり、自分は妖怪化した元人間。やはり自分と彼女たちとはどこか違うと認識していたところへ、同じ半妖である彼が現れた。
同様の立ち位置にいる彼とはすぐに打ち解けて、心情を分かち合うことができたという。
「私は多蛾丸に心の内を語った。祖母に辛くあたり、彼女を山に追いやったこと、鬼女だと罵倒したこと、どうしても許せないこと……」
「喜美ちゃん……」
老婆は涙していたが眼光は真っ直ぐに孫娘を見つめている。もう弱い自分を変えなくてはならない。自分が妖怪であるという事実を隠したばかりに、愛する孫を妖怪にしてしまった。
そう……逃げとはまるで海水のようだ。喉が渇いた時に飲む海水。渇きを潤すどころか、飲めば飲むほど苦しむことになる。そこへ……。
「おかえり、寒かったかい」
心情を悟られないように無理に作った笑顔で孫を迎える。
肩に積もった雪を掃う孫は本当に袖萩に似ている。美しく育った孫娘を見ると、それだけで思わず表情が緩む。
「おやおや、今日は蜜柑がこんなに……」
何気ない一言。もちろん他意はない。
そればかりか、この凍てつく冬山で蜜柑を数個得ることの大変さは身に染みて分かっている。かつて謙丈が取ってきた蜜柑を思い出しただけだった。
しかし、雪山の寒さで体の芯まで凍りつき、疲労困憊で帰ったばかりの孫を苛立たせる一言になった理由としては……充分だった。
「うるせんだよッッ婆ぁッッ、こっちは朝から晩まで雪道を歩いて探したんだ。家でのほほんとしてるお前を食わせるためだよッ、なんで嫌味を言われなきゃならないんだッ。母さんを追い出した鬼婆めっ、早く死んでしまえッ、このごくつぶしッッ」
そこまで言って固まる喜美。
自分の口から出た言葉が信じられないと言った様子で立ち竦む。
物心ついた時から祖母に対する言葉にできない怒り。言ってはならない言葉は彼女自身も気付かぬうちに蓄積され堰を切ったように溢れ出す。
そんな孫娘の狼狽する姿を見る事ができずに、老婆は俯いてただ一言だけ言うのが精いっぱいだった。
「そうだね……本当にごめんね」
この言葉も、また濱遊がずっと孫に伝えられなかった本心だった。
彼女が心を開かない理由もわかる。
物心ついた時に自分が彼女と母親とを引き離してしまったのだ。そして彼女に流れる血をひた隠しにするあまり真実も告げられず、こうして虚しく日々を送ることしかできない。
(そろそろ……潮時かね)
かつて海の妖怪だった老婆は決意する。
このままでは愛しい孫の感情を逆撫でするだけだ。ひっそりと家を出て姨捨山に向かおう。
この東北では食い扶持を減らすために老人が山に捨てられる風習がある。自分がいなくなれば秘密も墓場に持ち込める。
これでようやく肩の荷が降りるというものだ――。
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「……」
「……」
老婆――安達ヶ原の鬼女と呼ばれた濱遊。
かつては死を覚悟した彼女だが、いつか出生を知る孫娘が心配で、ここまで生き延びてしまったという。
そんな彼女の告白を黙って聞く鬼道丸。
トキとハルはかける言葉も見当たらない。けれど、そんな沈黙を破った者がいた。それは鬼道丸と同じ半妖の多蛾丸だった。
「今度は鬼道丸……いや喜美、君の番だよ」
「……うん」
そう呟いて俯く彼女は、表情を悟られないようにしている……。
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――安達ヶ原の屋敷
謙丈が家族のために主を売り、その息子を愛した袖萩が拒まれ、そして濱遊がたった一人で孫を育てた屋敷に――ポツリと喜美だけが残された。
「お祖母ちゃん……」
