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第1章 田舎町オルディナ、石の宿命が動き出す(1)
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まだ朝露が草葉に残る頃、田舎町オルディナには小さな鐘の音が響き始める。
丘陵地帯の緩やかな坂道には淡い陽光が差し込み、遠方には一際目立つ教会の鐘楼がそびえていた。
人口は決して多くはないが、穏やかな気候と肥沃な土壌に恵まれたこの土地では、人々が互いに助け合って平和に暮らしている。
だが、この国には珍しい特徴がある。
それは通貨として「石貨」が流通していることだ。
金や銀の硬貨を主流とする他国とは異なり、この王国では頑丈な石を加工し、国章や刻印を施したものを「石貨」と呼び、主要な経済の軸としているのだ。
オルディナでも例外なく、日々の買い物や取引は石貨が使われている。
石貨は頑丈で壊れにくく、国の厳格な刻印と教会の封印術が施されていて、偽造がきわめて難しい――これが王国の誇る独自通貨制度だと言える。
もともとこの王国では質の良い石材が豊富に採れたため、都市建築や工芸品に用いるだけでなく、石そのものを貨幣化する歴史が長く続いてきたと伝わる。
長い年月を経て改良された刻印技術と封印術により、「石を刻んだだけの貨幣」がゆるぎない信用を得たのである。
しかし一方で、石貨の流通は管理が厳格であり、王都グラン・エテリオンでは石貨の大量移動や保管に常に監視の目が光っている。
もし通貨を乱す者がいれば、国の秩序が崩れかねないという、非常にデリケートな側面もあった。
そんな石貨をめぐる経済の中、オルディナの町は比較的のどかだ。
人々は石貨を布袋に入れ、握りやすいサイズの小石貨をやり取りしながら農産物や手工芸品を売買し、余った分は行商人にまとめて卸す――というのが典型的なやり方である。
だが、ここオルディナに暮らす青年リオン・アルドレアは、そんな普通の石貨経済の影からは無縁に見えながら、“石”そのものをめぐる特別な宿命を秘めていた。
◇◇◇
町の入り口に位置する、平屋建ての雑貨屋「アルドレア商店」。
ここで働く二十歳前後の青年――リオン・アルドレア。
外見はごく普通だ。
華やかとは言い難い茶髪に素朴な目つき、母親に仕込まれた倹約精神をそのまま表すような、飾り気のないシャツとベストを着ている。
強い主張もなければ、日々を無難にこなしているように見える。
だが、リオンには幼い頃から不思議な『石を操る』力があった。
「よいしょ……っと。うまく動くかな」
雑貨屋の軒先に置かれた木箱の上、リオンの手のひらで小石がすうっと浮かび上がる。
指先で触れたわけでもないのに、まるで磁力に吸い寄せられたように小石が回転し、宙に浮遊する様子は、通りかかる人にとってはちょっとした珍景だ。
けれど、リオン自身はといえば真剣な顔をしているわけでもなく、少し困ったような表情をしている。
「石を動かせるなんてすごいな」と言われることもある。
しかし実際は、小石を持ち上げたり、床の石貨を拾う程度の『便利さ』しかない。
それで大金を生むわけでも、いきなり強い攻撃魔法を放てるわけでもない。
かつて大人たちに「地味すぎて役に立たない」と言われ続けた結果、リオン自身もいつのまにか「自分の力は大したものじゃない」と思い込むようになっていた。
店の奥から、リオンの母――ベルナ・アルドレアが容赦ない呼び声を飛ばす。
「リオン! 仕入れ商品の整理は済んだの? いつまでも石で遊んでないで、早く箱を運んできなさい!」
「はい、はい……わかってるよ、母さん」
苦笑交じりに応じると、リオンは小石をぽんと手のひらへ落とし、さっさと店内へ戻る。
父のガルド・アルドレアは行商の経験を活かして町の人々に喜ばれる商品を仕入れ、母のベルナは勝気な値引き交渉で利益を生み出す。
そんな両親のもとで育ったリオンにとって、雑貨屋の仕事は『日常そのもの』だ。
