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あの日の記憶(1)*皇琥(コーガ)*

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 本当は婚儀など、どうでもよかった。

 正直、婚儀に限らず、儀式はどれも面倒で退屈という以外、俺には意味をなさなかった。例えそれが初めて愛した相手でもだ。きっと当時の情勢がそうさせていたのだと、いまなら分かる。

 俺が新皇帝として即位したのは16の時。前皇帝は、俺の親父で、隣国への出兵中、側近に暗殺された。取った取られたの暗黒時代。世界中で、領土争いが絶えない日が続く。

 そんな世の中だが、俺が即位して二年足らずで、親父さえも成し遂げられなかった世界の3分の2を手中に収めた。特別、平和を願ったわけでもない。ほんの少しだけ、静かな世の中というもので過ごしたいと思っただけだった。

 世の中が少し安定し始めると、どうも身内や諸外国は、俺の縁談に興味を持ち始めるらしい。そんな時に俺はあいつと出逢った。

 皇帝として国を治めて二年後、祖先が決めた許婚という理由で、スタービグダム王朝の第三王子ユーリが俺の元へやってきた。縁談など全く興味のない俺だったが、あいつと剣を交え、対面した際、己の正室にすると決めた。事実、その日を境に王子を俺の正室、つまり、皇帝の配偶者として皇配殿下として扱うよう命じた。

 俺はそれで充分だった。婚儀を執り行う必要などなかった。世の中が安定し始めたと言っても、国を支配する側の首が代われば、情勢などすぐに変わる。それに国内外ともまだまだ不安定な時期。余計な火種を招く必要はないと考えていたからだ。

 しかし側近をはじめ、大臣や貴族は、情勢が不安定だからこそ、国内外に知らしめる必要があると説いた。ユーリの国、スタービグダム王朝は、世界では稀にみる古い王朝の一つ。国土は肥沃かつ資源豊富で、世界中の国が友好関係や婚姻関係を結びたがっていた。その王朝の第三王子といえど、皇帝の正室として知らしめれば、帝国がさらに強化され、安定すると言うのだ。

 その説得が半年以上続いた。必要ないと分かっていても、その説得にはうんざりし始めていた。当事者でもあるユーリに聞いても、俺に任せるの一点張り。結局俺たちは、国の駒に過ぎない。うるさい側近どもを黙らせるために、婚儀を執り行うことを認めた。それが後に取り返しのつかないことになるとも知らずに。

**

 そして迎えた婚礼前日。

 あの日も、数週間前から続く雨の朝だった。鬱陶しいほどの灰色の空。明日が婚儀とは思えないほど憂鬱な空気に満ちた宮殿。側近たちは儀式の準備がなければ、長雨で鬱憤が溜まっていたであろう。

 窓を叩く雨の音で目覚めた。隣で寝息をたてるユーリの額にキスを落とし、外へ目を向けた。もう朝日がのぼっていてもおかしくない時間だが、雨のせいで何時なのか分からない。

 もう一度ユーリの寝顔を見ていると、真夜中の会話を思い出した。たしかショーリの父親が急病という知らせが届き、夜明け前にスタービグダムへ出発すると言っていた。ショーリを見送ってくる、と言って寝台を抜け出し、すぐにまた戻ってきたものの、まだ起きる気配がない。

 ベッドで横になったまま、肩肘ついてユーリの寝顔を見続けた。出逢ってから1年経ったが、愛らしい目鼻たちは変わっていない。形のいい唇を指でなぞっていると、うっすらと蜂蜜色の瞳が開いた。

「……コーガ、もう起きたのかよ」
「とっくに陽はのぼってる。相変わらず雨で、太陽は見えないがな」
「そっか……」
「ショーリは?」
「うん? ああ、無事に出発した。大雨だったけどな……」
「そうか。今夜には戻れそうか?」
「うん、戻ってくるって……」

 不意にユーリが首に腕をまわして、体を寄せてきた。

「……ユーリ?」
「明日……だよな?」
「? 婚礼のことか?」
「……うん」
「どうした? やめてもいいんだぞ」
「やっ、そうじゃなくて……その、やっぱり……」
「はっきり言ってみろ」
「だから……その……俺たち結婚するんだなって思ったら、なんていうか…やっぱり…………嬉しい………っていうか」
「最後がよく聞こえない」
「っ! だから、嬉し…い……って…」
「ふふ……」
「笑うことないだろ!」
「いや、そういうつもりで笑ったわけではない。そうなら、もっと早くに婚儀をするんだったと思っただけだ」

 ユーリの顔が真っ赤になっている。

 最初に会った時は、互いに衝突し合い、半年ほどは意見の食い違いは日常茶飯事だった。いまはこうして同じ寝台で横になっているが、これもまだつい最近になってからのことだ。だからユーリの秘部に触れると、いまだに体を緊張させる。

