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第3話
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未来を追いかけていた俺の視界から、彼女の姿が消えた。
旧校舎に入ったのは間違いないはずなのに、入り口には誰もいない。
日が傾き、辺りは急速に薄闇に包まれ始めていた。
校庭の喧騒も遠のき、まるで世界から切り離されたような静寂が支配している。
その時、微かな気配を感じて振り返る。
校舎の裏手、夕日に赤く染まる木立の影から、一人の少女が現れた。
長く艶やかな黒髪。
染みひとつない白い肌。
そして何より目を引くのは、一般的な制服とは明らかに異なる、巫女装束を思わせる和装の学生服。
背筋は弓のように真っ直ぐに伸び、足元は足袋に草履という古風な出で立ちだ。
その姿は、夕暮れの光の中で、近寄りがたいほどの厳かな雰囲気を醸し出していた。
神城澪(かみしろ みお)——彼女の名前を俺は知っていた。
学校では「神社のお嬢様」として、ある種の畏敬をもって遠巻きにされている存在だ。
東京郊外に古くから鎮座する、由緒ある神城神社の宮司の一人娘であり、若くして強力な霊力を持つと噂されている。
普段はほとんど言葉を交わしたことはないが、彼女の周りだけ空気が違うことは、誰の目にも明らかだった。
澪は人目を気にする様子もなく、旧校舎の周りをゆっくりと歩き始めた。
しかし、その動きには散策のような気軽さは微塵もない。
明確な意図を持って、何かを探っている。
まるで、目に見えない獲物を追う狩人のように、時折立ち止まり、目を閉じて深く息を吸い込む。
その白い横顔は、能面のように感情を排していたが、眉間には僅かな険しさが刻まれていた。
彼女が背負う重圧が、その張り詰めた雰囲気から伝わってくる。
俺は物陰に隠れながら、息を殺してその様子を観察していた。
彼女がここにいるということは、やはりこの旧校舎には何か「ある」のだ。
澪が再び目を閉じた瞬間、風がぴたりと止み、辺りの空気がゼリーのように固まったように感じた。
彼女の周りに、陽炎のような、しかし冷気を帯びたオーラが揺らめいた気がする。
幻覚だろうか?
いや、違う。
これは、彼女が放つ霊的な圧力だ。
彼女がゆっくりと目を開くと、その表情には明らかな嫌悪と、強い警戒心が浮かんでいた。
細く切れ長の目が鋭く細められ、白い肌に緊張が走る。
「この穢(けが)れ……尋常ではない。まるで、澱(よど)んだ沼の底のような……腐臭さえ漂ってくる」
その声は低く、しかし鈴を打つように澄んでいて、夕闇の中に響いた。
彼女が感じている「穢れ」は、単なる汚れや不潔さではない。
もっと根源的な、魂を蝕むような邪悪な気配なのだろう。
俺の「目」にはまだ靄は見えないが、肌を刺すような冷気と、胸を締め付けるような圧迫感を感じ始めていた。
澪は慎重に辺りを見回した後、懐から何かを取り出した。
白い和紙で作られた、小さな人形(ひとがた)のようなものだ。
人形代(ひとかたしろ)——神道の儀式で、穢れや厄災を肩代わりさせるために使われる依り代。
前に興味本位で読んだ民俗学の本で得た知識だ。
神城家は代々、この土地に根付く「歪み」を祓い、封じることを使命としてきた一族だという。
彼女の背負うものの重さが、その小さな人形代からも伝わってくるようだった。
彼女はその人形代に向かって静かに口元を寄せ、古(いにしえ)の言葉らしきものを囁いた。
そして軽く息を吹きかけると、両手で丁寧に持ち、旧校舎に向かって放った。
人形代は風もないのに、まるで生き物のように宙を舞いながら校舎に向かって飛んでいく。
そして校舎の壁に触れた瞬間、ぶるぶると微かに震え始めた。
その清浄なはずの白い紙が、まるで墨汁を吸い込むかのように、急速に黒ずんでいく。
瘴気(しょうき)に汚染されていく様が、俺の目にもはっきりと見えた。
壁の向こうから、微かに、押し殺したような呻き声が聞こえた気がした。
人形代は力なく風に乗り、澪の元へと戻ってきた。
彼女はそれを両手で受け取り、真っ黒に変色し、所々が焼け焦げたように崩れた紙の状態を、眉をひそめながら観察している。
指先が微かに震えていた。
彼女ほどの術者が動揺するほどの、強烈な穢れなのだ。
「これほどの穢れ……まるで『鬼門』が開いているかのよう。放置すれば、学園全体が汚染される」
澪は人形代を慎重に懐紙に包み、懐に納めた。
彼女の立ち姿は、以前にも増して張り詰めた緊張感に満ちていた。
澪は旧校舎に最後の一瞥を投げかけると、踵(きびす)を返し、迷いなく歩き始めた。
その足取りは静かだが、決意に満ちている。
和装の裾が夕暮れの中で揺れる。
彼女の周りには、透明な結界のようなものが揺らめき、穢れを寄せ付けまいとしているのが見えた。
「八百万(やおよろず)の神々の領域を乱すもの……神城の名において、看過できぬ」
彼女の囁きは、決意と共に風に乗って消えていった。
その声には、これから単身で立ち向かうであろう強大な敵への覚悟が滲んでいた。
澪の姿が夕闇の中に溶け込み、やがて見えなくなった。
俺は息を呑むように彼女の後ろ姿を見送った。
あれは何だったのか。
彼女が見たという「穢れ」とは?
そして、未来が入ったはずの旧校舎との関連は?