石の力よりも、むしろ商売の心得を身につけることのほうが優先課題と教えられてきた。
それでも、リオンには心のどこかに拭えない疑問がある。
この力はいったい何のためにあるのか。
もし何か大切な役割があるのだとしたら、それが発揮される場面はいつ訪れるのか。
普段は『地味な小技』で済ませるしかないからこそ、漠然としたモヤモヤが胸にくすぶっていた。
◇◇◇
店の裏庭で荷ほどきをしていると、長身で剣を背負った青年――レオン・アーフィスが姿を見せた。
彼はリオンと同い年で、駐在騎士団の見習い剣士としてこの町を守っている。
漆黒の髪と精悍な顔立ち、そしてそこそこ鍛えられた体躯は、田舎の地味さとは一線を画しており、若い女性たちの注目を集めることも多い。
「よう、リオン。さっきおばさんの声が響いてたけど、またサボってたのか?」
「サボってないって。それよりお前こそ、こんな朝っぱらからどうしたんだ?」
問い返すリオンに、レオンは軽く肩をすくめてみせる。
「今日は早朝巡回があってな。お前が相変わらず石を浮かせて遊んでると聞いて、ちょいと見に来たんだ。昔から思ってたけど、やっぱり変わった力だよなあ」
レオンは石ころをつまみ上げて、ひょいとリオンに渡す。
リオンが軽く意識を向けると、その石ころがするりと宙に浮き、くるくる回転を始めた。
まるで生き物のような動きに、レオンは飽きないように見入っている。
「なんだかんだ言って、お前だけはこの力を褒めてくれるよな」
「そりゃ当然だ。お前が生まれ持った特別な力なんだから。下手に卑下することはないさ」
レオンの言葉には温かな励ましがこもっていて、リオンにとってはそれが支えだった。
幼い頃、周囲の大人から「こんな力にかまけてないで畑仕事を覚えろ」と言われたときも、レオンだけは「すごいじゃないか!」と目を輝かせてくれた。
それが嬉しかった――なんて思い出が、頭の片隅にふと浮かんでくる。
◇◇◇
そんな何気ない日常が、ある日を境に一変する。
昼下がり、オルディナの町に似つかわしくない豪奢な馬車がやって来た。
煌びやかな装飾と、屈強な護衛らしき男たち。
まるで王都の貴族が視察にでも来たかのような大袈裟さに、町の人々は緊張と興味でざわめく。
馬車はずんずん進み、やがて止まった先は――アルドレア商店だった。
「おいおい、なんだ……?」
リオンが戸惑ううち、馬車から金髪の長身の男が降りてきた。
華麗な衣装に身を包んだその姿は、一目で『ただ者ではない』と分かる。
整った容貌と、人を射抜くような眼光――彼こそ王国で名を馳せる商人ギルド「ローディン商会」の当主、ルカ・ローディンである。
「やあ、君がリオン・アルドレアだね?」
爽やかな微笑みの裏に、鋭い光を潜ませたルカは、リオンに真っ直ぐ近づく。
護衛たちが周囲を警戒する中、彼は「石を操る力を見せてくれないか」と切り出す。
何事かと色めき立つ町の人々を尻目に、リオンは動揺しつつも小石を浮かせ、ささやかな実演をしてみせた。
「ふむ、なるほど。たしかに石を動かせるらしいが……これだけか?」
「はい。こんな小技程度で、石貨を自由に増やすとか、地面を崩すとか、そんな大層なことはできません」
ルカの表情からは興味が消えない。
むしろさらに好奇心を募らせているように見える。
「王都では、君が『石貨をいくらでも増やせる怪物』みたいな噂になってるんだよ。まあ信じてはいないが、もし通貨を自在に操作できるなら、国が放っておかないだろうからね。いずれ、宰相オレストあたりから正式な召喚状が届くかもしれない。よく考えて行動したほうがいい」
ルカはそう忠告すると、アルドレア商店の商品を高額で大量購入してみせ、颯爽と馬車で去っていった。
その背中には「もし困ったら、王都で俺を訪ねろ」という言葉が残される。
町の空気が一変した。
『リオンが国から呼び出される』
そんな大事が現実味を帯びはじめ、近所の人々は心配そうにリオンを見つめる。
