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六日目
琴音の尋問
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十分ほどが経って、琴音と弥生が部屋に現れた。琴音の表情は険しく、弥生は困ったような顔をしている。
琴音はドアの傍に置かれた安楽椅子を見つけると、足元に落ちている毛布の端を指先でつまみ、さも汚らしそうに遠くへと投げ捨て、それから腰を下ろした。肘掛けに右肘をつき、四十五度ほど俯けた額に右手を宛がい、聞こえよがしにため息をつく。
弥生は部屋を出るまで自らが座っていた場所へと移動し、片膝をついた。すかさず琴音が言った。
「弥生、いざという時は頼むわよ。私の腕力では陽奈子を押さえ込めないんだから」
陽奈子はその発言を聞いて、今から始まる話し合いが、どの方向に向かって進もうとしているのかを悟った。
「弥生や他のみんなから話を聞いたから、あなたがなにをやったのかは把握しているわ」
束の間の静寂は、突き放すような琴音の声によって破られた。
「殴られたところが痛むのと、ショックを受けたのとで、華菜はまだ喋れる状態じゃないらしいの。だから、まずはあなたの口から説明してもらうわ。どうして華菜に暴力を振るったりしたの?」
「それは、華菜があたしの持ち物を壊したから」
「壊した? なにを?」
「ぬいぐるみです」
「ぬいぐるみ?」
陽奈子は自らのベッドのヘッドボードに横たわっている、変わり果てた姿の与太郎を指差した。それを認めた瞬間、琴音の瞳に軽蔑の色がありありと浮かんだ。
「あなたたちが揉めたのは、仕事中のことよね。持ち場で仕事に励んでいなければいけない時間なのに、どうして自室で喧嘩をしていたの? 順を追って、できるだけ詳しく説明してちょうだい」
陽奈子は言われたとおりにした。
ただし、二通目の脅迫状の存在は完全に伏せ、華菜が部屋にいた理由は不明と答えた。部屋に戻った目的である仮眠の動機については「昨夜は中々寝つけず、睡眠時間が短かったから」と説明し、中々寝つけなかった理由については「そういう日がたまにある」と答えた。
琴音はしばらく黙考していたが、出し抜けに真顔でこう確認をとってきた。
「つまり、華菜がぬいぐるみを実際に壊しているところを、あなたは見ていないわけね?」
虚を衝かれた思いがした。確かに、陽奈子はその場面を見ていない。
もっとも、全く根拠もないのに華菜が犯人だと決めつけたわけではない。
「見てません。見てませんけど、でも華菜は、『してない』とは一言も言わなかったんですよ? あたしが怒りを露わにして問い質したんだから、してないんだったら『してない』と正直に答えるはずです。そうしなかったのは、つまり、華菜がぬいぐるみを壊した犯人だったから。そうあたしは判断したんです」
「あなたが怒りを露わにしたことで、返事ができないほど怯えてしまった、とは考えられないかしら」
「怯えてはいませんでしたよ。なんていうか、無理に無表情と無言を貫いているみたいでした。なにかを隠しているみたいな」
「隠している? 華菜は元々無口で無表情な子でしょう。華菜の犯行だと早合点したあなたが、感情を制御できずに、真実を確かめもせずに華菜を殴った過ちを誤魔化すために、自分に有利なように証言しているとしか私には思えないんだけど」
「違う! やったのは間違いなく華菜だ」
声を荒らげて異議を唱える。全身が燃えるように熱かった。目の端で弥生が、今にも腰を浮かせそうな気配を滲ませながら、強張った顔つきで陽奈子を見つめている。琴音の目の色は一段と冷ややかさを増した。
「取り返しのつかない真似をしてしまった陽奈子からすれば、そうであるほうが望ましいでしょうね。でも、今のところ、華菜の仕業かどうかは分からない。そして、真実がどうであれ、あなたが華菜に暴力を振るったのは紛れもない事実。そうでしょう?」
