僕の輝かしい暗黒時代

阿波野治

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 ジャンプは陳列されていた。手にとろうと前屈みになったところで、出入口の自動ドアが開いた。音源を振り向いて、どっと汗が噴き出した。
 石沢だ。
 中学二年生のときに僕をいじめていた男子グループのリーダー格。
 似合わない金髪と細い目は、忘れるはずもない。季節外れのアロハシャツを着ていて、手ぶらで、連れはいない。

 僕は足音を立てないように慎重に、それでいて迅速にトイレに逃げこんだ。合理的な判断にもとづく対応ではなく、反射的に体がそう動いていた。トイレといっても正確には、女子トイレと男子トイレの分岐点となる、洗面台が置かれた立方体の狭い空間。男子トイレのドアノブに手をかけていつでも避難できる態勢をとったうえで、肩越しに顔を振り向けて相手の動向をうかがう。
 石沢は僕がいるほうには見向きもせずに、レジの前の通路を奥へと歩いていく。姿が棚の陰に隠れたところで、「お」という声が重なった。一方は石沢で、もう一方はレイだ。

「進藤じゃん。なにしてんの?」
「友だちに頼まれて、アイス買ってるところ。あとは家族に頼まれたものもついでに」
「パシリか。いじめられてんのかよ」
「お金は向こう持ちだから。アイスもシャンプーもね」
「そのシャンプー、家族共用? それとも誰か専用?」
「変なこと訊くね。お母さんとあたし用。お父さんだけ別。育毛シャンプーだから」
「奇遇じゃん。うちも親父のだけ分けてる。育毛効果があるのかは知らないけど」
「それって、石沢はお母さんと同じシャンプーを使ってるってこと? こだわり、ないんだ」
「なんでもいいだろ。髪さえきれいになれば」
「男子って外見はしっかり気にするくせに、こまかいところではいい加減だよね。ところで、石沢はなに買いにきたの」
「ジュース。ちょっと飲むものがほしくなったときは、ここが一番近いから。家の近くに自販機があれば便利なんだけど」
「でも、自販機の飲み物って高くない?」
「十円二十円の違いだろ。すぐ買えるほうが得じゃね?」
「石沢、さっきから発言が雑だね」
「だって性格が雑だもん。知らなかったのかよ」
「忘れないようにメモしとく。メモをとったことを忘れるかもだけど」
「お前のほうが雑じゃん」

 覚えている。我ながら怖いくらいに、馬鹿馬鹿しいくらいに詳細まで記憶している。

「いじめられてね?」に対する「お金は向こう持ちだから」の声には不快感がこめられていたこと。父親が使用するシャンプーに育毛効果があると明かした直後、二人の笑い声が重なったこと。石沢は「ジュース買いに来ただけ」という返答を、レイの言葉尻に被せるように口にしたこと。
 みんな、みんな、はっきりと覚えている。
 気になって、全神経を聴力に注いで聞き耳を立てていたから。レイが自分以外の人間とどんな会話を交わすのかが、石沢に見つかりたくなくて隠れている現状を忘れるくらい、気になって仕方がなかったから。

 覚えているのはレイが、会話から抜けるならこれしかない、という言い分を持ち出したのもそうだ。
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