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追いかけっこ
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「急にどうしたの? びっくりした」
七海の呼吸が落ち着いたのを見計らって、声をかけた。返事はない。視線の方向は大樹のままだ。
「もしかして、この樹に思い入れがあるの?」
「ううん、ないよ。樹の存在を知ったの、今日が初めてだから」
七海は凪を振り向いた。その顔にははにかみ笑いが浮かんでいる。
「大きな樹が生えているのを見つけた瞬間、体が勝手に動き出していたの。言葉で説明するのは難しいけど、惹かれるものを感じて。わたしはちっぽけで弱いから、大きな存在が魅力的に見えたのかもね」
凪はどう答えればいいかわからない。ふたたび、七海と同じ対象に視線を注ぐ。
おもむろに、七海の足が動いた。樹皮のでこぼこを食い入るように見つめながら、ゆっくりと歩く。幹を右回りに回る軌道だ。凪は少し迷ったが、あとに続く。
七海が肩越しに凪を振り返った。顔が大きく綻び、純白の歯がこぼれた。それを号砲に、彼女は駆け出した。
「あっ、ちょっと! そんなに走ったら――」
「やめさせたいんだったら、わたしを捕まえて!」
巨樹を中心に据えての追いかけっこが勃発した。
凪が気づいたのは、この勝負を有利に運ぶために重要なのは、足の速さではなく、いかにスムーズに円を描く軌道で走れるかだ、ということだった。七海はそれが上手く、凪はややもたつくせいで、まったく距離が縮まらない。このまま走る時間がいたずらに長引けば、彼女の貴重な体力がすり減ってしまう。
八周目を完走したところで、凪は急ブレーキをかけて立ち止まり、体ごと進路とは逆方向を向いた。行く手を遮られた七海は、彼にぶつかる寸前で足を止めた。
「あっ、ずるした! ルールを守るから勝負は面白いのに」
彼女は頬を膨らませたが、すぐに笑い顔が取って代わる。乱れた前髪をていねいに整える指の動きを、凪はなかば無意識に目で追いながら、
「ルールなんて、もともと決めていなかったじゃないか」
「細かいね、凪くんは。たとえ事前に言っていなかったとしても、どういう勝負をするかによって、ルールはおのずと決まってくるものでしょ」
「それはそうだけど……。でも、七海の体調が心配だったから」
ひと呼吸を置き、七海の褐色の瞳をより深く見つめる。
さきほどまでの騒々しい雰囲気とは打って変わって、静寂が場を満たしている。
「七海、さっきからちょっと変じゃない? いきなり走り出したりして、落ち着きがないっていうか」
「普通だよ。これがわたしにとっての普通。よく年下に見られるって言ったこと、もう忘れた? ようするに、これがわたし。木花七海は、今年で十五歳になるにもかかわらず、小さな子どものような女の子なの。だからこそ、大きな樹を見つけて走り出したし、その樹の周りをぐるぐると回ったというわけ」
七海の頬は少し赤らんでいる。走ったせいなのか、それ以外の要因からなのか。
「大きな病気をわずらっていると、周りの人は優しく接してくれるでしょ? 特に病院で働いている人は、よほど他人に迷惑をかけない限り怒らないよね。だから、あまり自覚はないんだけど、わがままなところがきっとあるんだと思う。小さいころから病院暮らしだら、身勝手さが抜けないまま成長してしまったのかもしれない。自覚が薄いぶん、より厄介で手に負えないっていうか」
七海は声に感情をこめずに淡々としゃべる。凪はかたく唇を閉ざして話を聞く。
「そんなわたしに付き合ってくれてありがとうっていう気持ち、今さっき、凪くんに『心配だから』っていう言葉をかけられた瞬間、胸の底からこみ上げてきたよ。おととい、倒れたわたしに凪くんがなにをしてくれたのかを知った時点で、優しい人なのはわかっていたけど、改めて実感できた」
凪を見つめる眼差しは真剣だ。気安い世間話をしているときのように表情はやわらかい。それにもかかわらず、真剣さがひしひしと伝わってくる。