何か大きな謎が、この学校の、この古い土地の記憶に根差した何かが、動き始めている。
それは未来の変化、俺の悪夢、そして今の澪の行動——全てが繋がっているような気がしてならなかった。
旧校舎に入ったのは間違いないはずなのに、入り口には誰もいない。
日が傾き、辺りは急速に薄闇に包まれ始めていた。
校庭の喧騒も遠のき、まるで世界から切り離されたような静寂が支配している。
その時、微かな気配を感じて振り返る。
校舎の裏手、夕日に赤く染まる木立の影から、一人の少女が現れた。
長く艶やかな黒髪。
染みひとつない白い肌。
そして何より目を引くのは、一般的な制服とは明らかに異なる、巫女装束を思わせる和装の学生服。
背筋は弓のように真っ直ぐに伸び、足元は足袋に草履という古風な出で立ちだ。
その姿は、夕暮れの光の中で、近寄りがたいほどの厳かな雰囲気を醸し出していた。
神城澪(かみしろ みお)——彼女の名前を俺は知っていた。
学校では「神社のお嬢様」として、ある種の畏敬をもって遠巻きにされている存在だ。
東京郊外に古くから鎮座する、由緒ある神城神社の宮司の一人娘であり、若くして強力な霊力を持つと噂されている。
普段はほとんど言葉を交わしたことはないが、彼女の周りだけ空気が違うことは、誰の目にも明らかだった。
澪は人目を気にする様子もなく、旧校舎の周りをゆっくりと歩き始めた。
しかし、その動きには散策のような気軽さは微塵もない。
明確な意図を持って、何かを探っている。
まるで、目に見えない獲物を追う狩人のように、時折立ち止まり、目を閉じて深く息を吸い込む。
その白い横顔は、能面のように感情を排していたが、眉間には僅かな険しさが刻まれていた。
彼女が背負う重圧が、その張り詰めた雰囲気から伝わってくる。
俺は物陰に隠れながら、息を殺してその様子を観察していた。
彼女がここにいるということは、やはりこの旧校舎には何か「ある」のだ。
澪が再び目を閉じた瞬間、風がぴたりと止み、辺りの空気がゼリーのように固まったように感じた。
彼女の周りに、陽炎のような、しかし冷気を帯びたオーラが揺らめいた気がする。
幻覚だろうか?
いや、違う。
これは、彼女が放つ霊的な圧力だ。
彼女がゆっくりと目を開くと、その表情には明らかな嫌悪と、強い警戒心が浮かんでいた。
細く切れ長の目が鋭く細められ、白い肌に緊張が走る。
「この穢(けが)れ……尋常ではない。まるで、澱(よど)んだ沼の底のような……腐臭さえ漂ってくる」
その声は低く、しかし鈴を打つように澄んでいて、夕闇の中に響いた。
彼女が感じている「穢れ」は、単なる汚れや不潔さではない。
もっと根源的な、魂を蝕むような邪悪な気配なのだろう。
俺の「目」にはまだ靄は見えないが、肌を刺すような冷気と、胸を締め付けるような圧迫感を感じ始めていた。
澪は慎重に辺りを見回した後、懐から何かを取り出した。
白い和紙で作られた、小さな人形(ひとがた)のようなものだ。
人形代(ひとかたしろ)——神道の儀式で、穢れや厄災を肩代わりさせるために使われる依り代。
前に興味本位で読んだ民俗学の本で得た知識だ。
神城家は代々、この土地に根付く「歪み」を祓い、封じることを使命としてきた一族だという。
彼女の背負うものの重さが、その小さな人形代からも伝わってくるようだった。
彼女はその人形代に向かって静かに口元を寄せ、古(いにしえ)の言葉らしきものを囁いた。
そして軽く息を吹きかけると、両手で丁寧に持ち、旧校舎に向かって放った。
人形代は風もないのに、まるで生き物のように宙を舞いながら校舎に向かって飛んでいく。
そして校舎の壁に触れた瞬間、ぶるぶると微かに震え始めた。
その清浄なはずの白い紙が、まるで墨汁を吸い込むかのように、急速に黒ずんでいく。
瘴気(しょうき)に汚染されていく様が、俺の目にもはっきりと見えた。
壁の向こうから、微かに、押し殺したような呻き声が聞こえた気がした。
人形代は力なく風に乗り、澪の元へと戻ってきた。
彼女はそれを両手で受け取り、真っ黒に変色し、所々が焼け焦げたように崩れた紙の状態を、眉をひそめながら観察している。
指先が微かに震えていた。
彼女ほどの術者が動揺するほどの、強烈な穢れなのだ。
「これほどの穢れ……まるで『鬼門』が開いているかのよう。放置すれば、学園全体が汚染される」
澪は人形代を慎重に懐紙に包み、懐に納めた。
彼女の立ち姿は、以前にも増して張り詰めた緊張感に満ちていた。
澪は旧校舎に最後の一瞥を投げかけると、踵(きびす)を返し、迷いなく歩き始めた。
その足取りは静かだが、決意に満ちている。
和装の裾が夕暮れの中で揺れる。
彼女の周りには、透明な結界のようなものが揺らめき、穢れを寄せ付けまいとしているのが見えた。
「八百万(やおよろず)の神々の領域を乱すもの……神城の名において、看過できぬ」
彼女の囁きは、決意と共に風に乗って消えていった。
その声には、これから単身で立ち向かうであろう強大な敵への覚悟が滲んでいた。
澪の姿が夕闇の中に溶け込み、やがて見えなくなった。
俺は息を呑むように彼女の後ろ姿を見送った。
あれは何だったのか。
彼女が見たという「穢れ」とは?
そして、未来が入ったはずの旧校舎との関連は?
何か大きな謎が、この学校の、この古い土地の記憶に根差した何かが、動き始めている。
それは未来の変化、俺の悪夢、そして今の澪の行動——全てが繋がっているような気がしてならなかった。
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