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第9話 夜の密談
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魔法通信での発信から数時間が経った。
アジトの受信クリスタルには、未だに新しい反応が次々と表示され続けている。
その光景は、俺に確かな手応えを感じさせると同時に、アーシャの警告通り、帝国の目をさらに引いてしまっただろうという不安も掻き立てた。
人々が求める「ヒーローショー」のような期待と、俺が目指したい「本物の英雄」とのギャップも、妙に心に引っかかっていた。
考えを整理したくて、俺は一人、アジトになっている古い建物の屋上に出て、エレミアの夜景を眺めていた。
無数のマナランプの灯りが、まるで地上に散りばめられた星のように輝いている。
昼間の喧騒が嘘のような静けさだ。
ひんやりとした夜風が、火照った頭を少し冷やしてくれた。
「眠れないのか?」
不意に背後から声をかけられ、驚いて振り返ると、そこにはアーシャが立っていた。
彼女も眠れないのだろうか。
月明かりに照らされた銀髪が、夜風に静かに揺れている。
「まあ、ちょっと考え事だよ。魔法通信のこととか、これからのこととか」
「そうか……」
彼女は短く答えると、俺の隣にやってきて、同じように手すりに寄りかかり、黙って夜景を見つめた。
しばらく、気まずいような、でも不思議と心地よいような沈黙が流れる。
「なあ、一翔……」
先に口を開いたのは、アーシャの方だった。
「お前は、なぜヒーローになりたいんだ?」
「え?」
唐突な質問に、俺は少し戸惑った。
「前に言っただろ? 困ってる人を助けたい、誰かを守れる存在になりたいって……。まあ、きっかけは子供の頃にヒーローに助けられたことだけど」
「そうか……」
アーシャは何かを考えるように、視線を遠くに向けたまま呟いた。
「なぜ私が『英雄』という存在を、あれほど嫌うか……。お前には、話しておいた方がいいのかもしれないな」
え? と俺が聞き返す前に、彼女は静かに語り始めた。
その声は、普段の冷たさとは違う、どこか遠い響きを帯びていた。
「私は……『英雄の血脈』と呼ばれるものを受け継いでいる」
驚く俺を気に留める様子もなく、彼女は続ける。
「この力を持つ者は、帝国にとっては邪魔者でしかない。私が七歳の時だった……。帝国の兵士たちが、突然村にやってきた。表向きは魔物の調査だったが、本当の目的は『英雄狩り』だった」
彼女の声が、微かに震えているのに気づいた。
「奴らは……私の目の前で、父と母を、まだ幼かった弟を……『英雄の血』を持つという、ただそれだけの理由で……」
アーシャは言葉を詰まらせ、強く唇を噛んだ。
彼女の肩が小刻みに震えている。
普段の彼女からは想像もできない、剥き出しの感情。悲しみ、怒り、そして深い孤独。
「私は……偶然、床下に隠れていて助かった。その後、親戚に引き取られたが……ずっと力を隠し、息を潜めて生きてきた。帝国への復讐心と、こんな力を残した英雄への憎しみを抱えながらな……」
彼女の壮絶な過去に、俺は言葉を失った。
七歳……俺がヒーローに憧れるきっかけを得たのと、ほぼ同じ年齢じゃないか。
俺が光を見たその裏で、彼女は地獄を見ていたのか……。
「英雄の血脈を持つ者は、この世界では呪われた存在だ。力を持てば帝国に狙われ、力を隠せば臆病者とさげすまれる。どっちにしろ、安息の場所なんてない……」
俺は、かける言葉が見つからなかった。
どんな慰めも、彼女の経験の前では空々しく響いてしまう気がした。
ただ、彼女の隣に立ち、その痛みを少しでも分かち合いたいと思った。
「なぜ、こんな話をお前にしたのか、自分でもよく分からない」
しばらくして、アーシャは自嘲するように呟いた。
「お前を見ていると……昔の、まだ何も知らなかった頃の自分を思い出すのかもしれない。あの頃の私には、守ってくれるヒーローなんていなかったからな……」
その言葉に、俺は胸が締め付けられる思いだった。
