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混沌
しおりを挟む「……はああああ」
気を抜けば、いつの間にかため息をついている。
まいった。
私をこの世界に召喚した人の名がわかった。
けど、その人は、もうすでにこの世にいない人で――。
――ギルフェールドさんが大切に思っていた人。
なんだかなー。ほんとになんなんだよ。
人を勝手にこんなところに連れてきて、苦労を押し付けたあげく、自分はさっさと退場しちゃってさ。
盛大に恨みをぶつけたいのに、それさえできない。
そして、私の恨むべき相手は、この国で多くの人から愛されていたお姫様で。
私をこの世界に呼んだせいで。
死んだ。
今になって、ようやく、葬儀の時の、国王の憎悪に満ちた瞳の意味がわかる。
私さえ来なければ――。
逆恨みだとわかっていても、そんな思いが消せないのだろう。
それは、ギルフェールドさんにとっても、同じはずで――。
「はああああああああ」
肺すら吐き出せそうな深い深いため息が出る。
『聖女様?』
石造りの長い廊下、先を歩いていたニイマさんが振り返った。
あ、いかんいかん。心配かけちゃう。
せっかくお風呂に入ってきたばっかりなのに。ストレス洗い流してきたのにこれじゃあ……って、まったく洗い流せてませんなー。
『大丈夫。ごめんなさい』
慌てて謝って、ニイマさんたちの後を追う。今日の護衛はレスターさん。全然気配しないけど、後ろからついてきてくれてるはず。
自室に戻る道を歩きながら、それでもやっぱり思いは私を召還したお姫様のもとを彷徨う。
そして、彼女のことを大事に思っている人たちのことを。
「はああーーー」
なんなの、これ。
なんで、私が恨む相手のせいで、私が恨まれることになってんの?
ほんっと、ろくでもないお姫様だな。
マジで恨みがより深くなる。悪即斬!ってしてやりたい。水の呼吸でも領域展開でもして吹き飛ばしてやりたい。
けど。
もし、逆の立場だったら、って想像すると。
日本が攻められて。
家族や友達がみんな死ぬかもしれなくって。
実家で飼ってる愛猫のスモアも、ゲームと本であふれてる大好きな部屋も、プランターで種から育ててるクリスマスローズも、全部燃やされるとしたら。
みんなが泣いて苦しんで、たとえ生き残ったとしても飢え死にか奴隷の暮らしだってわかってて――それが、自分の命一つでなんとかなる、と言われたら。
そんな苦しい人生を生きるくらいなら、いっそ……そう思ったりしないだろうか。
私でも――思うかもしれない。
だからさー、それがわかるから、最後の最後はどこかお姫様を恨みきれないんだ。
自分でも同じことをしてしまうかもしれないから。
異世界の誰かを召喚して苦しめることになるとわかっていても、それがどうした、って開き直るかもしれない……って、あああ、そうか!
お姫様、異世界から誰か召喚することになるって、知らなかった可能性あるじゃん!
少なくとも、私が聞いた伝説では、祈りながら命を捧げたら、神様が助けてくれた、ってことになってる。異世界からの召喚なんて話、どこにもなかった。
…………。
はー、ちょっと勘弁してよー。
お姫様を恨むことさえできないわけ?
なんかもう、泣くに泣けない。
しかも! しかもですよ!
こんなぐっちょんぐっちょんの最低の最悪な心境なのに、じきに、ギルフェールドさんに会わなきゃならないんですよ。
ええ、ええ、剣を捧げたい相手に死なれた挙句、その原因の私に騎士として仕えることになったギルフェールドさんですよ。私を恨んでるかもしれないあのギルフェールドさんですよ!
