【完結】星夜に種を

はーこ

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本編

*35* はじめてなんです

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 突然だけど、うちの子自慢をするね。

 日中はてきぱきと家事をこなす働き者のジュリも、夜になるとおねむの甘えたちゃんになる。
 午後9時を回ろうものならあたしのベッドにもぞもぞと潜り込んできて、「おやすみなさぁい……」とふわっふわスマイルが死ぬほどキュートな、大天使ジュリエルと化すのだ。

 しかもすごく寝相がいい。
 寝相はいいのに、たまに寝言で「ぎゅってしてぇ」とかおねだりしてくるし、「んふふー」とにぱにぱしながら頬擦りなんて当たり前。
 何という破壊力だ。恐るべき0歳児だ。

 そんなマイエンジェルの抱き枕になりながら幸せを噛みしめるのが、毎晩楽しみにしていたことだったんだよね、今日までは。

「なんで、こんなことになっちまったんだ……」

 答えは簡単。自業自得。
 会話の最中でうっかりゼノのご機嫌を損ねてしまったあたし。
 夕食を済ませ、入浴を済ませた後、自室である寝室を寝間着姿でうろうろと歩き回りながら、頭を抱えていた。
 なんでも星凛さん、今夜はジュリくんではなく、ゼノさんと一緒に寝るらしい。驚きだ。

「セリ様」

 文字通り泣く泣く添い寝を譲ったジュリが、「明日は母さんの好きな、フレンチトーストだからねぇ! おやすみぃっ!」と、わらびを連れ、わっと自分の部屋へ駆け込んで行った。

「セリ様」

 くっ……あたしには、どうすることもできない。ジュリを頼んだよ、わらび……!
 ひた祈る脳内に「ビヨヨーン」と返事が届いた気がした。

「セリ様、ゼノです」

「うわぁ────っと!!?」

 現実逃避の真っ最中に、ひたり……と背後から肩に手を置かれてみなさい、絶叫は必至でしょ。
 なんでぇ! いつの間にぃ!?
 ぱくぱくと口を開閉するしかないあたしに、「声をかけてもお返事がなかったので」と淡々とした返答があった。
 あの、普通に心読まないでください……

「お待たせしました」

「イエ、ソンナコトナイデスヨ……」

 涼しい顔で挨拶を述べるゼノに、あたしの挙動のおかしさはどう映ったんだろう。
 少なくともあたしは、いつもキッチリ着込んだゼノが、胸元までくつろげたワイシャツ姿でこの部屋にいるという現実を、にわかには信じられないでいた。

 それとなく視線を泳がせた先で、ラベンダーカラーのネグリジェをまとった女子と、鏡越しに目が合う。
 あたしがあまり街に出られないからと、文通のついでにオリーヴがプレゼントしてくれた服のうちの一着だ。
 レースの控えめなそれは、寝間着というより、上品なワンピースのよう。
 可愛らしすぎないデザインだから、あたしも抵抗なく着られる。
 さすがオリーヴだよ。夜眠るのが楽しみになっちゃうね。こんなことになってなければ!

「お休みになられないのですか」

「寝ますよ、寝ますとも」

 だよね。現実逃避したって、時間は止まっちゃくれないんだ。よし、腹を括ろう。
 きゅっと唇を真一文字に結んでからベッドへ向き直ると、ゼノが後に続く気配がある。
 まったく、『ご褒美』の内容が添い寝だったとは。物好きなもんだね。

「ひとつ、申し上げますが」

「んん?」

「こうしてご一緒するのは手段のひとつであって、私が望む『ご褒美』そのものではありません」

「なんですとっ?」

 え、ちょっと待って。
 それじゃあ何? 添い寝はするけど、それだけじゃ足りないって?

 思えば、「教えない」ってやたら口を閉ざしてたもんな。
 そんな、言いふらすのも憚られるような内容なの?
 一体あたしに何をさせようっていうの!?

