ポットのためのもう一杯

五条葵

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新婚夫婦と7つのお茶

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「やっぱりこのままじゃ駄目よね」

 夜着の上からガウンを羽織り、いつの間にか勝手知ったるようになった厨房でお気に入りの四葉のクローバーが描かれたポットを見つめるシンシア。気合を入れるように「よしっ」とつぶやくと少し足早に廊下を進む。

 トントントン

「どうした?シンシアかい」

 月が高く登る時間。女性特有の軽いノックの音にまず一言目「シンシアかい」とトーマスが言うようになったのはいつからか。それくらい二人にとって夜のお茶会は日常だった。

 最初は夜のこの時間だけだった二人の時間も気づけばずっと多くなった、目覚めのお茶、朝食、一緒に飲むお茶の回数も最初とは比べ物にはならない。ただ、二人の関係はまだお話し、お出かけし、お茶を楽しむところで止まってしまっている。そこでシンシアは先日の夜を思い出して苦笑いする。

 トーマスと観劇に出かけ、世界有数の劇場に数えられるロイヤルシアターの雰囲気と、素敵なお芝居に魅了され、少しばかり興奮したシンシアはトーマスの食後のお茶を楽しむうちに時間を忘れ、すっかり夜が更けてしまった。

 いつもならとっくに寝室に向かっている時間になってもまだ話し足りない主人夫妻に続きは寝室でするようブラウン達が勧めてくれたのは、なかなか夫婦の関係が前へ進まないことを悩んでいた事を知る使用人たちの気配りもあったのだろう。トーマスも観劇の余韻が残っていたのか、特に反対することもなく一度身支度をしに別れ、そしてトーマスが主寝室に入ってきてはじめてシンシアはこんな遅くに夫と寝室にいるのが初めてだ、という事実を認識したのだった。

「さて、どこまではなしたっけ」

「えぇっと、そうですわね」

 トーマスの方も主寝室の前まできて初めてその事実に思い至ったらしい。夫婦揃って二人でもう少しお話しましょ、くらいの考えしかなかったのだ。

 さっきまではあれほど会話が盛り上がっていたのに中央に鎮座する大きなベッドを意識した途端二人の口数は少なくなる。結局夜も更けていたこともあり、十分もしないうちにシンシアはベッドに入り、トーマスはいつも眠っている寝室に戻ることとなった。とはいえ、どうやらトーマスはシンシアが眠るまでは部屋にいてくれたらしく、彼女が眠りに入る直前に感じたのは彼が優しく髪をなでてくれる心地のよい感触だった。

 その話をアデルにすると、半ば呆れたように目を細められたが、それでも

「まあ、トーマスにしては頑張ったんじゃない?それに前進もしているわ。だからやっぱりここはシンシアからアピールすべきじゃない?」

 と背中を押された。そのハキハキとした声に背中を押され、シンシアは書斎へと足を踏み入れたのだった。

「いつもありがとう、シンシア」

 そう言って、彼女を書斎に招き入れたトーマスは彼女の服装に目を止め、そして「おやっ」という顔をするとともに微妙に目を背ける。

「どうしたんだい?シンシア。今日は、なんというかいつもと服装が違うね」

「え、えぇ。実はうっかり先に着替えてしまいまして。これからもう一度ドレスに着替えさせてもらうのも申し訳ないので。やっぱりはしたなかったでしょうか」

 そう言うシンシアは、意識して目を伏せ、軽く後退りする。その自信なさげな所作はトーマスの庇護欲を大きく唆った。

「いや、言っても屋敷の中だから構わないが・・・・・、その無理してお茶を淹れに来なくても良いんだぞ」

 そう言ってトーマスは思案げにシンシアを覗き込む。夜着、とはいえ彼女が着るのは生地こそ季節に合わせ薄手だが首元まで詰まったものだし、しっかりとガウンも羽織っているので彼女の白い肌はほとんど見えない。

 それでも普段より心もとない服装でトーマスとの距離が近づいたシンシアは頬を染め、鼓動が早くなるのを感じつつなんとか言葉を紡ぐ。

「いえ、無理はしてませんわ。それに今日は朝食から全く会えませんでしたから、夜のお茶はご一緒したかったのです」

「それは済まなかった。今日は何かと慌ただしくてな。せっかく店にも来てくれたのに顔も出せなかった」

「いえ、お仕事なのですから仕方ありませんわ。こうして一日の最後にお話できれば十分です」

 そう話すシンシアにトーマスは目をほころばせる。以前に比べればずっと近づいた物理的な距離にドギマギしつつ、いつまでもそうしているとお湯も冷めてしまうのでお茶を用意することにする。

「この一杯は旦那様のために・・・・・」

 そう歌うシンシアの手元は緊張していようと、狂いはない。今日お店にいった際に勧められて南東諸島のお茶を手慣れた様子で淹れる。そうして入ったお茶をシンシアはトーマスの側に置いた。