同時に、彼女が俺に少しだけ心を開いてくれたことが、嬉しくもあった。
「俺……アーシャのこと、何も知らなかったんだな。ごめん……」
「別に、謝る必要はない」
彼女はふいと顔を背けた。
耳が少し赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
「もう寝る……」
アーシャはそれだけ言うと、踵を返し、屋上から去っていった。
一人残された俺は、再びエレミアの夜景を見つめた。
さっきよりも、街の灯りがずっと複雑な色合いに見える気がした。
アーシャの過去の重み。
英雄という存在の光と影。
そして、俺がこれから背負っていくべきものの大きさ。
彼女を守りたい。
強く、そう思った。
それはもう、単なるヒーローとしての使命感じゃない。
もっと個人的な、確かな思いだった。
俺は夜空に向かって、静かに拳を握りしめた。
◇
アーシャに過去を打ち明けられてから数日、俺たちの間には以前よりも少しだけ穏やかな空気が流れるようになっていた。
とはいえ、やるべきことは山積みだ。
教授の研究室での訓練、アジトでの情報収集や作戦会議……。
エレミアでの日々は、想像以上に忙しかった。
そんなある日の午後、アジトにルークが息を切らして駆け込んできた。
「大変だ、アニキ! 獣人区で暴動だって!」
ルークの言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
獣人区……エレミアの中でも特に貧しく、差別が根強いと言われている地区だ。
「暴動? いったい何があったんだ?」
俺が尋ねると、ちょうど資料を整理していた教授が説明してくれた。
「あそこの地区は長年、不当な扱いに苦しんでおってな。それに加えて、最近マグナス帝国が『危険種族の監視強化』なんて政策を打ち出したもんじゃから、ついに不満が爆発したのじゃろう。市警備隊が出動して、今まさに衝突しておるらしい」
長年の差別、貧困、そして帝国の政策……。
原因は一つじゃない、根深い問題があるようだ。
「放っておけない! 様子を見に行こう!」
「待て、一翔」
アーシャが俺を制する。
「お前が行ってどうにかなる問題か? 下手に首を突っ込めば、火に油を注ぐことになるかもしれんぞ」
「でも、このままじゃ被害が広がるだけだ! 俺にできることがあるかもしれない!」
俺の決意は固かった。
アーシャは溜息をついたが、「……分かった。だが、無茶はするなよ」と同行してくれることになった。
ルークも「俺も行く! 何か役に立つかもしれないし!」と後についてくる。
俺たちは獣人区へと急いだ。
地区に近づくにつれて、空気が変わっていくのが分かった。
建物の壁は剥がれ落ち、道にはゴミが散乱している。
他の地区とは明らかに違う、貧しさと荒廃の匂いが漂っていた。
そして、遠くから聞こえてくる怒号、悲鳴、何かが破壊される音……。
現場に到着すると、そこはまさに混沌の渦中だった。
燃え上がる家屋、バリケード代わりに積み上げられたガラクタ、そして……怒りに顔を歪ませ、粗末な棍棒や農具を手に叫ぶ獣人たちの姿。
猫のような耳を持つ者、狼のような顔立ちの者、爬虫類の鱗を持つ者……様々な種族が入り混じり、目を血走らせて警備隊に詰め寄っている。
対する市警備隊は、分厚い盾と槍で隊列を組み、獣人たちの投石や突撃を防いでいた。
彼らの装備は整っているが、数は明らかに獣人たちの方が多い。
警備隊の隊長らしき、厳つい顔の中年男が「退け! 鎮圧するぞ!」と叫んでいるが、その声は怒号にかき消されそうだ。
「差別をやめろ!」
「俺たちにも生きる権利をよこせ!」
「帝国の犬め!」
獣人たちの叫びは、悲痛で、切実だった。
彼らはただ暴れたいわけじゃない。
追い詰められた末の、魂からの叫びなんだ。
かといって、警備隊にも立場があるのだろう。
どちらか一方を、単純な悪だと断じることはできなかった。
「……どうする、一翔?」
アーシャが隣で問う。
俺は迷っていた。
ここにヒーローとして介入することが、本当に正しいことなのか?