「それは事実です。殴ったことは申し訳ないと思っています」
やれやれ、とばかりに琴音はため息をついた。
「それにしても、とんでもない真似をしてくれたわね、あなたも。華菜みたいな弱い人間に暴力を振るって。大きな体をしているんだから、自覚して自制しなさいよ。全く、なにをやっているんだか……」
「琴音、それくらいにしておけば。まだ華菜から話を聞けていないのに、陽奈子を一方的に悪者にしてもしょうがないって」
沈黙を守ってきた弥生が、眉をひそめて苦言を呈した。琴音は鋭い眼差しを発言者に送りつける。
「なに寝ぼけたことを言っているの? ぬいぐるみを壊したのが誰であろうと、陽奈子が華菜に暴力を振るったのは紛れもない事実でしょうが。その紛れもない事実を批評することの、なにが悪いというの? やっていないかもしれない華菜に対して、顔があんなになるほど殴る陽奈子のほうが、よっぽど非難されて然るべきじゃない。おかしいんじゃないの、たかがぬいぐるみが壊されたくらいで」
末尾の一言に感情を刺激されたらしく、弥生の眉が吊り上がった。なにか言い返そうとする素振りをみせたが、唇がもどかしげに蠢いただけだった。
琴音は鼻で笑い、椅子から立ち上がる。そして鋭い眼差しで陽奈子を見据える。
「陽奈子。あなたへの処分は、華菜への聞き取りが終わってから言い渡します。それまでは部屋の中で大人しくしていること。今日の分の仕事は一切しなくていいから。分かった?」
頷くと、琴音はさっさと部屋から出て行った。靴音が廊下を遠ざかっていく。
「ごめんね、力になれなくて」
弱々しい微笑と言葉を残して、弥生も部屋をあとにした。
二人が去って何分も経ってから、陽奈子は惨状を改めて直視した。
満身創痍の与太郎がヘッドボードの上に寝そべり、ちぎれた右耳と綿の一部が床に落ちている。
あるときは愚痴をこぼし、あるときは嬉しかったことや楽しかったことを報告し、あるときは深い意味もなく抱き締め、キスをしてきた、十年来の友人である彼は、もはや変わり果てた姿となってしまった。
与太郎から視線を切り、静かにベッドに身を横たえた。
琴音はドアの傍に置かれた安楽椅子を見つけると、足元に落ちている毛布の端を指先でつまみ、さも汚らしそうに遠くへと投げ捨て、それから腰を下ろした。肘掛けに右肘をつき、四十五度ほど俯けた額に右手を宛がい、聞こえよがしにため息をつく。
弥生は部屋を出るまで自らが座っていた場所へと移動し、片膝をついた。すかさず琴音が言った。
「弥生、いざという時は頼むわよ。私の腕力では陽奈子を押さえ込めないんだから」
陽奈子はその発言を聞いて、今から始まる話し合いが、どの方向に向かって進もうとしているのかを悟った。
「弥生や他のみんなから話を聞いたから、あなたがなにをやったのかは把握しているわ」
束の間の静寂は、突き放すような琴音の声によって破られた。
「殴られたところが痛むのと、ショックを受けたのとで、華菜はまだ喋れる状態じゃないらしいの。だから、まずはあなたの口から説明してもらうわ。どうして華菜に暴力を振るったりしたの?」
「それは、華菜があたしの持ち物を壊したから」
「壊した? なにを?」
「ぬいぐるみです」
「ぬいぐるみ?」
陽奈子は自らのベッドのヘッドボードに横たわっている、変わり果てた姿の与太郎を指差した。それを認めた瞬間、琴音の瞳に軽蔑の色がありありと浮かんだ。
「あなたたちが揉めたのは、仕事中のことよね。持ち場で仕事に励んでいなければいけない時間なのに、どうして自室で喧嘩をしていたの? 順を追って、できるだけ詳しく説明してちょうだい」
陽奈子は言われたとおりにした。
ただし、二通目の脅迫状の存在は完全に伏せ、華菜が部屋にいた理由は不明と答えた。部屋に戻った目的である仮眠の動機については「昨夜は中々寝つけず、睡眠時間が短かったから」と説明し、中々寝つけなかった理由については「そういう日がたまにある」と答えた。
