猫の王子と鼠の姫君

五条葵

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幸運な嫁ぎ先

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「そろそろだろうとはおもっていたけれど、意外とあっさりと決まるものなのね、クレア」

 そう言って、先程までの淑女っぷりはどこへやら。フカフカのソファから足をブラブラとさせ、背もたれにその身を預けるリリー。彼女が話しかけるのは、古くからの腹心の侍女であるクレア。魔法がほとんど使えないことが分かっても態度を変えず、むしろ彼女がこっそりとその力を生かす術を探るのを手伝ってくれる彼女をリリーは実の姉のように慕っていた。
 普段は完璧な姫君としての姿勢を崩さない彼女がその仮面を剥がすのは自分の前だけだ。苦言を呈そうかとも思ったクレアだったが、これからさらに気の抜けない日々が続くことを浮かべ結局苦笑いするに留める。

 リリーが言う通り、そして大方の予想通り、普段彼女にほとんど構うことのない大公が彼女をわざわざ呼びつけたのは、可能な限り公国に有利な婚姻を、と模索していた結果がついに出たからだった。

 ここに至るまでには国同士の思惑が絡み合うやり取りがあったのだと予想できるが、彼女にとってはそれは知らない世界。どんな事情があれ大公の意志に従って結婚する他ないリリーにとっては結果が全てであった。

 とはいえ、謁見室に入ってものの数分、嫁ぎ先と日程を告げられて、はい終わり、という呆気なさには流石の彼女も拍子抜けしたのも事実。これでは臣下にたいして指示を与えている時の方がまだ、人間味があるのではと思えるほどだ。事実後ろで表情から姿勢までピタリととめて、彼女の侍女として侍るクレアの纏う空気が明らかに怒りを帯びてきていたのも感じていた。クレアとて主人がいかにこの国で軽んじられたいるかは身を持って知っているところであり、その弊害にも度々困らされているが、とはいえ主人の運命を決める場面がここまで蔑ろにされると、一言言いたいこともあるというものだ。

 そんな彼女にとっては人生を決める一大事にも関わらず感傷もなにもあったものではない謁見ではあったが、その結果には大変満足していた。

 その気持ちそのままに、お茶の用意を手際よくしつつも先程の場面を思い出して、怒りがぶり返しているらしいクレアにリリーは話しを続ける。

「確かに呆気なかったけど、結果としては上々よね。トレシア王国はお隣だし、我が国との関係も至極平和。内政も安定しているし、現陛下も跡をお次になるであろう王太子殿下も穏やかで親しみやすく、そして立派な方と専らの評判。それに文化的にもほとんど違いがないのもありがたいわね」

 彼女が上々といったとおり、いくつか上がっていた候補の国の中で、彼女が嫁ぐトレシア王国は圧倒的に彼女にとって条件が良かった。何より遠く離れた噂に聞くことすらほとんどないような国も上がっていた中では、馬車で数日の距離にあり、昔から繋がりの深い国に嫁げるのはそれだけで彼女にとっての負担が少ない。一緒に着いてきてくれる侍女が一国の姫としては極端に少ない彼女にとっては尚更だ。

 そんな彼女の言葉にクレアもまた首肯する。

「それに、どの国になっていたとしても準備期間は変わらなかったでしょうからね、近い国なのは幸いです。それにトレシア王国ならもう言葉のおさらいをする必要もないのでは?」

 彼女の言う通り、とにかく結婚で国に利益をという教育方針からあちこちの言語を習わされた彼女だったが、特に近隣国の言語については知的好奇心旺盛な彼女がこの国よりも数歩進んだ各国の文化を知りたがったこと、その他の理由もあり、そのレベルはもはや自国語と遜色ない程だ。

 クレアの言うようにたとえどこへ嫁ぐにしても、おそらく準備期間は貰えなかっただろうことは今回のあっけない謁見からも大いに予想ができる。事実リリーは凡そ、公族の姫としてはありえない準備期間でこの国を出発し、かの国で婚約期間を過ごすこととなっていた。その婚約期間自体も王太子と隣国の姫、ということを考えると短いのだが、そこにはあちらの都合もあるだろうから、必ずしも大公達の嫌がらせとは限らない。ただひとつ言えるのは、この国をかなり早くに出なければならないのは言わば厄介払いであり、そんな扱いをされてもさほど困ることがない場所が行き先なのはラッキーだ。そんなふうに前向きに思える程度に彼女はこの国で軽く扱われることに慣れていた。

「とはいえ、あまり呑気にもしてはいられませんよ姫様。こちらは、そしてきっとあちらも特に別れを惜しむ気はないでしょうが、かといって挨拶をしない訳には行けない人達は山のようにいるのですから。」

 そういってクレアはリリーの方へと向き直る。その手にはいつの間にか手帳があり、そんな彼女をいたリリーも居住まいを正した。

「そうなのよね、絶対に外せない人だけでも結構な人数だわ。憂鬱だけでど仕方ないわね。」

 そう行って彼女は本当に憂鬱げに天を仰ぐ。別れを告げたところで嫌味を言われるのが関の山な貴族達が大勢待っているのは明白だが、とはいえ彼女は少なくとも表面上はこの国の姫君で、そしてこの辺り一体の国に大きな影響力を持つ国へ嫁ぐくことになるのだ。もちろん公族としての義務は理解しているつもりだが、憂鬱な気分になるのは仕方がない。そんな彼女は避けて通れない憂鬱よりも別のことを考えることにした。

「とはいえ、時間を作ることは出来るわよね?本当に別れを惜しんでくれるみんなとの別れを蔑ろにするつもりはないわ。もちろんたまには戻ってこれる距離ですし、戻るなと言われても戻りますけどね」

 そんなお転婆発言をする彼女を「そういう言葉は向こうでは控えてくださいね」と言いつつ、手帳をめくる。

「大丈夫ですわ。姫様はそう仰ると思っていおりましたし、想像よりも儀式は簡略化されるようなのでお時間は簡単に作れますわよ」

 そのクレアの言葉にリリーは目に見えて表情を緩めて「流石だわっ、クレア、ありがとう」と弾む調子でお礼を言う。その後にお小言が来るであろうことが分かっていなければクレアに抱きついていた勢いだ。

「さっ、心配事がなくなりましたら早速挨拶する相手を確認いただきますよ。慣れた相手でしょうがここで失敗しては向こうの国にも迷惑なのですからね」

 務めて真面目な顔を作るクレアに周辺国に名を馳せる優秀な姫君のモードを取り戻した彼女はクレアの方に背筋を伸ばし向き直ったのだった。
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