両親のガルドとベルナも明らかに不安げだった。
「父さん、母さん、オレ……どうしたら……」
その問いに確固たる答えを持つ者は、ここにはいない。
オルディナの穏やかさが破られた、ささやかながら決定的な瞬間だった。
丘陵地帯の緩やかな坂道には淡い陽光が差し込み、遠方には一際目立つ教会の鐘楼がそびえていた。
人口は決して多くはないが、穏やかな気候と肥沃な土壌に恵まれたこの土地では、人々が互いに助け合って平和に暮らしている。
だが、この国には珍しい特徴がある。
それは通貨として「石貨」が流通していることだ。
金や銀の硬貨を主流とする他国とは異なり、この王国では頑丈な石を加工し、国章や刻印を施したものを「石貨」と呼び、主要な経済の軸としているのだ。
オルディナでも例外なく、日々の買い物や取引は石貨が使われている。
石貨は頑丈で壊れにくく、国の厳格な刻印と教会の封印術が施されていて、偽造がきわめて難しい――これが王国の誇る独自通貨制度だと言える。
もともとこの王国では質の良い石材が豊富に採れたため、都市建築や工芸品に用いるだけでなく、石そのものを貨幣化する歴史が長く続いてきたと伝わる。
長い年月を経て改良された刻印技術と封印術により、「石を刻んだだけの貨幣」がゆるぎない信用を得たのである。
しかし一方で、石貨の流通は管理が厳格であり、王都グラン・エテリオンでは石貨の大量移動や保管に常に監視の目が光っている。
もし通貨を乱す者がいれば、国の秩序が崩れかねないという、非常にデリケートな側面もあった。
そんな石貨をめぐる経済の中、オルディナの町は比較的のどかだ。
人々は石貨を布袋に入れ、握りやすいサイズの小石貨をやり取りしながら農産物や手工芸品を売買し、余った分は行商人にまとめて卸す――というのが典型的なやり方である。
だが、ここオルディナに暮らす青年リオン・アルドレアは、そんな普通の石貨経済の影からは無縁に見えながら、“石”そのものをめぐる特別な宿命を秘めていた。
◇◇◇
町の入り口に位置する、平屋建ての雑貨屋「アルドレア商店」。
ここで働く二十歳前後の青年――リオン・アルドレア。
外見はごく普通だ。
華やかとは言い難い茶髪に素朴な目つき、母親に仕込まれた倹約精神をそのまま表すような、飾り気のないシャツとベストを着ている。
強い主張もなければ、日々を無難にこなしているように見える。
だが、リオンには幼い頃から不思議な『石を操る』力があった。
「よいしょ……っと。うまく動くかな」
雑貨屋の軒先に置かれた木箱の上、リオンの手のひらで小石がすうっと浮かび上がる。
指先で触れたわけでもないのに、まるで磁力に吸い寄せられたように小石が回転し、宙に浮遊する様子は、通りかかる人にとってはちょっとした珍景だ。
けれど、リオン自身はといえば真剣な顔をしているわけでもなく、少し困ったような表情をしている。
「石を動かせるなんてすごいな」と言われることもある。
しかし実際は、小石を持ち上げたり、床の石貨を拾う程度の『便利さ』しかない。
それで大金を生むわけでも、いきなり強い攻撃魔法を放てるわけでもない。
かつて大人たちに「地味すぎて役に立たない」と言われ続けた結果、リオン自身もいつのまにか「自分の力は大したものじゃない」と思い込むようになっていた。
店の奥から、リオンの母――ベルナ・アルドレアが容赦ない呼び声を飛ばす。
「リオン! 仕入れ商品の整理は済んだの? いつまでも石で遊んでないで、早く箱を運んできなさい!」
「はい、はい……わかってるよ、母さん」
苦笑交じりに応じると、リオンは小石をぽんと手のひらへ落とし、さっさと店内へ戻る。
父のガルド・アルドレアは行商の経験を活かして町の人々に喜ばれる商品を仕入れ、母のベルナは勝気な値引き交渉で利益を生み出す。
そんな両親のもとで育ったリオンにとって、雑貨屋の仕事は『日常そのもの』だ。
石の力よりも、むしろ商売の心得を身につけることのほうが優先課題と教えられてきた。
