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そうはいっても、関連書籍の総数はそう多いわけではない。『セントラルアフリカ』に置かれた全ての陳列棚に占める割合は、0・一パーセントにも満たないだろう。
『セントラルアフリカ』におけるンジャメナリプニツカヤ関連書籍は、一箇所あるいは数か所にまとめて陳列されているわけではない。一冊として隣り合うことがないどころか、同じ列にすら並ばないようにするという配慮のもと、陳列棚に点在している。形状も性質も名状しがたいという、ンジャメナリプニツカヤの特性を店主がリスペクトして、意図的に離れ離れに陳列しているのだ。
たとえば、その独特の存在感が料理家のクリエイティビティを刺激するらしく、ンジャメナリプニツカヤと料理を結びつけた書籍は比較的多く世に出回っている。『セントラルアフリカ』で販売されているそのジャンルの本は、僕が把握している限り、『創造的ンジャメナリプニツカヤ料理』と『創作ンジャメナリプニツカヤ料理・入門編』の二冊。これらには頭文字が「そ」という共通点があり、本来であれば二冊は、表紙と裏表紙が接する形で陳列されていなければならない。しかし、芸術性の高さにより重点を置いた料理が紹介されている『創造的ンジャメナリプニツカヤ料理』は、料理本コーナーではなく芸術本コーナーに置かれている。そのひと工夫こそが、『セントラルアフリカ』が『セントラルアフリカ』たる所以なのだ。
僕がこの店を好きなのは、普通の書店よりもンジャメナリプニツカヤ関連の本が豊富だから、というのももちろんある。その事実を知っている数少ない人間の中に自分は属しているという、優越感も理由の一つだろう。しかし最大の要因は、宝探しをする楽しさだ。一見無関係に思えるこのジャンルのコーナーにも、ンジャメナリプニツカヤの本はあるのだろうか。この棚にンジャメナリプニツカヤ本が置かれているのは本来ならばおかしいが、店主があえて陳列場所に選んだ理由はこうだろうか。そんな考察と、発見と、驚きと、感動。それらを味わわせてくれるこの店が、平凡な内装と外観からは想像できない刺激を与えてくるこの店が、僕は大好きだ。
そしてこの楽しみは、足繁く来店しすぎない限りは、枯渇する心配はまずしなくてもいい。なぜならば、店主は不定期に本の陳列場所を変更するからだ。遊び心があって、あざとすぎないサービス精神がちょうどよくて、なによりンジャメナリプニツカヤへの愛がひしひしと感じられる。顔をたまに見る程度、言葉を交わしたことは一度もないが、僕は『セントラルアフリカ』の店主を心から尊敬している。
誰でも気安く潜れる門ではないかもしれない。しかし、一度足を踏み入れたが最後、抜け出せない。足をとられながらも身を浸し続けているうちに、逃れたいという欲求さえ消失する。ンジャメナリプニツカヤには、そんな得も言われぬ奥深さがある。病みつきになった人間の一人が僕、というわけだ。
時刻は午後五時が近づき、店内には客の数が増えてきた。
僕はあてどもなく通路を歩き回りながら、ンジャメナリプニツカヤ本を中心に、気になるタイトルを見かけるたびに足を止めては立ち読みし、移動しては立ち読みすることをくり返している。ンジャメナリプニツカヤ本に関しては、既に軽くは目を通しているものばかりだが、つい読み耽ってしまう。ンジャメナリプニツカヤは多義性の怪物だからだ。
たとえば、著者が一体のンジャメナリプニツカヤを指して「このンジャメナリプニツカヤは青い」と述べたとする。文脈から判断して、色が青いから青いと言ったのだと納得したとしても、少し時間を置いて再読すると、未熟だというニュアンスで青いという単語が使われているのでは、という感想を持つ。初めて読んだときはそうは思えなかったのに。訝しく思い、何度も同じ文章を読み返すと、そちらの解釈が正しいとしか思えない。なぜ色が青い意味だと思ったのか、過去の自分が信じられなくなる。しかし同時に、三回目に読み返すときには、やはり最初の解釈の方が正しいと感じるのだろうな、という予感を覚えている。そんな驚きと意外性に満ちた発見が、ンジャメナリプニツカヤ本には山のようにある。
僕に読解力がないわけでも、著者の表現方法に問題があるわけでもない。ンジャメナリプニツカヤという存在が、本質的に様々な顔を持つ存在であるからこそ、すなわちAでもありBでもありCでもあるからこそ、あらゆる要因に左右されて、見え方が万華鏡のように変化するのだ。
