乾坤一擲

響 恭也

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根白坂の合戦

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 天正9年11月。
 秀隆は急速に兵を動かし、豊後を制圧する。敵もさるもの形勢不利とわかれば即座に動く。このあたりの勘所はさすがというべき迅速さであった。それでも国境で敵の後衛に食らいついたが、島津の捨て奸に追撃を阻まれた。いきなり数名の兵が座り込み、鉄砲を撃ち放つ。彼らは討たれるまで発砲し、そのまま足止めを行うのだ。あまりに凄惨な戦術に織田軍の鋭鋒も鈍るが、殿軍を排除して進軍を続け、日向松尾城を抜く。そしてそこに兵站拠点を構築した。
 秀隆は3万の兵で高城を取り囲む。城兵は2000あまりで、頑強に守りを固めている。そこに後詰めのため、九州最強をうたわれた島津義弘、家久兄弟が率いる2万5千が北上してきた。秀隆は大友義統の兵に高城の包囲を命じた。といっても城門を見張り、出撃されないようにすることであり、城門を囲むように付け城を築いてある。
 主力を率いて南下した秀隆はあらかじめ派遣していた工兵部隊と合流する。根白坂は急な坂で、その頂点に高城がある。高低差を生かして矢玉を浴びせ、出血を強いる戦術が基本とされた。
 柵を連ねて敵の足を止め、要所には土塁を築く。そして光秀の指揮により射線が組まれた。これは濃密な十字砲火網を構築し、敵を撃退というよりは皆殺しにするつもりで計算している。斜め方向からまたは側面から同時に高低差を付け、頭上からも射線が通る。まさに殺し間と呼べる代物だった。丹波衆と尾張衆を中心に鉄砲陣地に兵を配置した。そして敵の攻撃正面には長宗我部勢が配置された。これは元親の希望でもあり、ここで手柄を立てねばならぬとの決意が伝わってくる。
 長宗我部勢の背後には信秀率いる軍が配置された。これは長宗我部勢の救援と場合によっては追撃の予備兵力となる。