でも、このまま暴力がエスカレートしていくのを見ているわけにはいかない。
「やるしかない……」
俺は意を決し、ベルトに手をかけた。
「変身っ!!」
青と銀の光が迸り、俺は英雄クロノスへと姿を変える。
「全員、武器を捨てろーっ!!」
俺はクロノスとしての威圧感を込めて叫びながら、獣人たちと警備隊の間に割って入った。
突然現れた俺の姿に、両者とも一瞬動きを止める。
「暴力では何も解決しない! 話し合おう! 俺が間に入る!」
俺は双方に冷静になるよう呼びかけた。
しかし……。
「なんだテメェは! どけ! これは俺たちの問題だ!」
獣人たちの中から、ひときわ体の大きな、傷だらけの狼男が進み出てきて、敵意を剥き出しにして叫んだ。
「おまえなんかに、俺たちの長年の苦しみが分かるもんか!」
「そうだ! 引っ込んでろ!」
獣人たちから再び怒号が飛ぶ。
一方、警備隊の隊長も、苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけた。
「貴様も暴徒と見なすぞ! 速やかに立ち去れ!」
ダメだ……。
俺の言葉は、どちらにも届かない。
彼らの怒り、絶望、不信感は、俺が想像していたよりもずっと根深かった。
力で無理やり押さえつけることはできるかもしれない。
でも、それでは何も解決しない。
彼らの心を救うことなんて、できやしないんだ。
(ヒーローなら……こんな時、どうする……?)
特撮番組のヒーローなら、きっとカッコいいセリフと共に、悪を打ち砕き、みんなを笑顔にしただろう。
でも、現実は違う。
ここには明確な悪役なんていない。
いるのは、それぞれの事情と正義を抱えてぶつかり合う、必死な人々だけだ。
俺は、自分の力の限界を、そしてヒーローという存在の限界を、痛いほど感じていた。
結局、俺にできたのは、クロノスの力で双方を物理的に引き離し、これ以上の流血沙汰を防ぐことだけだった。
負傷者の手当てを優先させ、双方の代表者に一時的な停戦を約束させるのが精一杯。
暴動は収まったように見えたが、獣人区には重苦しい空気と、解決されない問題だけが残った。
変身を解き、アジトへの帰り道、俺はひどく落ち込んでいた。
自分の無力さが、情けなかった。
「ヒーローなら、もっとうまくやれたはずなのに……」
ぽつりと呟いた俺に、隣を歩いていたアーシャが静かに言った。
「すべてを救えると思うな、一翔。お前はよくやった。少なくとも、今日の流血は止められたんだからな」
彼女なりの、不器用な励ましの言葉なのかもしれない。
その言葉に少しだけ救われた気がしたが、それでも、俺の中で「ヒーローが全てを解決できる」という甘い幻想が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じていた。
社会の複雑さ、根深い問題、そして自分の力の限界。
ヒーローとして、俺はいったい何ができるんだろう?
エレミアの夕焼けが、やけに目に染みた。
アジトの受信クリスタルには、未だに新しい反応が次々と表示され続けている。
その光景は、俺に確かな手応えを感じさせると同時に、アーシャの警告通り、帝国の目をさらに引いてしまっただろうという不安も掻き立てた。
人々が求める「ヒーローショー」のような期待と、俺が目指したい「本物の英雄」とのギャップも、妙に心に引っかかっていた。
考えを整理したくて、俺は一人、アジトになっている古い建物の屋上に出て、エレミアの夜景を眺めていた。
無数のマナランプの灯りが、まるで地上に散りばめられた星のように輝いている。
昼間の喧騒が嘘のような静けさだ。
ひんやりとした夜風が、火照った頭を少し冷やしてくれた。
「眠れないのか?」
不意に背後から声をかけられ、驚いて振り返ると、そこにはアーシャが立っていた。
彼女も眠れないのだろうか。
月明かりに照らされた銀髪が、夜風に静かに揺れている。
「まあ、ちょっと考え事だよ。魔法通信のこととか、これからのこととか」
「そうか……」
彼女は短く答えると、俺の隣にやってきて、同じように手すりに寄りかかり、黙って夜景を見つめた。
しばらく、気まずいような、でも不思議と心地よいような沈黙が流れる。
「なあ、一翔……」
先に口を開いたのは、アーシャの方だった。
「お前は、なぜヒーローになりたいんだ?」
「え?」
唐突な質問に、俺は少し戸惑った。
「前に言っただろ? 困ってる人を助けたい、誰かを守れる存在になりたいって……。まあ、きっかけは子供の頃にヒーローに助けられたことだけど」
「そうか……」