「うん、美味しい」

 そう言って顔を綻ばせるトーマスにホッとしつつ、シンシアは緊張を隠すように自分もカップを手に取る。お茶のプロであるトーマスにお茶を淹れるのは今でも緊張する。彼に「まずい」と言われたことはないし、かといって嘘をつくような人でもないのは知っているが、こればかりは夜のお茶を淹れ始めたときから変わらない。

 ただ今日の緊張はそれとはまた別のものだ。自分を落ち着かせるようにカップの中身を一口飲むと紅茶の香りと暖かさが身体中に広がるのを感じる。その暖かさにゆっくりと落ち着きを取り戻し、そして勇気をもらったシンシアはカップを置くと、ゆっくりとトーマスの方へ近づく。

 そして

「えいっ」

 と可愛らしい気合の声と共にトーマスの広い背中に軽く勢いをつけて抱きついた。

  「おぉっと」

 驚くのはトーマス。もちろんトーマスがカップを置いていたのは確認していたからお茶が溢れるようなことはなかったが、それでも予想外の出来事にトーマスは目を白黒とさせ

「シンシア?」

 とつぶやく。しかしシンシアはその声には答えず抱きつく力を強めるのみ。その普段とは少し違う妻の様子にトーマスは困惑した。

「どうしたんだシンシア?今日は少しおかしいぞ。実は酔ってたりする?」

 最初は紅茶にお酒でも垂らしたのか?と疑ったトーマスだが、流石にお茶にお酒が入っていたら分かるし、抱きつかれたことで間近に感じるシンシアの吐息から酒精は感じない。そもそもシンシアが行動に影響が出るほど酔っているところも見たことはなかった。

 何が起きているのか理解できない、といった様子のトーマスにシンシアは「ふふっ」と笑い

「お酒は頂いていませんわ」

 と言い、そして一息つくと、覚悟を決めたようにトーマスに尋ねる。

「私は妻として魅力に欠けていますか?」

 と。

 結婚した当初こそ自己評価がたいそう低かったシンシアだが、トーマスの隣で経済界や社交界に出入りするようになった彼女は凛と前を向くようになった。それは彼が自信を持たなければ相手に掬われると教えたからでもある。そんな彼女が発した言葉にトーマスは目を瞬かせる。

 一方シンシアはというと、突然の発言にトーマスが驚いていることは分かったものの、抱きついた腕は振りほどかれないことに安堵し、腕に力をさらに込める。結婚した当初であればもっと自信なさげに俯きがちに伝えただろう言葉。そんな彼女が前を向くようになったのは、トーマスに愛されている、という自信故だ。

「以前旦那様が告白してくださった時、私は『分からない』と答えましたよね。ですが今ははっきりと言えます。私もあなたを愛しています」

 その言葉にトーマスはヒュッと息を呑む。慣れないことにまた鼓動が高鳴るのを感じつつシンシアはさらに言葉を続ける。

「そしてわがままになってしまいました。愛しているからこのままの距離じゃ嫌なんです。妻としてあなたに触れてほしいのです」

 そこまでなんとか言い切ったシンシアは恥ずかしさのあまりトーマスの方に顔を埋める。おろした髪が広がるのをトーマスが優しくすくのを感じ、シンシアは心地よさと心もとなさを感じて目を閉じる。そんな彼女にトーマスの声が降っててきた。

「妻を不安にさせるなんてまたしても私は夫として失格だな」

 そう呟くトーマスに

「いえ、それは私があなたの告白を微妙な言葉で保留したからで・・・・・」

 とシンシアが慌てて返すと

「だけど、時はいくらでもあった。ロベルトには『それはほとんど返事しているようなものだろう?』って言われたよ」

 そう苦笑すると、一度優しく抱きついたままのシンシアの腕をほどき、そしていつもシンシアが座るソファに誘導する。髪を、そして頬を優しく撫でる仕草にくすぐったげにすると微笑むトーマスと目が合い、シンシアは目をつむる。するとトーマスの影がさらに近づくのを感じ、そして額に優しく唇が押し当てられた。

 その感触に一気に体温が上がりつつも少しだけ残念な思いもあるシンシアは瞳を開き、そしてトーマスと視線を合わせる。シンシアの言いたいことを察したのかトーマスは苦笑いのような謝るような顔をする。

「私はこういった経験が少なくてね。とりあえずはこれで許してくれないか?」

 正直なところ、シンシアもすでに一杯一杯だ。だがもう少しだけ前に進みたくて。勇気を振り絞る。

「はい・・・・・、でももう少しだけわがままを言いたいです」

 そう言って立ち上がると、トーマスにギュッと抱きつきに行く。今度こそ覚悟を決めたのか、目が合ってもう一度瞳を閉じたシンシアの唇に今度はトーマスの口づけが落ち、そしてトーマスの腕がしっかりとシンシアを抱きしめる。

 夏のカーテンは月明かりだけを通し、淡く二人を照らす。ゆっくり進む夫婦の距離がどこまで縮まったのか、それは屋敷の人々しか知らないことだった。

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