……自分で考えてて落ち込んできたわー。
もうすぐ、ディーラムさんの結婚式があるんだよね。
私が結婚式素敵ー、なんて乙女らしいことを言ったもんだから、出席できるように取り計らってくれてるんですよ。まあ、出席するって言っても、王宮内の聖堂で執り行われる式にだけ、だけど。
ディーラムさんは騎士だから、王宮内の聖堂が使えるのね。出席者もほとんどが騎士と貴族だし、王宮内だし、まんまこの国最強の精鋭部隊がいるようなところになにか仕掛けるような馬鹿はさすがにいないだろうから、出席しても大丈夫でしょうって。
問題は、私のエスコートは当然、ギルフェールドさんなわけで。
『聖女の騎士』である彼がいる以上、他の人にエスコートを頼めるはずもなく。かといって、今更断ったりしたら、ディーラムさんに恥をかかせることにもなりかねないし。
これは仮病を使うしかないかなあ。そうしたらニイマさんたちに心配かけちゃうよねえ。けど……。
ギルフェールドさんに会いたくない。今は。
彼の眼を見るのが怖い。
その表情に、私を厭う色が見えたりしたら――。
お茶会の情報って、どこまで伝わってるんだろう。
私がライラアーレ姫のこと知ったの、聞いたかな。聞いただろうな。
どう思ったんだろう。最近ちっとも姿を見せないのは、ひょっとして――
――ぐだぐだ考えていたら、足が滑った。
昇っていた階段を踏み外して、背中から後ろへと落ちる。
「……きゃ……」
悲鳴を上げるより前に、背中を温かい手ががっしりと支えてくれた。
血の気の引いた耳に、低い声が囁かれる。
『大丈夫ですか?』
『……レスターさん……』
うなずくと、レスターさんは私を持ち上げるようにして、ゆっくりと階段に足を置き直させてくれた。思わずほっと溜息が漏れる。
『ありがとうございました』
『悩むのは部屋に戻ってからのほうがいいですよ』
『…………』
ばれてた?
『気づかれてましたか?』
『あれだけ大きなため息ばかりつかれたら』
あははー。ですよねー。
照れ隠しに、頭をぽりぽりかいてたら、レスターさんの金の瞳がこちらをじっと見つめた。
『悩みがあるなら、話せば少しは楽になるかもしれません。侍女か誰かいませんか?』
『それが……その。誰にも話せそうにない内容なのが、また悩みでして』
『団長――ギルフェールド様には』
『絶対無理』
きっぱりと答えた私の様子になにか感じたのか、レスターさんがわずかに目を見開いた。
しかしこの人もイケメンだな。野性的なワイルドイケメン。騎士団って顔で選んでんじゃないの?
『王宮とか、神殿とか、騎士団の偉い人たちには、話したくないです。けど、侍女さんたちとかに話したことは、全部伝わる――伝わって、しまう、でしょう?』
レスターさんはじっと聞いていてくれる。もともと口数の少ない人だし。
でも今は、その姿勢がありがたかった。
『だから、一人で考えるのが必要……えっと、考えるしかない、です。でも、私、この国のこと、まだあまり、よく、しっかり知らないので……えーと、えーと、ぐるぐるしてます』
『なにか知りたいことがあるんですか?』
『……昔のこととか、人のこととか』
だんだんと声が小さくなる。レスターさんはしばらく何事か考えた後、小声でつぶやくように言った。
『……俺でよければ、聞きましょうか?』
『…………え?』
『上に知られたくないんでしょう? 黙ってますよ』
ついでに、私の知りたいことも教えてくれる、と。
え? え? なんで?
『どうしてで――』
尋ねようとした途中、いきなり、手首を掴まれた。
『悩むあまり、最近あまり食べてないでしょう』
レスターさんの大きな手につかまれると、私の手首なんかぽっきり折られそう。
『こんなに指が回る』
『それは――』
『これからきちんと食事をとること。そうしてくださるなら、俺が教えます』
レスターさんの宝石のような瞳が、鋭く私を射る。
『誰にも知られずに。貴女の知りたいこと、すべて――』
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