嘘つきと口なし

阿波野治

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三日目の日記⑨

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 拘束されたままの僕の体が微動した。K先生が僕の胸倉を掴む手を震わせたのだ。次の瞬間、K先生の顔が醜悪に歪んだ。発声しようと唇を動かしたためだ。発言内容は一言一句正確に記憶している。
「人に責任を押しつけるんじゃない。恥ずかしいやつだな」
 直後に束縛が緩む感覚があって、二秒後には僕は床に座り込んでいた。酷い言葉をかけられたショックで足腰の力が抜けたのか。それとも、K先生が胸倉を掴んだ手を下に引っ張ってなかば強制的に座らせたのか。

 束の間の呆然自失から覚めて真っ先に感じたのは、恥ずかしさ。
 念頭には教室にいる女子児童の存在があった。彼女に屈辱的な場面を見られたのが、恥ずかしい。教師・児童という厳然たる上下関係があるとはいえ、暴言になす術もなく、乱暴な行為に無抵抗な自分を間近から見られたのが、恥ずかしくて、恥ずかしくてたまらなかった。

 当時は屈辱感な目に遭った実感は薄かったのだけど、単に遅効性なだけだったらしい。あとになってたびたび、僕は当時を追憶した。そして、そのたびに奥歯を噛みしめた。
 思い出すのはたいてい、一人静かな環境に身を置いて暇を持て余しているときで、取り留めもなく空想に耽っていると、脈絡のなくその過去が頭の中でぱっと花開く。追いかけるように怒りと不快感が湧くけど、どちらも激しくはない。むしろ、油断していると風も吹いていないのに消えてしまいそうな弱い炎に過ぎない。僕はその熱を感じるたびに、なかば無意識に、「灯し続けなければ、絶やさないようにしなければ」と自分に言い聞かせてきた。

 しかしその努力も虚しく、時間差で込み上げた羞恥の念に上書きされて、怒りも不快感も、その元凶である屈辱感もろとも見る見る薄れていき、いつの間にか後発の感情一色に心は染まっている。そして、僕のような臆病の人間の常として、その感情の鎖から逃れるためだけに、する必要もない用事を無理に見出して着手するのだ。

 話は変わるようだけど、当時の時点で、教師による生徒児童に対する暴力への世間の目は厳しかったのだろうか? 僕はこの出来事があったのはとても遠い過去のことのように感じているけど、実際の時間の隔たりはたった七年。おそらくすでに厳しかったはずだけど、K先生の一件が問題になることはなかった。
 それはすなわち僕が、両親や、他の教師や、然るべき機関に被害を訴えなかったことを意味している。
 同時に、K先生が、自分の加害行為を他の教師や僕の両親に申告しなかったことも意味している。そして、あの場に唯一居合わせた女子児童が、クラスメイトの被害とクラス担任の加害行為を、他の誰にも告げなかったことも。

 K先生の行為が問題視されなかったことは、仕方がないと僕は冷ややかに納得している。
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