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薫香と置物 三
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このあたりで、互いにカップに入れるものは入れ終わっていたと思う。母さんは苦笑気味の表情で紅茶を一口すすって、
「晴太のこと、分かってるようで意外と分かってないな。見事にぼろが出てる」
「いや、そんなものじゃない? 俺も母さんの好みとか趣味とか、全然知らないから。紅茶はミルクも砂糖も入れる派だとか、置物をコレクションしていることとか」
「コレクションっていうほどの量かな? あたし的には、目についたものは積極的に買うようにしている、くらいの感覚なんだけど。他人から見たら『おっ!』って思うものなのかもしれないね」
言葉が止まる。なにかをじっと見ていると思ったら、俺が一口かじったきり右手に持ったままだった、プレーンのクッキーだ。
慌てて食べようとすると、母さんはテーブルに片手をついて身を乗り出し、もう一方の手でクッキーを奪った。一口で食べるには大きいそれを、無理やり気味に自らの口に押し込み、ぎりぎり下品じゃないくらいの音を立てて咀嚼する。
なかなか食べないので怒っているのかと思って、軽く焦った。おずおずとうかがった母さんの顔に浮かんでいたのは、いたずら好きのおてんば娘の笑み。
口いっぱいに頬張ったクッキーをひたすら噛み砕く様は、ある種のなまめかしさを感じる。歴とした大人が子どもらしく振る舞うゆえの色気、みたいな。
母さんは口の中を空にして姿勢を正し、
「プレーンとココア、二種類あるんだけど」
「クッキーの味?」
「そう。晴太はココアのほうが好きだけど、なんとなくプレーンをとっちゃったから食が進まなかった。違う?」
「いや、味にそんなに極端な好き嫌いはないよ。よっぽど変な味ならまだしも」
「ありゃ、違ったか。ほんとなにも分かっていないなー、あたし」
「さっきも言ったけど――」
「いや、違うのよ、晴太」
母さんは少し語気を強めた。
「子どもは別に、大人のことを分かっていなくても問題はないの。なんの問題もない。世間というものを知らないし、知識は浅い。大人だって、秘密にしたいことは隠しているんだから。でも、大人がそれではだめなの。子どものことは絶対に知っておかなくちゃいけない」
「そんなものかな」
「そんなものよ」
「でも俺、もう二十歳過ぎてるよ? 二十四歳。満年齢二十四歳は子どもとはいえないんじゃないかな」
「年齢はあまり関係ないわ。ていうかあなた、一人暮らしをしているというだけで、まだまだあたしが差す傘の下じゃない。だから、これは常々思っていることなんだけど、あたしは晴太の――」
母さんはむせた。慌てて紅茶を飲み、照れ笑いをしてみせてから語を継ぐ。
「晴太のことをもっと知らなきゃいけないし、知りたいの。一人暮らしをはじめてからのことは特にね。最初の質問だけど、今の生活はぶっちゃけどうなの? なにか深刻な問題やトラブルは抱えていない?」
「晴太のこと、分かってるようで意外と分かってないな。見事にぼろが出てる」
「いや、そんなものじゃない? 俺も母さんの好みとか趣味とか、全然知らないから。紅茶はミルクも砂糖も入れる派だとか、置物をコレクションしていることとか」
「コレクションっていうほどの量かな? あたし的には、目についたものは積極的に買うようにしている、くらいの感覚なんだけど。他人から見たら『おっ!』って思うものなのかもしれないね」
言葉が止まる。なにかをじっと見ていると思ったら、俺が一口かじったきり右手に持ったままだった、プレーンのクッキーだ。
慌てて食べようとすると、母さんはテーブルに片手をついて身を乗り出し、もう一方の手でクッキーを奪った。一口で食べるには大きいそれを、無理やり気味に自らの口に押し込み、ぎりぎり下品じゃないくらいの音を立てて咀嚼する。
なかなか食べないので怒っているのかと思って、軽く焦った。おずおずとうかがった母さんの顔に浮かんでいたのは、いたずら好きのおてんば娘の笑み。
口いっぱいに頬張ったクッキーをひたすら噛み砕く様は、ある種のなまめかしさを感じる。歴とした大人が子どもらしく振る舞うゆえの色気、みたいな。
母さんは口の中を空にして姿勢を正し、
「プレーンとココア、二種類あるんだけど」
「クッキーの味?」
「そう。晴太はココアのほうが好きだけど、なんとなくプレーンをとっちゃったから食が進まなかった。違う?」
「いや、味にそんなに極端な好き嫌いはないよ。よっぽど変な味ならまだしも」
「ありゃ、違ったか。ほんとなにも分かっていないなー、あたし」
「さっきも言ったけど――」
「いや、違うのよ、晴太」
母さんは少し語気を強めた。
「子どもは別に、大人のことを分かっていなくても問題はないの。なんの問題もない。世間というものを知らないし、知識は浅い。大人だって、秘密にしたいことは隠しているんだから。でも、大人がそれではだめなの。子どものことは絶対に知っておかなくちゃいけない」
「そんなものかな」
「そんなものよ」
「でも俺、もう二十歳過ぎてるよ? 二十四歳。満年齢二十四歳は子どもとはいえないんじゃないかな」
「年齢はあまり関係ないわ。ていうかあなた、一人暮らしをしているというだけで、まだまだあたしが差す傘の下じゃない。だから、これは常々思っていることなんだけど、あたしは晴太の――」
母さんはむせた。慌てて紅茶を飲み、照れ笑いをしてみせてから語を継ぐ。
「晴太のことをもっと知らなきゃいけないし、知りたいの。一人暮らしをはじめてからのことは特にね。最初の質問だけど、今の生活はぶっちゃけどうなの? なにか深刻な問題やトラブルは抱えていない?」
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