少女と虎といつか終わる嘘

阿波野治

文字の大きさ
13 / 120

ケンさん、そして父親

しおりを挟む
 目覚めた真一が真っ先に感知したのは、人が活動する気配。
 薄目を開けて気配の源泉を見やると、今宮南那がいた。背筋を伸ばして正座し、竹ひごを使った工芸品作りに勤しんでいる。
 言語化するのが難しい奇妙な感覚を、意識の底で緩やかに攪拌しながら、横になったまま、南那の仕事ぶりを眺めるともなく眺める。眠気が解消された今、機械のように洗練された動きを見せる指は、ほっとするような快さを真一にもたらした。南那は彼が目覚めていることに気がついているようだが、一瞥すらくれない。

 突然、木戸がノックされた。今宮家の玄関の戸だ。真一は真っ先に咲子の可能性を疑ったが、ノックの仕方はずいぶんと優しい。
 南那は作りかけの作品を作業台に置いて玄関へ向かう。真一は寝たふりを打ち切って上体を起こした。

 玄関から聞こえてきた男の声に、真一の心身はほのかな緊張に包まれる。
 ほどなく戻ってきた南那は、ビニール紐で束ねた竹ひごを胸いっぱいに抱えていた。

 彼女に続いて、漆黒の作業着を着た大柄な男が真一の前に現れた。南那が抱えていた倍以上の竹ひごの束を楽々と小脇に抱えている。男からはかすかに土の香りがした。
 目の前を通るさいに、男は真一を一瞥した。表情のないその顔は、不機嫌の結果生まれたもののように感じられて、真一は怯んだ。

 男は南那が下ろした竹ひごの束の真横に束を下ろす。彼女の指差しと口頭による指示に従って、竹細工の完成品を次から次へと胸に抱える。素早くもていねいな手つきで、獣医師が動物の子どもを扱うかのようだ。男は真一に会釈をして部屋を出て行き、そのまま今宮家をあとにした。

「あの男の人は誰? 仕事関係の人?」

 作業台の前に座った南那に声をかける。彼女はまだ男が家にいるうちから作業を再開していて、去りゆく男にはあいさつの言葉もなかった。

「そうですね。一言でいえば」

 手を動かしながら、目だけを真一に向けての返答だ。

「彼は吉行兼造さん。みんなは、わたしも含めて、親しみをこめてケンさんって呼んでる。さっき見てもらったとおり、わたしの仕事をいろいろ手伝ってもらっているの」
「そうだったんだ。手伝いって、具体的には?」
「材料の調達の他に、完成した作品を町まで運んでもらったり、報酬を届けてもらったり。ケンさんは働き者で、わたしの以外の地区住人の手伝いもいろいろと引き受けてくれているんです」
「みんなからの信頼が厚いんだね。体が大きくて体力がありそうだし、頼りになりそうだ」
「そうですね。小毬地区の住人全員から好かれている人は、あの人以外にはいないと思います」

 南那は一瞬、口元をささやかながらも緩めた。

「ちょっと気になったんだけど、ケンさん以外に仕事を手伝ってくれる人はいないの? ご家族のかたは?」
「母親はわたしを生んだときに亡くなりました。産後が悪かったらしくて」
「……そうだったんだ。でも、お父さんとはいっしょに暮していたんだよね。亡くなったと地区長さんは言っていたけど」
「父親は三年前に虎に殺されました」

 恐ろしい静寂が家内を満たした。あまりにも静かすぎるせいで、竹ひごの表面を指が滑る音がはっきりと聞こえるほどだ。
 迂闊としか言いようがない。人食い虎の情報を聞いておきながら、故人が虎に殺された可能性を考えなかったなんて。

「不用意な質問をしてしまって、ごめんね。南那ちゃんを傷つけるつもりはなかったんだけど……」
「分かっています。まったく気にしていないので、気に病まないでください。死んだ人間は帰ってこないし、過去はやり直せないですから」

 南那の声や表情からは悲しみや憤りの感情は観測できず、押し殺している様子もない。父親が虎に殺されるという痛ましい悲劇に関して、すでに気持ちの整理をつけているらしい。
 ただ、「死んだ人間は帰ってこない」や「過去はやり直せない」などと、冷めた発言をしたのは少し気になる。父親の死を積極的に悲しむどころか、消極的に歓迎しているようですらあった。
 気がかりではあったが、話題が話題だけに、これ以上踏み込むのはためらわれる。

「とにかく、協力者がいると分かって安心した。そうだよね。作品を作るだけならともかく、材料を調達するのは女の子一人ではきついもんね」

 真一としては、無難な方向に話を持っていってお茶を濁すしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...