愉快な刺激を断続的に味わっているうちに、学校で味わった嫌な気持ちのことなどすっかり忘れていた。
『セントラルアフリカ』におけるンジャメナリプニツカヤ関連書籍は、一箇所あるいは数か所にまとめて陳列されているわけではない。一冊として隣り合うことがないどころか、同じ列にすら並ばないようにするという配慮のもと、陳列棚に点在している。形状も性質も名状しがたいという、ンジャメナリプニツカヤの特性を店主がリスペクトして、意図的に離れ離れに陳列しているのだ。
たとえば、その独特の存在感が料理家のクリエイティビティを刺激するらしく、ンジャメナリプニツカヤと料理を結びつけた書籍は比較的多く世に出回っている。『セントラルアフリカ』で販売されているそのジャンルの本は、僕が把握している限り、『創造的ンジャメナリプニツカヤ料理』と『創作ンジャメナリプニツカヤ料理・入門編』の二冊。これらには頭文字が「そ」という共通点があり、本来であれば二冊は、表紙と裏表紙が接する形で陳列されていなければならない。しかし、芸術性の高さにより重点を置いた料理が紹介されている『創造的ンジャメナリプニツカヤ料理』は、料理本コーナーではなく芸術本コーナーに置かれている。そのひと工夫こそが、『セントラルアフリカ』が『セントラルアフリカ』たる所以なのだ。
僕がこの店を好きなのは、普通の書店よりもンジャメナリプニツカヤ関連の本が豊富だから、というのももちろんある。その事実を知っている数少ない人間の中に自分は属しているという、優越感も理由の一つだろう。しかし最大の要因は、宝探しをする楽しさだ。一見無関係に思えるこのジャンルのコーナーにも、ンジャメナリプニツカヤの本はあるのだろうか。この棚にンジャメナリプニツカヤ本が置かれているのは本来ならばおかしいが、店主があえて陳列場所に選んだ理由はこうだろうか。そんな考察と、発見と、驚きと、感動。それらを味わわせてくれるこの店が、平凡な内装と外観からは想像できない刺激を与えてくるこの店が、僕は大好きだ。
そしてこの楽しみは、足繁く来店しすぎない限りは、枯渇する心配はまずしなくてもいい。なぜならば、店主は不定期に本の陳列場所を変更するからだ。遊び心があって、あざとすぎないサービス精神がちょうどよくて、なによりンジャメナリプニツカヤへの愛がひしひしと感じられる。顔をたまに見る程度、言葉を交わしたことは一度もないが、僕は『セントラルアフリカ』の店主を心から尊敬している。
誰でも気安く潜れる門ではないかもしれない。しかし、一度足を踏み入れたが最後、抜け出せない。足をとられながらも身を浸し続けているうちに、逃れたいという欲求さえ消失する。ンジャメナリプニツカヤには、そんな得も言われぬ奥深さがある。病みつきになった人間の一人が僕、というわけだ。
時刻は午後五時が近づき、店内には客の数が増えてきた。
僕はあてどもなく通路を歩き回りながら、ンジャメナリプニツカヤ本を中心に、気になるタイトルを見かけるたびに足を止めては立ち読みし、移動しては立ち読みすることをくり返している。ンジャメナリプニツカヤ本に関しては、既に軽くは目を通しているものばかりだが、つい読み耽ってしまう。ンジャメナリプニツカヤは多義性の怪物だからだ。
たとえば、著者が一体のンジャメナリプニツカヤを指して「このンジャメナリプニツカヤは青い」と述べたとする。文脈から判断して、色が青いから青いと言ったのだと納得したとしても、少し時間を置いて再読すると、未熟だというニュアンスで青いという単語が使われているのでは、という感想を持つ。初めて読んだときはそうは思えなかったのに。訝しく思い、何度も同じ文章を読み返すと、そちらの解釈が正しいとしか思えない。なぜ色が青い意味だと思ったのか、過去の自分が信じられなくなる。しかし同時に、三回目に読み返すときには、やはり最初の解釈の方が正しいと感じるのだろうな、という予感を覚えている。そんな驚きと意外性に満ちた発見が、ンジャメナリプニツカヤ本には山のようにある。
僕に読解力がないわけでも、著者の表現方法に問題があるわけでもない。ンジャメナリプニツカヤという存在が、本質的に様々な顔を持つ存在であるからこそ、すなわちAでもありBでもありCでもあるからこそ、あらゆる要因に左右されて、見え方が万華鏡のように変化するのだ。
愉快な刺激を断続的に味わっているうちに、学校で味わった嫌な気持ちのことなどすっかり忘れていた。
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