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逃げる

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(ここはどこ? それとも夢?)

 優里の周りには、白いモヤが充満し、手のひらをさえ見えない。足元を見ても何も見えないから、どこにいて、どこに立っているのか見当もつかない。

 しばらくすると、声が微かに聞こえてきた。少しずつはっきりとした声になるとーー。

『…おう…じ……おきて…くだ…さい……お…う……ーー』

 肩の辺りを掴まれる感じがして、体を揺さぶられた。

(誰? それに『おうじ?』……って?)

 しばらくすると、今度はさっきよりも強く揺さぶられ、声もはっきりと大きく聞こえた。

「優里くん、優里くん、起きてください、優里くん!」
「……ん…んんっ」

 うっすらと瞼を開けると、ぼんやりと誰かの顔が見えた。段々と視界がはっきりして、目の前に若い男がいると気づいた。

「……誰?」
「僕です、優里くん。分かりますか?」

 耳元近くでしゃべる声は、どこか聞き覚えがある。

「神鏡を探してたーー」
「ーーああ、さっき部屋で……ここ…どこ?」

 そうだ思いだした。

 神子の装束から着替えようと控え室へ行く途中、神鏡を探していた若いスタッフを見かけた。そのスタッフの人がいま、眉を八の字にして、心配そうな顔をして目の前にいる。そして神鏡を探しに、蔵へ来ていたことを優里は思い出した。蔵の扉を開けている途中で、背後から何者かに羽交締めにされたことも。

「蔵は? ここどこ?」

 頭がはっきりしない。

 どうやら蔵から離れた雑木林の茂みにしゃがんでいるようだ。ここは神社からどのくらい離れているのだろう。

「あのここーー……」
「しっ! 静かに」
「?!」

 複数の人間が草むらをかき分ける音と話し声が聞こえてきた。

「イテテ……ったくどこ行きやがった、あの野郎。頭を思いっきり殴りやがって! それに巫女まで連れていきやがった」
「あとちょっとだったのに、残念だよな…俺なんか背中叩かれて、すっげぇ痛い」
「でもまだそう遠くへは行ってないだろ」
「ああ、次に巫女を捕まえたら、邪魔が入る前に、とっとと犯そやろうぜ」
「だな」
「それじゃ、二手に分かれて探すか」

 うまく茂みに隠れていた優里たちは、男どもが通り過ぎるのを待った。足音と会話から察すると、5、6人はいそうだ。

「まずい、二手に別れて、こっちにも来そうです。優里くん、走れますか?」
「ああ、なんとか」

 まだ頭がぼーっとしているが、いまはそんなことを言ってる場合ではない。普段の優里なら、5、6人相手するのは問題ないが、体が言うことを利きそうにない。ここは逃げる方が得策だ。

「ここから山を迂回して、神社へ行きましょう」
「ここって……えっと…名前……?」
じょう高良丈たからじょうっていいます」
「たからじょう…さん?」
「丈でいいです。僕、優里くんと同じ大学で、同学年なんですよ。専攻は違いますが……」
「えっ!」

 年上だと思っていた優里は少し驚いた。最初に丈を見た時、落ち着いていて、大人っぽい雰囲気の人だと思ったからだ。

 でも照れ臭そうに笑う丈は、童顔で幼く見えた。同い年と聞いて優里はなんとなく納得した。それに優里も自分のことは呼び捨てでいいと言っても、丈は口籠るだけだった。それにタメにも関わらず、敬語のまま。

「その話は、また後で。いまはあいつらから逃げるのが先です」
「……丈、それならここから直接、神社へ戻った方がーー」
「それはダメです! ここから直接、神社へは戻れません……」
「?」
「優里くんのことが心配になって、僕、後を追ったんです。それで蔵へ向かってる途中、暴漢が何人かいて……」
「くっそ、こっちのエリアは警備されてなかったのか!」
「だから、山の方へ逃げましょう! あちらは禁足地ですから、あいつらも追っては来ないでしょうし」