琴音はしばらく黙考していたが、出し抜けに真顔でこう確認をとってきた。
「つまり、華菜がぬいぐるみを実際に壊しているところを、あなたは見ていないわけね?」
虚を衝かれた思いがした。確かに、陽奈子はその場面を見ていない。
もっとも、全く根拠もないのに華菜が犯人だと決めつけたわけではない。
「見てません。見てませんけど、でも華菜は、『してない』とは一言も言わなかったんですよ? あたしが怒りを露わにして問い質したんだから、してないんだったら『してない』と正直に答えるはずです。そうしなかったのは、つまり、華菜がぬいぐるみを壊した犯人だったから。そうあたしは判断したんです」
「あなたが怒りを露わにしたことで、返事ができないほど怯えてしまった、とは考えられないかしら」
「怯えてはいませんでしたよ。なんていうか、無理に無表情と無言を貫いているみたいでした。なにかを隠しているみたいな」
「隠している? 華菜は元々無口で無表情な子でしょう。華菜の犯行だと早合点したあなたが、感情を制御できずに、真実を確かめもせずに華菜を殴った過ちを誤魔化すために、自分に有利なように証言しているとしか私には思えないんだけど」
「違う! やったのは間違いなく華菜だ」
声を荒らげて異議を唱える。全身が燃えるように熱かった。目の端で弥生が、今にも腰を浮かせそうな気配を滲ませながら、強張った顔つきで陽奈子を見つめている。琴音の目の色は一段と冷ややかさを増した。
「取り返しのつかない真似をしてしまった陽奈子からすれば、そうであるほうが望ましいでしょうね。でも、今のところ、華菜の仕業かどうかは分からない。そして、真実がどうであれ、あなたが華菜に暴力を振るったのは紛れもない事実。そうでしょう?」
「それは事実です。殴ったことは申し訳ないと思っています」
やれやれ、とばかりに琴音はため息をついた。
「それにしても、とんでもない真似をしてくれたわね、あなたも。華菜みたいな弱い人間に暴力を振るって。大きな体をしているんだから、自覚して自制しなさいよ。全く、なにをやっているんだか……」
「琴音、それくらいにしておけば。まだ華菜から話を聞けていないのに、陽奈子を一方的に悪者にしてもしょうがないって」
沈黙を守ってきた弥生が、眉をひそめて苦言を呈した。琴音は鋭い眼差しを発言者に送りつける。
「なに寝ぼけたことを言っているの? ぬいぐるみを壊したのが誰であろうと、陽奈子が華菜に暴力を振るったのは紛れもない事実でしょうが。その紛れもない事実を批評することの、なにが悪いというの? やっていないかもしれない華菜に対して、顔があんなになるほど殴る陽奈子のほうが、よっぽど非難されて然るべきじゃない。おかしいんじゃないの、たかがぬいぐるみが壊されたくらいで」
末尾の一言に感情を刺激されたらしく、弥生の眉が吊り上がった。なにか言い返そうとする素振りをみせたが、唇がもどかしげに蠢いただけだった。
琴音は鼻で笑い、椅子から立ち上がる。そして鋭い眼差しで陽奈子を見据える。
「陽奈子。あなたへの処分は、華菜への聞き取りが終わってから言い渡します。それまでは部屋の中で大人しくしていること。今日の分の仕事は一切しなくていいから。分かった?」
頷くと、琴音はさっさと部屋から出て行った。靴音が廊下を遠ざかっていく。
「ごめんね、力になれなくて」
弱々しい微笑と言葉を残して、弥生も部屋をあとにした。
二人が去って何分も経ってから、陽奈子は惨状を改めて直視した。
満身創痍の与太郎がヘッドボードの上に寝そべり、ちぎれた右耳と綿の一部が床に落ちている。
あるときは愚痴をこぼし、あるときは嬉しかったことや楽しかったことを報告し、あるときは深い意味もなく抱き締め、キスをしてきた、十年来の友人である彼は、もはや変わり果てた姿となってしまった。
与太郎から視線を切り、静かにベッドに身を横たえた。
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