そんなところが好きだ、と凪は思う。
七海の呼吸が落ち着いたのを見計らって、声をかけた。返事はない。視線の方向は大樹のままだ。
「もしかして、この樹に思い入れがあるの?」
「ううん、ないよ。樹の存在を知ったの、今日が初めてだから」
七海は凪を振り向いた。その顔にははにかみ笑いが浮かんでいる。
「大きな樹が生えているのを見つけた瞬間、体が勝手に動き出していたの。言葉で説明するのは難しいけど、惹かれるものを感じて。わたしはちっぽけで弱いから、大きな存在が魅力的に見えたのかもね」
凪はどう答えればいいかわからない。ふたたび、七海と同じ対象に視線を注ぐ。
おもむろに、七海の足が動いた。樹皮のでこぼこを食い入るように見つめながら、ゆっくりと歩く。幹を右回りに回る軌道だ。凪は少し迷ったが、あとに続く。
七海が肩越しに凪を振り返った。顔が大きく綻び、純白の歯がこぼれた。それを号砲に、彼女は駆け出した。
「あっ、ちょっと! そんなに走ったら――」
「やめさせたいんだったら、わたしを捕まえて!」
巨樹を中心に据えての追いかけっこが勃発した。
凪が気づいたのは、この勝負を有利に運ぶために重要なのは、足の速さではなく、いかにスムーズに円を描く軌道で走れるかだ、ということだった。七海はそれが上手く、凪はややもたつくせいで、まったく距離が縮まらない。このまま走る時間がいたずらに長引けば、彼女の貴重な体力がすり減ってしまう。
八周目を完走したところで、凪は急ブレーキをかけて立ち止まり、体ごと進路とは逆方向を向いた。行く手を遮られた七海は、彼にぶつかる寸前で足を止めた。
「あっ、ずるした! ルールを守るから勝負は面白いのに」
彼女は頬を膨らませたが、すぐに笑い顔が取って代わる。乱れた前髪をていねいに整える指の動きを、凪はなかば無意識に目で追いながら、
「ルールなんて、もともと決めていなかったじゃないか」
「細かいね、凪くんは。たとえ事前に言っていなかったとしても、どういう勝負をするかによって、ルールはおのずと決まってくるものでしょ」
「それはそうだけど……。でも、七海の体調が心配だったから」
ひと呼吸を置き、七海の褐色の瞳をより深く見つめる。
さきほどまでの騒々しい雰囲気とは打って変わって、静寂が場を満たしている。
「七海、さっきからちょっと変じゃない? いきなり走り出したりして、落ち着きがないっていうか」
「普通だよ。これがわたしにとっての普通。よく年下に見られるって言ったこと、もう忘れた? ようするに、これがわたし。木花七海は、今年で十五歳になるにもかかわらず、小さな子どものような女の子なの。だからこそ、大きな樹を見つけて走り出したし、その樹の周りをぐるぐると回ったというわけ」
七海の頬は少し赤らんでいる。走ったせいなのか、それ以外の要因からなのか。
「大きな病気をわずらっていると、周りの人は優しく接してくれるでしょ? 特に病院で働いている人は、よほど他人に迷惑をかけない限り怒らないよね。だから、あまり自覚はないんだけど、わがままなところがきっとあるんだと思う。小さいころから病院暮らしだら、身勝手さが抜けないまま成長してしまったのかもしれない。自覚が薄いぶん、より厄介で手に負えないっていうか」
七海は声に感情をこめずに淡々としゃべる。凪はかたく唇を閉ざして話を聞く。
「そんなわたしに付き合ってくれてありがとうっていう気持ち、今さっき、凪くんに『心配だから』っていう言葉をかけられた瞬間、胸の底からこみ上げてきたよ。おととい、倒れたわたしに凪くんがなにをしてくれたのかを知った時点で、優しい人なのはわかっていたけど、改めて実感できた」
凪を見つめる眼差しは真剣だ。気安い世間話をしているときのように表情はやわらかい。それにもかかわらず、真剣さがひしひしと伝わってくる。
そんなところが好きだ、と凪は思う。
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