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ケンさん、そして父親
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目覚めた真一が真っ先に感知したのは、人が活動する気配。
薄目を開けて気配の源泉を見やると、今宮南那がいた。背筋を伸ばして正座し、竹ひごを使った工芸品作りに勤しんでいる。
言語化するのが難しい奇妙な感覚を、意識の底で緩やかに攪拌しながら、横になったまま、南那の仕事ぶりを眺めるともなく眺める。眠気が解消された今、機械のように洗練された動きを見せる指は、ほっとするような快さを真一にもたらした。南那は彼が目覚めていることに気がついているようだが、一瞥すらくれない。
突然、木戸がノックされた。今宮家の玄関の戸だ。真一は真っ先に咲子の可能性を疑ったが、ノックの仕方はずいぶんと優しい。
南那は作りかけの作品を作業台に置いて玄関へ向かう。真一は寝たふりを打ち切って上体を起こした。
玄関から聞こえてきた男の声に、真一の心身はほのかな緊張に包まれる。
ほどなく戻ってきた南那は、ビニール紐で束ねた竹ひごを胸いっぱいに抱えていた。
彼女に続いて、漆黒の作業着を着た大柄な男が真一の前に現れた。南那が抱えていた倍以上の竹ひごの束を楽々と小脇に抱えている。男からはかすかに土の香りがした。
目の前を通るさいに、男は真一を一瞥した。表情のないその顔は、不機嫌の結果生まれたもののように感じられて、真一は怯んだ。
男は南那が下ろした竹ひごの束の真横に束を下ろす。彼女の指差しと口頭による指示に従って、竹細工の完成品を次から次へと胸に抱える。素早くもていねいな手つきで、獣医師が動物の子どもを扱うかのようだ。男は真一に会釈をして部屋を出て行き、そのまま今宮家をあとにした。
「あの男の人は誰? 仕事関係の人?」
作業台の前に座った南那に声をかける。彼女はまだ男が家にいるうちから作業を再開していて、去りゆく男にはあいさつの言葉もなかった。
「そうですね。一言でいえば」
手を動かしながら、目だけを真一に向けての返答だ。
「彼は吉行兼造さん。みんなは、わたしも含めて、親しみをこめてケンさんって呼んでる。さっき見てもらったとおり、わたしの仕事をいろいろ手伝ってもらっているの」
「そうだったんだ。手伝いって、具体的には?」
「材料の調達の他に、完成した作品を町まで運んでもらったり、報酬を届けてもらったり。ケンさんは働き者で、わたしの以外の地区住人の手伝いもいろいろと引き受けてくれているんです」
「みんなからの信頼が厚いんだね。体が大きくて体力がありそうだし、頼りになりそうだ」
「そうですね。小毬地区の住人全員から好かれている人は、あの人以外にはいないと思います」
南那は一瞬、口元をささやかながらも緩めた。
「ちょっと気になったんだけど、ケンさん以外に仕事を手伝ってくれる人はいないの? ご家族のかたは?」
「母親はわたしを生んだときに亡くなりました。産後が悪かったらしくて」
「……そうだったんだ。でも、お父さんとはいっしょに暮していたんだよね。亡くなったと地区長さんは言っていたけど」
「父親は三年前に虎に殺されました」
恐ろしい静寂が家内を満たした。あまりにも静かすぎるせいで、竹ひごの表面を指が滑る音がはっきりと聞こえるほどだ。
迂闊としか言いようがない。人食い虎の情報を聞いておきながら、故人が虎に殺された可能性を考えなかったなんて。
「不用意な質問をしてしまって、ごめんね。南那ちゃんを傷つけるつもりはなかったんだけど……」
「分かっています。まったく気にしていないので、気に病まないでください。死んだ人間は帰ってこないし、過去はやり直せないですから」
南那の声や表情からは悲しみや憤りの感情は観測できず、押し殺している様子もない。父親が虎に殺されるという痛ましい悲劇に関して、すでに気持ちの整理をつけているらしい。
ただ、「死んだ人間は帰ってこない」や「過去はやり直せない」などと、冷めた発言をしたのは少し気になる。父親の死を積極的に悲しむどころか、消極的に歓迎しているようですらあった。
気がかりではあったが、話題が話題だけに、これ以上踏み込むのはためらわれる。
「とにかく、協力者がいると分かって安心した。そうだよね。作品を作るだけならともかく、材料を調達するのは女の子一人ではきついもんね」