 戦端は島津鉄砲隊によって開かれた。横一線に300ほどの部隊が出て発砲する。そしてその兵はそのままとどまり、第二列の兵が前に出て発砲する。同じように第三列が発砲。その後一列目の兵が出て発砲。要するに銃撃を行いながら前進してきたのである。長宗我部勢も鉄砲隊で反撃するが、数も練度も違いすぎる。弓隊の射程に入ったところで矢が放たれる。これで多少の損害を与えたが、更なる猛射で返された。敵の銃弾は土塁に弾き返され有効な打撃は実はそこまでない。だが恐れる風もなく無造作に体を晒し銃撃してくる島津兵に大きな重圧を感じていた。
 左翼の虎口から長宗我部信親が出撃する。損害覚悟で正面の鉄砲隊に全力の射撃と矢を降らせ、そこで動きが止まった敵先陣に斬り込んだのだ。これにより敵先手を崩すことができたが、信親の手勢も大きな損害を受ける。そして退却の際に出撃した兵を収容に向かっていた信親を銃弾が貫いた。
 その光景を目にした元親は采を取り落とした。そして次の瞬間自ら馬を駆り出撃する。即座に続く一領具足の精兵。元親の激情が乗り移ったかのような勢いで島津の先陣をさんざんに突き崩す。敵の先陣は徐々に陣列を下げてゆく。その状況を見た信秀は退き金を鳴らす。そして前田利益に命じて信親を収容させるため精鋭の騎兵を出撃させる。騎馬のみで編成された利益の手勢はその機動力を生かし包囲されていた信親の馬廻の救援に成功し、信親も重傷を負っているが収容に成功した。
 すぐに使い番を出して元親に後退を命じる。信親の生存と退却成功を聞いた元親は周囲を見渡し、自身が罠に落ちかけていることを悟る。
「伏兵が出て来るぞ。釣り野伏せじゃ!」
「下がれ! 包囲されるぞ!」
 元親の叫びに周囲の侍大将が反応し、足を止めさせる。その直後銃声が響き渡った。元親周囲の兵がバタバタと倒れるが、数は少ない。あと数歩踏み込んでいたならば元親自身が銃弾の餌食になっていたと思われる、まさに間一髪であった。
 元親の下知で即座に撤収を開始する。そこに真後ろにくっつくように島津の先陣がくっついてきた。並行追撃から付け入りを図っていることを見抜き、最初の陣を放棄し、第二陣に兵を収容するように秀隆の下知が飛ぶ。
 第一陣は落ちた。そして第二陣の柵を引き倒さんと兵が集まったところで銃声が響き渡った。すさまじい密度で早合を用いての鶴瓶撃ちが叩き込まれる。柵自体が射程を図る目印であった。銃弾で柵も削り取られ、ボロボロになっていたほどの濃密な射撃に先頭の兵は一人として立ち上がらない。さしもの島津軍もわずかに足が止まる。そんな島津陣から一人の武者が竹束を抱えて駆けだす。それに続けとばかりに数名の兵が同じように盾を構えて走り出す。銃撃が浴びせられたが彼らはまだ立っていた。ボロボロの柵はすでに防御機構として機能せず、あっという間に引き倒される。そしてその姿に元気づけられた兵が一隊前進してきた。
「若、頃合いです」
「そうか、十兵衛殿に合図を」
「はっ!」
 斜面を利用して高低差を付けた位置から敵兵の頭上に向けて銃弾が放たれる。正面の銃撃を防いでいても斜め上から撃ち込まれる射撃には無力だった。だが死力を尽くして彼らは柵に取りつく。瞬時に全滅した第一陣と違い、まだ持ちこたえていると判断した島津軍は、後詰めを出した。一気に柵を打ち破ろうとしている。織田軍からの迎撃も激しかったが、彼らはついに第二陣を破ることに成功する。
 そして残るは最後の陣だけとなった。長宗我部勢の損耗はかなり激しく、信親の負傷もあって後方に下げられる。そして信秀の軍が島津軍と相対する。先手は前田利益。巨大な朱く塗られた槍を振りかざし島津の兵に切り込む。だが倒されても倒されても島津の兵は怯まず、次々と襲い掛かってくる。利益自身はさておき、付き従う兵が疲弊しており、信秀は救援の兵を出す。島津の命知らずな攻勢に徐々に押し込まれる。要所で打ち込まれる光秀の援護射撃がなければもっと早く瓦解していたであろうが、何とか持ちこたえ徐々に退いてゆく。
「秀隆様、ありゃあ…」
「おお、気づかれたか。相手の十八番を逆用してみようと思うての」
 元親は唖然とした表情である。
「爺、後ろは任せた。引きずり込んでやれ!」
「承知しましたぞ、若!」
 信盛の手勢が方陣を組む。光秀の鉄砲隊は作戦の最終段階に備え徐々に退く。援護射撃がなくなれば島津の突撃は勢いを増す。だがさすがは織田の誇る退き佐久間。見事な指揮で敵の突撃を往なし、躱し徐々に戦線を下げる。そして開かれた門を駆け抜けると、足元の縄を思いきり引いた。
 敵陣陥落は目前と島津の兵が殺到してくる。そして城門をくぐったところでぽっかりと開いた落とし穴にはまった。見事なまでにすっぽりと。要するに穴の上に板を渡し、信盛の兵はそこを通り切った後に板を外したのだ。
 そこから先は悲劇であった。落とし穴に立ちすくむ兵が後から押し寄せる兵に押し出され次々と穴に落ちる。というか穴があるなら人で埋めて通ればいいじゃないとでも言いたいのか、あとからあとから兵が押し寄せる。だがついに島津の行き足が止まった瞬間、最初の十字砲火に匹敵するほどの銃声がとどろき渡る。
 第一射で三途の川を渡った兵は一千にも届こうか。前方からの射撃に備えるために身を伏せたり、盾を構える兵たち。即座に対応する姿は精兵と呼んで差し支えない様子だ。そして第二射は真横から叩きつけられた。これで島津兵の混乱は頂点に達した。さらに前方からの射撃。これでついに崩れ始める。そして信秀の部隊が井伊直政を先頭に突撃を敢行し、敵兵を坂の下に叩き落としてゆく。そして本陣から長谷川秀一の部隊が出撃した。先頭を走るは立花宗茂とその隣には少し小柄な少年が付き従っている。
 そして部隊の中心に秀隆はあり得ないものを見た。
「押せ押せ! 今こそ好機だがやあああああああ!!!」
 尾張なまりで兵を鼓舞する平朝臣信長。
「おいいいいいいいいいいいいいい!! 天下の右大臣が何やってやがんだあああああああああ!!!」
 秀隆の絶叫が戦場に響き渡る。
「突撃じゃあああ!! ぐわっはははははははははははは!!!」
 その後の追撃はこれもまた凄惨を極めた。猿渡信光ら島津の重臣の戦死の報告が上がってくる。
 追撃の先頭に立っていた人物のことを考えて秀隆は胃と頭の痛みに耐えるのだった。
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