それでも、リオンには心のどこかに拭えない疑問がある。
この力はいったい何のためにあるのか。
もし何か大切な役割があるのだとしたら、それが発揮される場面はいつ訪れるのか。
普段は『地味な小技』で済ませるしかないからこそ、漠然としたモヤモヤが胸にくすぶっていた。
◇◇◇
店の裏庭で荷ほどきをしていると、長身で剣を背負った青年――レオン・アーフィスが姿を見せた。
彼はリオンと同い年で、駐在騎士団の見習い剣士としてこの町を守っている。
漆黒の髪と精悍な顔立ち、そしてそこそこ鍛えられた体躯は、田舎の地味さとは一線を画しており、若い女性たちの注目を集めることも多い。
「よう、リオン。さっきおばさんの声が響いてたけど、またサボってたのか?」
「サボってないって。それよりお前こそ、こんな朝っぱらからどうしたんだ?」
問い返すリオンに、レオンは軽く肩をすくめてみせる。
「今日は早朝巡回があってな。お前が相変わらず石を浮かせて遊んでると聞いて、ちょいと見に来たんだ。昔から思ってたけど、やっぱり変わった力だよなあ」
レオンは石ころをつまみ上げて、ひょいとリオンに渡す。
リオンが軽く意識を向けると、その石ころがするりと宙に浮き、くるくる回転を始めた。
まるで生き物のような動きに、レオンは飽きないように見入っている。
「なんだかんだ言って、お前だけはこの力を褒めてくれるよな」
「そりゃ当然だ。お前が生まれ持った特別な力なんだから。下手に卑下することはないさ」
レオンの言葉には温かな励ましがこもっていて、リオンにとってはそれが支えだった。
幼い頃、周囲の大人から「こんな力にかまけてないで畑仕事を覚えろ」と言われたときも、レオンだけは「すごいじゃないか!」と目を輝かせてくれた。
それが嬉しかった――なんて思い出が、頭の片隅にふと浮かんでくる。
◇◇◇
そんな何気ない日常が、ある日を境に一変する。
昼下がり、オルディナの町に似つかわしくない豪奢な馬車がやって来た。
煌びやかな装飾と、屈強な護衛らしき男たち。
まるで王都の貴族が視察にでも来たかのような大袈裟さに、町の人々は緊張と興味でざわめく。
馬車はずんずん進み、やがて止まった先は――アルドレア商店だった。
「おいおい、なんだ……?」
リオンが戸惑ううち、馬車から金髪の長身の男が降りてきた。
華麗な衣装に身を包んだその姿は、一目で『ただ者ではない』と分かる。
整った容貌と、人を射抜くような眼光――彼こそ王国で名を馳せる商人ギルド「ローディン商会」の当主、ルカ・ローディンである。
「やあ、君がリオン・アルドレアだね?」
爽やかな微笑みの裏に、鋭い光を潜ませたルカは、リオンに真っ直ぐ近づく。
護衛たちが周囲を警戒する中、彼は「石を操る力を見せてくれないか」と切り出す。
何事かと色めき立つ町の人々を尻目に、リオンは動揺しつつも小石を浮かせ、ささやかな実演をしてみせた。
「ふむ、なるほど。たしかに石を動かせるらしいが……これだけか?」
「はい。こんな小技程度で、石貨を自由に増やすとか、地面を崩すとか、そんな大層なことはできません」
ルカの表情からは興味が消えない。
むしろさらに好奇心を募らせているように見える。
「王都では、君が『石貨をいくらでも増やせる怪物』みたいな噂になってるんだよ。まあ信じてはいないが、もし通貨を自在に操作できるなら、国が放っておかないだろうからね。いずれ、宰相オレストあたりから正式な召喚状が届くかもしれない。よく考えて行動したほうがいい」
ルカはそう忠告すると、アルドレア商店の商品を高額で大量購入してみせ、颯爽と馬車で去っていった。
その背中には「もし困ったら、王都で俺を訪ねろ」という言葉が残される。
町の空気が一変した。
『リオンが国から呼び出される』
そんな大事が現実味を帯びはじめ、近所の人々は心配そうにリオンを見つめる。
両親のガルドとベルナも明らかに不安げだった。
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