レム

阿波野治

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待つことと逃げること

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 凪は待った。待ってさえいれば、七海は必ずや戸を開いて姿を見せてくれる。そう信じて、待った。
 ときどき衣擦れのような音が漏れ聞こえるだけで、準備のために体を動かしているようには思えない。
 それでも待ちつづけた。嘘をついて騙しているのかもしれない、とは疑わなかった。彼女が言った「準備」とは、心構えのことを言っているのではないかと考えたからだ。

 我慢強く、かなり長時間待ったが、七海は出てこない。

 待っているあいだになにかトラブルが起きて、出てこられなくなったのだろうか?
 それとも、まさか、僕を試している?

 七海は、自分で戸を開けるのではなくて、僕に開けてほしいのかもしれない。僕が自分の手で戸を開く。それこそが、七海が外に出るために必要不な手続きなのかもしれない。
 推理が当たっている自信はなかったが、試してみようと思った。

 戸に手をかけ、音を立てないようにゆっくりと右方向にスライドさせる。隙間の幅が十センチほどに広がった。白く清潔そうな空間の床に、なにかが横たわっているのが見えた。
 七海だ。七海が床に仰向けに横になっている。
 しかし、いつもの彼女ではない。髪の毛は焼け焦げ、顔面は焼けただれ、衣服は融け落ちている。
 まるで炎に呑みこまれ、命を失う寸前に助け出されたかのような……。

 凪が見た夢の中で、七海は真っ赤な炎に包まれていた。しかし、現実ではその悲劇は起きていないはずだ。
 これはいったい、どういうことなのか。

 七海の体が動いた。ゆっくりとした、しかし迷いのない動きで首を回し、戸のほうを向いた。二人の視線が重なった。
 七海は双眸を見開いた。悲しみ、憤怒、どちらでもあってどちらでもない表情が、焼けただれた顔に浮かび上がる。凪は鳥肌が立った。

「……どうして。待っていてって言ったのに、どうして見たの」

 震えを帯びた声は、悲しみと憤り、正反対の感情を同時に表現していた。凪は気圧され、一歩二歩と後ずさりをする。

「わたしはもう死んだの。この世界から帰れないの。だから、凪くんもこの世界で暮らそうよ。永遠にいっしょに暮らそう。ねえ、凪くん。凪くんってば……!」

 ゆっくりと体を起こし、酩酊したような足どりで歩み寄ってくる。呑まれる、と思った。凪は戸に背を向けて走り出した。

 戸を開ける音が後方で響いた。それに続いて、走って近づいてくる足音が聞こえてきた。
 凪は加速した。恐ろしかった。それ以上に、呑まれたくなかった。
 七海はもはやこの世界の人間ではない。直視するだけでも毒だし、触れられたら自分が自分ではなくなってしまう。絶対に追いつかれてはならない。逃げなければ。遠ざからなければ。
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