「コー…ガ……んっ……!」
「ユーリが欲しい……」

 明日は、婚儀で朝から晩まで予定が詰まっている。今夜は晩餐の予定があるだけだ。それまでは、のんびりしてもいいだろう。

 ユーリがこくっこくっと頷くのを合図に、キスの雨を降らせ、そして体を重ねた。

**

 昼少し前、静かに寝台から抜け出した。隣ではユーリが再び寝入っている。柔らかな髪を優しく撫でていると、部屋をノックする音が聞こえた。

「陛下! 急ぎ用件がございます!」

 寝台のある部屋まで聞こえるほどの声だった。隣の部屋へいくと、すでに側近が部屋に入って、そわそわした様子で立ちすくんでいた。

「いったい、なんの用だ?」
 
 慌てた様子で側近が話し始めた。北部山岳の民が反乱を起こし、警備をしている兵士でも対応できないとのことらしい。婚儀に乗じての混乱は想定内だ。すぐに補充の兵とその地域を統括している貴族、そして交渉役の人間を送り込んだ。

 しかし小一時間経った頃、今度は別の側近が部屋へやってきた。騒動は沈静化するどころか、激しくなっているとのことだった。

「いったい何を手こずっているのだ……」

 皇帝である俺が行くのが一番手っ取り早いが、それだといつまでも統括を任せている貴族は役に立たない。役に立たないだけではなく、そのうちに怠慢になって、統治が機能しなくなる恐れがある。

「俺が行こうか?」

 奥の部屋から身支度を整えたユーリがやってきた。

「ユーリ?」
「俺なら一応、皇帝陛下の名代になるだろうし」
「……」

 ちらりと側近の顔を見ると、それが名案というような表情をしている。しかしユーリを派遣するほどのことでもない。問題なのは、こんな簡単な事態を早急に収拾できない貴族にある。

「お前の手を煩わせたくはない」
「それは、俺も一緒。そうやすやすと皇帝陛下が出向くものでもないだろ?」
「しかしーー」
「ーー待った。俺だってお前の役に立ちたいんだ」

 俺の口を塞ぐようにユーリの手が重なる。

「それに北部の山岳といったら、あの村があるし。事態を収拾したら、ちょっと寄って来れるから」
「あの村とは、カゼル村のことか?」
「……まぁ、そう」
「まだあそこへ行っていたのか?」
「ごめん、黙ってて」

 カゼル村は、北部山岳で一番大きな村で他の村への影響力もある。そして北部を統一する際、最後まで抵抗していた村でもあった。ユーリを初めて伴わせて出兵したのも、この村だった。その村の抵抗は激しく、最後の手段、つまり焼き討ちする寸前まできていたほどだ。それを回避させたのが、他でもないユーリだった。どんな手口を使ったか知らないが、しばらくして、カゼル村は統一に賛同することになったのだ。

 今回の騒動は、このカゼル村とは別の村らしいが、ユーリを向かわせることに俺は躊躇した。ユーリを任せられるショーリが不在しているのも大きな理由だった。

「駄目だ。お前を向かわせる訳にはいかない。それなら俺が出向く」
「それって、つまり俺を信用してないってことか?」
「そうではない!」
「なら任せてくれ」
「駄目だ! 何度言えば分かる!」
「どうして?! それじゃ、俺は役立たずじゃないか!」
「そうは言ってない! ショーリが不在な今、お前を任せられる奴がいない!」
「それなら、ジョーがいる。あいつならショーリと同じくらい信用できる」
「っ!」
「頼む、コーガ。迷ってる暇は無い!」
「あー! 分かった! なら俺直属の近衛小隊も連れていけ!」
「それはダメだ。それじゃ、この宮殿で何か起こった時、お前を守る奴がいなくなる」
「連れて行かないというのなら、向かわせる訳にはいかん!」
「くっ……分かったよ、連れけばいいんだろ!」

 こうしてユーリが現場へ向かい、事態を収拾することになった。

 出立の場へユーリと向かうと、すでに近衛小隊やジョーが待機していた。

「今夜のことは気にするな」
「大丈夫。間に合うように戻ってくる」
「ショーリにも早馬で伝令を出しておいた。間に合えば、そちらへ向かうようにしてある」
「分かった。ありがとう、コーガ」
「……気をつけろよ」
「大丈夫!」

 蜂蜜色の瞳には強い意志を感じる光が宿っていた。

「ユーリ、お前を信じてる」
「分かってるって」

 普段しないようなことをする時、人は一体何に突き動かされて、そうするのだろうか。その時のユーリがまさにそうだった。

 そっと優しく柔らかい唇が重なった。ユーリから口づけされるのは、これが最初で、そして最後だった。

 離れていくユーリを見ると、照れ臭そうにしている。

「……それじゃ、また後で」

 頬を赤らめながら、はにかみながら言う姿になぜか胸騒ぎを覚えた。

 駆けていく馬を見送っている時には、さらに不安が胸の中に広がってきた。

 しかし長く降り続いていた雨がやんだせいで、きっと何もかも上手くいくと錯覚していた。

 東の方角には青空が広がり、真っ白な満月が少しだけ見えはじめていた。
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