「私がセリ様にお願いしたかったのは」

「お、おん……」

「セリ様に、もっとふれてほしい。それだけです」

「うん……ん?」

 それはまぁ、なんというか。

「アバウトだね……?」

「私から指定することではないですから。貴女の思うがままに、貴女から、ふれてほしいんです」

 だからなのか。手を伸ばせばふれる距離にいるのにゼノが依然として佇み、こがねの双眸であたしを見つめるだけなのは。

「貴女にふれるのは容易い。けれど私にふれてもらうことは、とても難しいんです……セリ様は、意地悪です」

 そう言うゼノは、饒舌だ。
 たぶん彼が急に変わったわけではなくて、日頃から感じていたことがあふれた、みたいな感じなんだろう。

「ジュリ様があんなに構ってもらえるなら、私も『可愛く』なれば、セリ様に構ってもらえますか?」

 うん……ゼノ、それはね。
 構ってもらえなくて、寂しいってことなんだよね?
 いつもはドーベルマン的な風格を醸し出しといて、生まれたての豆柴か?

「なるほどね……そんじゃとりあえず、そこ座ろうか。ちょっと待ってて」

「セリ様、どこに」

「タオル取ってくるだけ。お風呂入ったばっかでしょ。拭いてあげるから」

 言い募ろうとするゼノの腕を引いて、ベッド端に座らせる。
 向かう先がクローゼットだとわかれば安心したようで、それ以上口を挟まれることはなかった。

「ちゃんと拭かないと、風邪引いちゃうぞ」

「ドールは風邪を引きません」

「言葉のアヤだって。そういうときは頷いときゃいいの」

「そういう、ものですか」

「そういうもんなの」

 足早にゼノのところへ戻ると、フェイスタオルを被せて、濡れ羽色の髪をわしゃわしゃと掻き回す。
 水分を含んだ猫っ毛はいつもよりひねくれて、曲者だった。我ながら上手いことを。

「風邪を引いてみるのも、いいかもしれません」

「なーにを言っとるか、この子は」

 他愛もないやりとりをしながら、本当に構ってほしかったんだなぁって伝わってきた。だって。

「……ふふ」

 褒められたこどもみたいに、はにかむんだもんなぁ。不意討ちもいいところだ。

 ねぇ、ゼノ。
 それ、あたしの前ではじめて見せた笑顔だって、わかってる?

 そして、きゅんとする我が胸よ。
 単純か?

 添い寝するにしても、あたしにメリットなくないか?
 このばかみたいに麗しいご尊顔が、間近にあるんだぞ。
 その上一晩中寝顔を見られるって、それどんな苦行?

「ドールにも、スリープ機能を搭載した個体はあります」

「え、マジ?」

「私にはありませんが」

「だったよね!」

 心を読まれたことは、この際置いとく。
 思わせぶりな発言からの、崖に突き落とされた気分。これをどうしてくれようか。
 百面相をするあたしは、知るよしもなかった。

「セリ様が、インプットしてください」

 ──添い寝をしてください。

 そんな提案をしてきた、彼の真意を。


  *  *  *


 ちいさい子を寝かしつけるのは得意だ。
 身体が大きいだけで中身は幼子みたいなもんだと思えば、意外と行けるかもしれない。

 そう自分に言い聞かせ、向かいに寝転ぶゼノの頭を撫でることしばらく。

「眠くなってきた?」

「……ふわふわ、してきたような」

 思い通りに行きすぎて、怖くなってきたところだ。
 いわくゼノのように戦闘に特化した多くのドールは、戦地にあることを想定しているため、スリープ機能を持たないらしい。
 それは裏を返せば、彼らにも安心感を与えることができれば、その限りではないということでもある。
 ドールは、人と共に成長するものだから。

 こがね色を縁どる長いまつげが、ふるりと震えた。

「嫌わないで、くださいね」

「いきなりどうしたの?」

「こわいんです、はじめて、なんです」

 あたしたちにとって当たり前な、『眠る』という行為。
 それは、あたしたちでさえ完璧にコントロールできるものではないし、口では説明できないもの。
 うまれてはじめて経験するゼノなら、その反応は正しい。

「セリ様……どこですか」

 声は掠れ、こがねの瞳はとろんと蕩けている。
 意識のほとんどは、ここにはないのだろう。

「ここだよ」

「そばに……いてくれて、いますか」

「いるよ」

「手を……にぎってほしいです」

 虚空をなぞる指に、指を重ねる。

「ちゃんと、そばにいるよ」

 手袋を介さない彼の感触は、ぬくもりが真っ先に伝わった。

「おやすみ、なさい……セリさま」

 ひどく安心したように脱力したゼノは、まぶたを閉じ、穏やかな呼吸ののちに、夢の世界へ旅立った。
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