アーシャは何かを考えるように、視線を遠くに向けたまま呟いた。
「なぜ私が『英雄』という存在を、あれほど嫌うか……。お前には、話しておいた方がいいのかもしれないな」
え? と俺が聞き返す前に、彼女は静かに語り始めた。
その声は、普段の冷たさとは違う、どこか遠い響きを帯びていた。
「私は……『英雄の血脈』と呼ばれるものを受け継いでいる」
驚く俺を気に留める様子もなく、彼女は続ける。
「この力を持つ者は、帝国にとっては邪魔者でしかない。私が七歳の時だった……。帝国の兵士たちが、突然村にやってきた。表向きは魔物の調査だったが、本当の目的は『英雄狩り』だった」
彼女の声が、微かに震えているのに気づいた。
「奴らは……私の目の前で、父と母を、まだ幼かった弟を……『英雄の血』を持つという、ただそれだけの理由で……」
アーシャは言葉を詰まらせ、強く唇を噛んだ。
彼女の肩が小刻みに震えている。
普段の彼女からは想像もできない、剥き出しの感情。悲しみ、怒り、そして深い孤独。
「私は……偶然、床下に隠れていて助かった。その後、親戚に引き取られたが……ずっと力を隠し、息を潜めて生きてきた。帝国への復讐心と、こんな力を残した英雄への憎しみを抱えながらな……」
彼女の壮絶な過去に、俺は言葉を失った。
七歳……俺がヒーローに憧れるきっかけを得たのと、ほぼ同じ年齢じゃないか。
俺が光を見たその裏で、彼女は地獄を見ていたのか……。
「英雄の血脈を持つ者は、この世界では呪われた存在だ。力を持てば帝国に狙われ、力を隠せば臆病者とさげすまれる。どっちにしろ、安息の場所なんてない……」
俺は、かける言葉が見つからなかった。
どんな慰めも、彼女の経験の前では空々しく響いてしまう気がした。
ただ、彼女の隣に立ち、その痛みを少しでも分かち合いたいと思った。
「なぜ、こんな話をお前にしたのか、自分でもよく分からない」
しばらくして、アーシャは自嘲するように呟いた。
「お前を見ていると……昔の、まだ何も知らなかった頃の自分を思い出すのかもしれない。あの頃の私には、守ってくれるヒーローなんていなかったからな……」
その言葉に、俺は胸が締め付けられる思いだった。
同時に、彼女が俺に少しだけ心を開いてくれたことが、嬉しくもあった。
「俺……アーシャのこと、何も知らなかったんだな。ごめん……」
「別に、謝る必要はない」
彼女はふいと顔を背けた。
耳が少し赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
「もう寝る……」
アーシャはそれだけ言うと、踵を返し、屋上から去っていった。
一人残された俺は、再びエレミアの夜景を見つめた。
さっきよりも、街の灯りがずっと複雑な色合いに見える気がした。
アーシャの過去の重み。
英雄という存在の光と影。
そして、俺がこれから背負っていくべきものの大きさ。
彼女を守りたい。
強く、そう思った。
それはもう、単なるヒーローとしての使命感じゃない。
もっと個人的な、確かな思いだった。
俺は夜空に向かって、静かに拳を握りしめた。
◇
アーシャに過去を打ち明けられてから数日、俺たちの間には以前よりも少しだけ穏やかな空気が流れるようになっていた。
とはいえ、やるべきことは山積みだ。
教授の研究室での訓練、アジトでの情報収集や作戦会議……。
エレミアでの日々は、想像以上に忙しかった。
そんなある日の午後、アジトにルークが息を切らして駆け込んできた。
「大変だ、アニキ! 獣人区で暴動だって!」
ルークの言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
獣人区……エレミアの中でも特に貧しく、差別が根強いと言われている地区だ。
「暴動? いったい何があったんだ?」
俺が尋ねると、ちょうど資料を整理していた教授が説明してくれた。
「あそこの地区は長年、不当な扱いに苦しんでおってな。それに加えて、最近マグナス帝国が『危険種族の監視強化』なんて政策を打ち出したもんじゃから、ついに不満が爆発したのじゃろう。市警備隊が出動して、今まさに衝突しておるらしい」
長年の差別、貧困、そして帝国の政策……。
原因は一つじゃない、根深い問題があるようだ。
「放っておけない! 様子を見に行こう!」
「待て、一翔」
アーシャが俺を制する。
「お前が行ってどうにかなる問題か? 下手に首を突っ込めば、火に油を注ぐことになるかもしれんぞ」
「でも、このままじゃ被害が広がるだけだ! 俺にできることがあるかもしれない!」
俺の決意は固かった。