 禁足地。つまり丈が言ってるのは、古墳のある山ということだ。

「分かった」
「それじゃ、静かに行きましょう」

 なるべく音を立てず、それでいて足早に移動する。しかし薬を嗅がされた体は思うように動かない。

「優里くん、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ……だい…じょうぶ……」

 頭も痛くて、息も苦しい。足が鉛のように重く感じる。それに装束を着ているせいで、上手く走れない。雑木林ということもあり、何度も足がもつれて転びそうになった。

 丈の後を優里は懸命に追いかけた。気を緩めたら、すぐに距離ができてしまいそうになる。そんなことを考えていた時、いきなり茂みから人が飛び出して、優里にぶつかってきた。

「見つけたぞ!」
「離せよ!」

 ぶつかられた拍子に、地面へ倒された。両手を頭の上で押さえ込まれ。体のうえに相手の体重が乗っかってきた。身動きがとれない。暴れる優里の両足を他の暴漢二人が押さえつけている。

「離せ!」
「へぇ、君ってもしかして、もしかして……おとこの…こ?」
「!?」

 男が巫女になっていたとバレたら、それこそスキャンダルになる。そう思った優里は口を噤んだ。首筋に暴漢の舌が這いずってくる。

(やめろ!! イヤだ……誰か…助けて…聖吏、皇琥……!!)

「優里くん! 貴様! 汚い手で触れるな!」

 目をぎゅっと瞑っていた優里には、何が起きたのか分からなかった。ただ目を開けた時には、上体に乗っていた暴漢や、足を掴んでいた暴漢たちが、唸り声をあげて、うずくまっている姿だった。

「優里くん、大丈夫ですか?」

 丈が手を差し伸べていた。その手を取って、体を起こしてもらった。

「これって、丈が?」
「あ、火事場の馬鹿力ってやつです。あはは……」

 持っていた木の枝を丈が投げ捨て、照れ笑いをして俯いた。それを見ていた優里は、首を傾げながら眺めていた。

(気のせいだろうか。どこかで、この感じを知ってるような気がする……)

「……それより、優里くん、大丈夫ですか? 僕がついていながら……すみません!」

 いきなり丈が頭をさげた。

「丈のせいじゃないから、頭あげてくれ……それに、一緒に居てくれたおかげで助かった。俺が走るの遅くて、ごめんな……」
「いえ、優里くんのせいじゃありません! きっと薬を嗅がされたせいで、体が動かないだけだし……もうしばらくすると元に戻ると思います。それより、先を急ぎましょう」

 本当は、『丈って一体何者なの?』と聞こうとしたが、いまは先を急いだ方がいいのは、優里も分かっていた。だから黙ったまま、首を縦に振った。

「痛って!!」
「どうしました?」

 歩こうとした瞬間、右足首に激痛が走った。その場でしゃがみ、足首をさすった。どうやら捻ったらしい。これでは、走るどころか、まともに歩けそうにない。

「さっき、ぶつかられた拍子に足を捻ったみたいで……痛って……」
「これは歩くの無理そうですね……」
「ごめん。俺のことは置いていっていいから、先に神社へ戻って人を連れて来てくれたほうがいい。それか電話してーー」
「ダメです。優里くんを一人になんてできません! それに携帯は奉仕の時には、持ち歩かないですから、今は持ってないんです……」
「でも、俺と一緒にいたら、丈が巻き込まれる。それじゃ悪いっーー」
「僕のことは心配無用です。それより、僕の背に乗ってください」
「でも……」
「でもじゃなくて、早く乗ってください!」

 丈が背を向けてしゃがんだ。つまりこの背中へ乗れということだろうけど、優里だって、少し照れ臭い。

「優里くん、早く。でないと、あの……!?」
「あの?」
「いいから、早く乗ってください!」

 言われた通り、優里が丈の背中に乗った。そして背負われたまま禁足地へと入っていった。
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