真一としては、無難な方向に話を持っていってお茶を濁すしかなかった。
薄目を開けて気配の源泉を見やると、今宮南那がいた。背筋を伸ばして正座し、竹ひごを使った工芸品作りに勤しんでいる。
言語化するのが難しい奇妙な感覚を、意識の底で緩やかに攪拌しながら、横になったまま、南那の仕事ぶりを眺めるともなく眺める。眠気が解消された今、機械のように洗練された動きを見せる指は、ほっとするような快さを真一にもたらした。南那は彼が目覚めていることに気がついているようだが、一瞥すらくれない。
突然、木戸がノックされた。今宮家の玄関の戸だ。真一は真っ先に咲子の可能性を疑ったが、ノックの仕方はずいぶんと優しい。
南那は作りかけの作品を作業台に置いて玄関へ向かう。真一は寝たふりを打ち切って上体を起こした。
玄関から聞こえてきた男の声に、真一の心身はほのかな緊張に包まれる。
ほどなく戻ってきた南那は、ビニール紐で束ねた竹ひごを胸いっぱいに抱えていた。
彼女に続いて、漆黒の作業着を着た大柄な男が真一の前に現れた。南那が抱えていた倍以上の竹ひごの束を楽々と小脇に抱えている。男からはかすかに土の香りがした。
目の前を通るさいに、男は真一を一瞥した。表情のないその顔は、不機嫌の結果生まれたもののように感じられて、真一は怯んだ。
男は南那が下ろした竹ひごの束の真横に束を下ろす。彼女の指差しと口頭による指示に従って、竹細工の完成品を次から次へと胸に抱える。素早くもていねいな手つきで、獣医師が動物の子どもを扱うかのようだ。男は真一に会釈をして部屋を出て行き、そのまま今宮家をあとにした。
「あの男の人は誰? 仕事関係の人?」
作業台の前に座った南那に声をかける。彼女はまだ男が家にいるうちから作業を再開していて、去りゆく男にはあいさつの言葉もなかった。
「そうですね。一言でいえば」
手を動かしながら、目だけを真一に向けての返答だ。
「彼は吉行兼造さん。みんなは、わたしも含めて、親しみをこめてケンさんって呼んでる。さっき見てもらったとおり、わたしの仕事をいろいろ手伝ってもらっているの」
「そうだったんだ。手伝いって、具体的には?」
「材料の調達の他に、完成した作品を町まで運んでもらったり、報酬を届けてもらったり。ケンさんは働き者で、わたしの以外の地区住人の手伝いもいろいろと引き受けてくれているんです」
「みんなからの信頼が厚いんだね。体が大きくて体力がありそうだし、頼りになりそうだ」
「そうですね。小毬地区の住人全員から好かれている人は、あの人以外にはいないと思います」
南那は一瞬、口元をささやかながらも緩めた。
「ちょっと気になったんだけど、ケンさん以外に仕事を手伝ってくれる人はいないの? ご家族のかたは?」
「母親はわたしを生んだときに亡くなりました。産後が悪かったらしくて」
「……そうだったんだ。でも、お父さんとはいっしょに暮していたんだよね。亡くなったと地区長さんは言っていたけど」
「父親は三年前に虎に殺されました」
恐ろしい静寂が家内を満たした。あまりにも静かすぎるせいで、竹ひごの表面を指が滑る音がはっきりと聞こえるほどだ。
迂闊としか言いようがない。人食い虎の情報を聞いておきながら、故人が虎に殺された可能性を考えなかったなんて。
「不用意な質問をしてしまって、ごめんね。南那ちゃんを傷つけるつもりはなかったんだけど……」
「分かっています。まったく気にしていないので、気に病まないでください。死んだ人間は帰ってこないし、過去はやり直せないですから」
南那の声や表情からは悲しみや憤りの感情は観測できず、押し殺している様子もない。父親が虎に殺されるという痛ましい悲劇に関して、すでに気持ちの整理をつけているらしい。
ただ、「死んだ人間は帰ってこない」や「過去はやり直せない」などと、冷めた発言をしたのは少し気になる。父親の死を積極的に悲しむどころか、消極的に歓迎しているようですらあった。
気がかりではあったが、話題が話題だけに、これ以上踏み込むのはためらわれる。
「とにかく、協力者がいると分かって安心した。そうだよね。作品を作るだけならともかく、材料を調達するのは女の子一人ではきついもんね」
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