尚も彼女を許せない喜美は祖母を心配する本音に蓋をして、頑固にも孤独に耐えていた。意地と後悔の狭間で塞ぎ込む毎日。
そんな寂しい日々に終止符を打ったのは、森の精霊たちだった。
「えっ、なに……妖怪?」
「そうかも知れないし……」
「……そうじゃないかも知れない」
「あなたが思った姿が……」
「……私たちの姿だよ」
それは双子の少女だった。
名を聞くとスダマとミズハという名の魑魅魍魎らしい。いかにも悪戯好きそうな彼女たちは、草花に雨水の雫が落ちただけでコロコロと笑い合い、その屈託のない素朴な笑顔は、次第に塞ぎ込んだ喜美の表情を変えていった。
「君の名は?」
「なんていうの?」
双子は興味深そうに尋ねた。彼女は「喜美……」と呟くが、双子は真剣な眼差しの彼女を見てプーっと噴き出した。
「キミの名が……」
「……キミッ」
顔を真っ赤にして喜美は双子を追う。
大嫌いな雪だらけの世界が冬の光に照らされてキラキラと幻想的に彼女たちを包む。そして昨晩に降った新雪に双子と共にパフッと倒れ込んだ。
「もぉ……色々めんどい」
「じゃあサ、人間……やめちゃいなよっ」
「うんうん、妖怪の方が楽しいよっ」
嬉々とした表情をする双子に挟まれて喜美は考え込む。確かに何かが変わるきっかけが欲しかった。母を自害に追いやった祖父、そして彼の言うままでいる弱い祖母、小さな頃から誰かに甘えてみたかった。
素直になれない自分。
そんな心に生まれた小さなシコリは、いつしか拭い去る事のできない妄執となっていた。
「やめちゃおうかな……人間」
「そうしなよっ」
「ねぇ、名前はどうするっ?」
思い悩む自分の事など興味無さそうに、双子は妖怪となったあとの名の当てっこをしている。
しがらみなど知らずにただ遊んで悪戯をする。喜美の瞳には彼女たちが雪の結晶よりも輝いて写った。
「鬼道丸……私は鬼の道を進む。もう後戻りはできないの」
それは祖母を罵り、かつて母がされたように老婆を追い込んでしまった自分への自戒。あんなに大切に自分を育ててくれた祖母を傷付けた罰。
彼女はその行為が人道に反れたことを理解していた。
「ぷくぅッ、何それダサぁいっ!」
「男の子みたいっ!」
真剣な彼女とは裏腹に、山川に棲みつく悪戯好きの双子の妖精は笑い転げるのだった――。
○
「人間が妖怪に……」
「……そんな事ってあるの?」
「目の前にいる私が証拠よ」
トキとハルはマジマジと彼女を見る。
確かに目前の少女は人間とどこか違っている。本人がそう言うのだから人が妖怪化するのも不思議ではないと納得した。
「私は人間をやめて妖怪になった。双子と共に野山を巡り、霞を食して木漏れ日の下で寝た。彼女たちの悪戯でだいぶ心は軽くなっていた。そこへ……出会ったのが多蛾丸だった」
「僕はその頃、自分と同じ半妖や妖怪を探していた。人間はきっと理解してくれない。信じられるのは彼らだけだと思って」
鬼道丸は続ける。
元より山川の妖怪であった双子と異なり、自分は妖怪化した元人間。やはり自分と彼女たちとはどこか違うと認識していたところへ、同じ半妖である彼が現れた。
同様の立ち位置にいる彼とはすぐに打ち解けて、心情を分かち合うことができたという。
「私は多蛾丸に心の内を語った。祖母に辛くあたり、彼女を山に追いやったこと、鬼女だと罵倒したこと、どうしても許せないこと……」
「喜美ちゃん……」
老婆は涙していたが眼光は真っ直ぐに孫娘を見つめている。もう弱い自分を変えなくてはならない。自分が妖怪であるという事実を隠したばかりに、愛する孫を妖怪にしてしまった。
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