アーシャは溜息をついたが、「……分かった。だが、無茶はするなよ」と同行してくれることになった。
ルークも「俺も行く! 何か役に立つかもしれないし!」と後についてくる。
俺たちは獣人区へと急いだ。
地区に近づくにつれて、空気が変わっていくのが分かった。
建物の壁は剥がれ落ち、道にはゴミが散乱している。
他の地区とは明らかに違う、貧しさと荒廃の匂いが漂っていた。
そして、遠くから聞こえてくる怒号、悲鳴、何かが破壊される音……。
現場に到着すると、そこはまさに混沌の渦中だった。
燃え上がる家屋、バリケード代わりに積み上げられたガラクタ、そして……怒りに顔を歪ませ、粗末な棍棒や農具を手に叫ぶ獣人たちの姿。
猫のような耳を持つ者、狼のような顔立ちの者、爬虫類の鱗を持つ者……様々な種族が入り混じり、目を血走らせて警備隊に詰め寄っている。
対する市警備隊は、分厚い盾と槍で隊列を組み、獣人たちの投石や突撃を防いでいた。
彼らの装備は整っているが、数は明らかに獣人たちの方が多い。
警備隊の隊長らしき、厳つい顔の中年男が「退け! 鎮圧するぞ!」と叫んでいるが、その声は怒号にかき消されそうだ。
「差別をやめろ!」
「俺たちにも生きる権利をよこせ!」
「帝国の犬め!」
獣人たちの叫びは、悲痛で、切実だった。
彼らはただ暴れたいわけじゃない。
追い詰められた末の、魂からの叫びなんだ。
かといって、警備隊にも立場があるのだろう。
どちらか一方を、単純な悪だと断じることはできなかった。
「……どうする、一翔?」
アーシャが隣で問う。
俺は迷っていた。
ここにヒーローとして介入することが、本当に正しいことなのか?
でも、このまま暴力がエスカレートしていくのを見ているわけにはいかない。
「やるしかない……」
俺は意を決し、ベルトに手をかけた。
「変身っ!!」
青と銀の光が迸り、俺は英雄クロノスへと姿を変える。
「全員、武器を捨てろーっ!!」
俺はクロノスとしての威圧感を込めて叫びながら、獣人たちと警備隊の間に割って入った。
突然現れた俺の姿に、両者とも一瞬動きを止める。
「暴力では何も解決しない! 話し合おう! 俺が間に入る!」
俺は双方に冷静になるよう呼びかけた。
しかし……。
「なんだテメェは! どけ! これは俺たちの問題だ!」
獣人たちの中から、ひときわ体の大きな、傷だらけの狼男が進み出てきて、敵意を剥き出しにして叫んだ。
「おまえなんかに、俺たちの長年の苦しみが分かるもんか!」
「そうだ! 引っ込んでろ!」
獣人たちから再び怒号が飛ぶ。
一方、警備隊の隊長も、苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけた。
「貴様も暴徒と見なすぞ! 速やかに立ち去れ!」
ダメだ……。
俺の言葉は、どちらにも届かない。
彼らの怒り、絶望、不信感は、俺が想像していたよりもずっと根深かった。
力で無理やり押さえつけることはできるかもしれない。
でも、それでは何も解決しない。
彼らの心を救うことなんて、できやしないんだ。
(ヒーローなら……こんな時、どうする……?)
特撮番組のヒーローなら、きっとカッコいいセリフと共に、悪を打ち砕き、みんなを笑顔にしただろう。
でも、現実は違う。
ここには明確な悪役なんていない。
いるのは、それぞれの事情と正義を抱えてぶつかり合う、必死な人々だけだ。
俺は、自分の力の限界を、そしてヒーローという存在の限界を、痛いほど感じていた。
結局、俺にできたのは、クロノスの力で双方を物理的に引き離し、これ以上の流血沙汰を防ぐことだけだった。
負傷者の手当てを優先させ、双方の代表者に一時的な停戦を約束させるのが精一杯。
暴動は収まったように見えたが、獣人区には重苦しい空気と、解決されない問題だけが残った。
変身を解き、アジトへの帰り道、俺はひどく落ち込んでいた。
自分の無力さが、情けなかった。
「ヒーローなら、もっとうまくやれたはずなのに……」
ぽつりと呟いた俺に、隣を歩いていたアーシャが静かに言った。
「すべてを救えると思うな、一翔。お前はよくやった。少なくとも、今日の流血は止められたんだからな」
彼女なりの、不器用な励ましの言葉なのかもしれない。
その言葉に少しだけ救われた気がしたが、それでも、俺の中で「ヒーローが全てを解決できる」という甘い幻想が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じていた。
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