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月夜に舞う(2)

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 太陽が完全に沈むと、茜色だった空が鮮やかな藍色へと変わっていく。見事なグラデーション。まさに自然のなせる技と言えるだろう。こんなに綺麗な夕暮れを見たのは、いつぶりだろう。

 しばらくすると藍色の空に帳が下り、漆黒の夜がやってきた。暖かだった空気が冷やされ、少し身震いをする。折よく西辻が肩掛けを持ってきてくれたので、礼を言って身を温めた。

「優里さん、長いことお待たせしてしまい申し訳ございません。ですが、まもなく皇琥様はお戻りになられます。こちらへ直接ご案内という手筈で、よろしいですか?」
「はい。お願いします。それとーー」
「音楽のほうは、聖吏さんから聞いております。リモコンを持っておりますので、皇琥様を中庭へ案内がてら、このリモコンで操作すればいいのですよね?」

 小さな四角いリモコンを、手のひらに乗せながら西辻が言った。 

「はい。それで、お願いします」

 もう準備は整っている。あとは皇琥を待つだけ。その皇琥がもうすぐ帰ってくる。

 しだいに手に汗をかきはじめてきた。珍しく緊張している。

「大丈夫ですよ、優里さんなら」
「えっ……あっ、ありがとうございます」

 なにやら緊張していたのがバレてしまったみたいで、少し恥ずかしくなった。剣術の試合でも、ついこの間の祭りで舞った時でさえ、緊張なんてしなかったのに。

「ただ……」
「ただ?」

 西辻が困ったように眉を八の字にする。

「いまは雲があって見えませんが、今夜は満月です。ですので、ここへ皇琥様をお連れするのに、少々時間がかかるかと」
「……満月」
「優里さんはご存知かどうか分かりませんが……、皇琥様は小さい頃から、なぜか満月がお好きではないようでして。でもご安心ください。必ずこちらへお連れします」
「……よろしくお願いします」

 きっぱりと断言する西辻に、頼もしさを感じ、優里は頭を下げた。

(あっ、そういうことか。小さい頃から皇琥は満月が嫌い……。それって絶対、俺のせいだな……前世で、俺が死んだ時、たしか満月って言ってたっけ……)

 それに前世の記憶を思い出す前から、満月を見て皇琥はどんな気持ちになったのだろう。そして今夜は満月。空を見上げるが、一面には曇が張り出し、いまはまだ月は見えない。

 西辻が一礼して、中庭から去っていく。その後ろ姿を眺めながら、もうすぐ皇琥が戻ってくることを再認識した。

 心臓の鼓動が早くなる。もう余計なことは考えず、神楽のことだけに集中した。舞台にあがり、スピーカーから音楽が流れるのを待つことにする。
 
 緩やかに吹いていた風がとまった。木の葉の騒めきも聞こえない。薄暗かった中庭に雲の動きが落とされる。どうやら、月のほうも準備万端らしい。

 目を閉じると、鼓動の音が聞こえるような気がした。ドクンドクンと高鳴る音は生きている証。ちゃんと伝えられるだろうか。いや、だろうかじゃなく、伝えるんだ。今も昔もーー。

「一体どういうことだと聞いている。西辻!」

 廊下の奥から、聞き慣れた声が聞こえてきた。 

(ごめんよ、皇琥。ドッキリさせて。でも今夜は見て欲しいんだ……)

 皇琥の姿はまだ見えない。きっと西辻はいろんな理由をくっつけて、皇琥をこっちに連れてきてくれるはず。それを信じて、いまは待つ。

「西辻! 今夜はわかってるだろうな! なら、ちゃんと説明をしろ!」

 先ほどよりも声が大きい。すぐそばまで来ている。

 笛のが流れ始めた。合図だ。

 優里はゆっくりと立ち上がり、足を滑らせながら舞う。

 舞っているのは、紫陽花祭りでまった神楽。祭りの頃は雨季の初め。植物にとって必要な雨や、次に訪れる真夏の日差し。秋に実り豊かになるようにとの願いが神楽には込められている。

 でも今日は愛する人のためだけに舞う神楽。これからの未来を共に歩めるようにと願いを込めて、優里は丁寧に舞う。

 手に持つ鈴の音が夜の庭に優しく響き渡る。風が優しく頬を撫で、月の光が降り注ぐ。

 皇琥の表情どころか、姿も舞台からは見えない。どこにいるのかさえ分からないが、きっと見ていると信じて舞った。

 もう緊張も不安もない。心が落ち着き、なにも考えず、ただ無心に舞う。無我の境地とでもいうのだろう。いままでに感じたことのない、心の落ち着き。自然と一体感になる。

 数十分間の神楽。もっと長く舞っている感覚。

 月に捧げるかのように、両手を掲げて優里の動きも止まった。月光に照らされた姿は、まるで天女のように美しい。

 静かに、そしてゆっくりと手を叩く音が聞こえてきた。そちらに視線を向けると、そこには皇琥が立っている。

「皇琥!」

 すぐに舞台から降りて、皇琥の元へ優里は駆け寄った。少し息があがった優里の肩を皇琥が優しく抱き寄せる。しばらく二人は、何も言わず抱き合った。

「おかえり、皇琥」
「ただいま、優里」

 抱きしめられた腕に力が入り、体が密着する。

「……どう、だった?」
「……美しかった。この世のものとは思えないくらいに」

 頬が緩んで仕方がない。いま顔を見られたら、にやけているに違いない。顔を皇琥の首元に押し付けようとしたが、頭飾りが皇琥の顔にぶつかってしまい「うっ……」という声とともに、顔をあげた。

「ごめん! 痛かった?」
「これくらい、大丈夫だ」

 珊瑚朱色の瞳が優しく煌めき、視線を絡めとられる。目が離せない。吸い込まれそうに顔を近づけ、瞳を閉じた。次の瞬間には、皇琥の柔らかな唇に触れていた。壊れ物にでも触るような、優しいキス。名残惜しそうに唇が離れていく。

 雲に隠れていた月が出てきて、皇琥の顔を照らしてくれた。嬉しそうに微笑んでいる。この笑顔を永遠にとどめておきたい。

「皇琥……月が綺麗だな」

 ふっと笑って、また抱きしめられ、耳元で「月なんかより、お前のほうが数倍綺麗だ」と美声でささやいた。ビリビリと電流が走ったように優里の体が震え、自然と抱きしめる腕に力が入る。

「……俺…皇琥を愛してる。今も昔も、そしてこの先もずっと、愛してる。だから…だから俺と……結婚してほしい」
「……」

 それは長い沈黙だった。

 ふと『ダメかもしれない』という考えが頭をよぎる。

「……て欲しい」
「え? ごめん。ちゃんと聞こえなかった」

 皇琥の小さな吐息を背中に感じた気がした。

「すまない……少し考えさせて欲しい」

 月が雲に隠れたのか、皇琥の表情に影がさして見えなくなった。
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