探偵注文所

八雲 銀次郎

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ファイルⅩ:潜入捜査

#11

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 今回の件は、緻密に練っていた計画ではない。ただ、ある程度、こういったことになりえるという予想は、何となく立てていた。だから、私が、独りでいる時を、なるべく作らない様に、全員で、示しを合わせていた。
 だが、まさか、事務所にまで乗り込んでくるとは、思ってもいなかった…。
 人それぞれの常識は、時として、世間一般的な物と、かけ離れている事がある。
 平和ボケした、私の脳には、そんな、非常識な言動は、想像できなかった。
 だから、事務所の扉を開けた瞬間、初めての調査仕事から、解放された安堵と、安心感で、すっかり、緊張が、緩んでしまった。そんな状況で、眠っていた彼を、起こすなど、考えもつかなかった…。
 「悪いのは、自分もだから…。だからその…あまり自分を責めるのは、良くない。と、思う…。」
 上手く説明は、出来なかったが、彼に、そう伝えた。
 私自身、数か月前までは、そうだった。両親に捨てられ、改めて、自分の存在が、否定されたのだと、気が付いた。そこから、責める相手も、怒りの矛先も、無く、全て自分に、向いた。
 そこから、次第に壊れていく、自分を何故か他人事の様に、感じていた。
 その感覚が、今でも鮮明に残っている。多分本能的に、これだけは、忘れてはいけない、記憶なのだと、身体と脳裏に刻んだのだろう…。
 だから、彼には、そんな思いは、してほしくない…。大袈裟かもしれないが、自分を責めすぎるのは、良くない…。
 
 「そっか…。」
 彼が、ぽつりと呟いた。
 「俺を、起こさなかったのは、信頼していなかったとかじゃ、無いんだな…。」
 そう言うと、彼は、立ち上がり、私の頭を、クシャっと撫でまわした。
 温かかった。他人に撫でられたことは、何度かあるが、これ程まで、温かく、心地の良いものは、経験したことが無かった。
 そして、何度か、撫でまわした後、彼の首に掛かっていた、リングを一つ外し、私の目の前に置いた。
 「俺のお守り、お詫びに一つ、くれてやる。大事にしてくれ。」
 リングは、特別な彫刻が、されているわけでも、宝石が散りばめられているわけでもない。至って普通の、銀色の、つなぎ目のない、綺麗な指輪サイズのリングだ。
 「で、でも…。」
 彼の首に掛けられている、リングのネックレスは、学校に行くときも、常に身に着けていた。だから、彼にとって、凄く大事な物だと、知っている…。
 そんな大事なもの、受け取れるはずがない…。
 「お守りなんだから、遠慮するな。それに…。」
 最後、何かぼそりと言った様だったが、扉が開く音で、かき消されてしまった…。
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