クラウン家の失墜

つなかん

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三章

モンティ・ホール問題

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「たとえばA、B、Cの三つの扉があって、どれか一つだけが当たり、新車が貰える。それで俺がAを選ぶとする。すると司会者が残りのドアのうち外れを教えます、と言ってCの扉を開けてヤギが出てくる。……そしたらチャンス! 今なら扉を変えてもいいですよ、と言われる。そしたら俺は、AをBに変えたほうが当たりの確率は倍になる」

 ダミアンは広いリビングのソファにゆったり座って、窓から外を眺めていた。暴言を吐くオリヴィアがいないおかげで静かなひとときだった。雲一つない青空に、爽やかな太陽。階下では、豆粒ほどに見える車が何台も通りを行き交っていた。
 エリオットはなぜか椅子に座らず、硬いフローリングの上で体育座りをしていた。親指の爪を噛みながら、柱の影に隠れていた。じっとりした視線をダミアンに向けている。

「モンティ・ホール問題なら知ってます」

 ダミアンはため息混じりに答えた。そう、嫌というほど知っている。現実は机の上と違ってうまくいないということを。ブラックジャックでカウント行為をすればカジノを出禁になるということを。金は持ちすぎるとロクなことにならないということを。
 この家に来てから数週間が経過した。特に変わり映えのしない毎日がすぎていくだけだった。ラスベガスのボロアパートに住んでいた時期よりも、ずっと穏やかな時間が流れている。ダミアンの人生に初めて訪れた、退屈な日常でもあった。

「小学生のとき、この話をしたら異常者扱いをされた。確率は1/3のまま変わらないって。そのとき、自分がおかしいんだと気がついた」

 エリオットは新しい家族ダミアンに慣れたのか、ときどきこうやって話しかけてくるようになった。とりとめのない、オチのない話だったがダミアンは嫌いじゃなかった。エリオットは間違いなく、〝天才〟と呼ばれるタイプの人間だった。数々の奇行も、整形手術を繰り返した人間離れした顔もその一言で許される。

「お前はその前からおかしかっただろ。蛇の脱皮した皮とか集めてたし」

 コンラッドの酒やけ声が部屋に響いた。いつの間にか、キッチンカウンターの椅子に座ってタバコを蒸かしている。エリオットは兄に視線を移し、大きくため息をついた。

「んだよその態度」
「……いや」

 ピリピリした空気が流れた。この二人もまた、仲が良い兄弟とは言えなかった。エリオットは俯いて、親指の爪を噛んだ。

「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

 コンラッドはイライラしている様子だった。いつものように昼間からアルコールの匂いを漂わせている。鼻息を荒くして、床に座り込んでいるエリオットの胸ぐらを掴む。

「なんか文句あんのかよ? あ?」

 気持ち悪いくらい、不自然に整った顔に唾が飛ぶ。兄に凄まれても、エリオットは普段のおどおどした態度を表に出さなかった。静かに凪いだ目を向ける。静かに口を開いた。

「ロールス・ロイスを乗り回してバイアグラのセールスをして回ってるやつは、世界中探したって兄さんしかいない」
「……」
「高額な慰謝料を請求されてるとか」

 コンラッドは顔を青くして指の力を緩めた。エリオットは兄を蔑んだ目で見上げて鼻で笑った。初音ミクのTシャツの胸元がだるだるに伸びきっている。

「お前だって、Googleに垢BAN食らってAmazonの物乞い欲しいものリスト公開してんじゃねーか!」

 コンラッドは大声を張り上げた。ダミアンはソファに座ったまま腕を組んだ。言い争いや喧嘩は、この家では日常茶飯事だった。
 オリヴィアの言う通り、コンラッドは不倫の慰謝料、エリオットは整形のローン代で金に困っている。

「既婚者なのにバイアグラとコンドームを持ち歩いてる気持ち悪い奴に言われたくない」

 ボソッと呟いた。コンラッドは明らかに動揺し、目を白黒させている。手がぶるぶる震えている。

「そりゃ仕事だから。仕方ないだろ」
「仕事ね、仕事」

 エリオットはやれやれと肩をすくめた。余裕そうな表情はそう長く続かなかった。コンラッドが力任せに顔を殴ったからだ。大きな鈍い音が鳴る。エリオットは床に仰向けに倒れた。顔を押さえ、呻き声を上げる。

「うぅ゛……いてーな。プロテーゼずれたらどうすんだよ」

 上半身を起こした。太陽の光に照らされて苦しそうに見える。目からぼろぼろ涙を零している。

「クソッ、コンタクトが外れた」

 コンラッドは顔を青くしたり赤くしたり忙しい。自分が殴りつけたくせに、エリオットの様子を気にかけている。ゆっくり立ち上がり、床に転がったエリオットを見下ろした。盛大なため息を吐く。

「お前さ、遺言書の偽造ってできねーの?」

 その言葉に反応したのはダミアンだった。傍目にはわからないが大きく目を見開き、ハッと息を飲む。エリオットは涙を拭い、太陽の光を避けるように柱の影に移動した。ボソボソ小さい声で返事をする。

「偽造は簡単だけど、俺には弁護士を欺くトーク力がない」
「それはおれがなんとかするよ」

 コンラッドは乱れた手首のカフスボタンを直しながら答えた。あの堅物そうな弁護士モンローを説得するのは不可能に思えた。ただ、コンラッドの営業成績は縁故入社とは思えないほど優れているのもまた事実だった。

「あのー、せめて僕のいないところで話してくれます?」

 ダミアンはとうとう耐えきれなくなり口を挟んだ。コンラッドが初めてダミアンのほうへ視線を向け、目を細めた。小さく鼻を鳴らす。

「あぁ、いたの? 気づかなかったわ」
「ノンデリ厄介野郎……デュフ」

 エリオットが自身の爪をガリガリ噛みながら、気味の悪い笑い声を漏らした。整形顔に不釣り合いな言動。猫背でオタクっぽい、どこからどう見ても不審者だった。

「あ? 厄介? そりゃ厄介だろうよ。ヤクばら蒔いてんだ。アメリカにいる保守的なキリスト教徒の、ざっと一億人には嫌われてる」

 コンラッドは弟を見て嘆息した。エリオットとは違う、いかにも真面目そうなサラリーマンの顔をしている。今しがた人を殴ったとはとても思えない。
 そして二人とも、父親を殺された息子の顔をしていなかった。金のことしか考えていない。
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