すばらしい新世界

阿波野治

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我が家

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 人類が死に絶えても、イナの我が家は当たり前のように建っていた。佇まいや老朽化の度合いなどの外観も、世界が変わってしまう以前となに一つ変わらない。

 中に入っても、きっと両親の姿は発見できないだろう、とイナは考える。
 まだ職場で働いている時間だから、ではない。七十何億人分マイナス一の、マイナスではない側に、二人が属しているからだ。
 唯一のマイナスであるイナの両親だろうと、特別扱いは許されない。友だちに最も近い関係だった反町直人ですら、その他大勢にカテゴライズされたのだ。イナを産み、育てた程度の人間が、特別扱いされるはずがない。

 イナが認識する彼女の両親は、平凡な小市民。普通の人間ならば、九割以上は「よい親」だと判断を下すかもしれないが、彼らの一人娘のイナは普通の枠から外れた人間だ。抑えつけられることをカマドウマよりも嫌っている身からすれば、学校やその他の場所での反社会的な行為の数々に対して、常識的な注意の言葉をかけてくる、それだけでもう許しがたい。物申されたとたんに、普段は歯牙にもかけない凡庸さ、小市民さが鼻につくようになる。精神状態によっては殺したいとさえ思う。

 そう、殺したかった。
 イナは両親に対して、自らの手で存在を抹消したい願望を抱いていた。殺さずにはいられないと思い詰めるほどに憎悪しているわけではないのに、なぜかそう願っていた。

 しかし、その両親はもはやこの世には存在しない。
 他ならぬイナが、他の人間といっしょに消してしまったから。

 蘇らせるのは、おそらく無理だ。
 少なくとも、今のイナの力では。

「……殺したかったんだけどな」

 呟いて、右掌を玄関扉ドアへと突きつける。さて、どう料理してやろう?
 検討を開始した直後、視界の端に赤がちらついた。

「あ」

 正体を視認すると同時、思わず声がこぼれた。門の近くに植わった椿の木の枝に、赤いものが引っかかっている。歩み寄って手にとる。

「直人のだ」

 チェ・ゲバラの顔が描かれた赤いTシャツだ。顔を近づけ、小鼻を蠢かせてみたが、葉っぱの匂いしかしない。

 直人は何度か尹家を訪れたことがある。といっても、家に上がったことは一度もない。いずれも行動をともにしているさいに、たまたま自宅前を通りかかっただけだ。
 イナは直人と自室で過ごしたい欲求を抱かなかった。逆に、直人がその欲求をほのめかせることもなかった。友だち未満の関係だというのは二人の共通認識だった。

『なかなかいい家に住んでんじゃん。玄関前のスペースに、停めようと思ったら三台は停められる。すげぇな』

 初めてイナの自宅を見たとき、直人はそんな感想を口にしていた。
 一言一句正確には覚えていないが、つまんね、とかなんとか、辛辣寄りの言葉を返した記憶が残っている。直人からストレートに褒められた経験があまりないので、照れくさかったのだ。

 そんなささやかな思い出を、たくさんの思い出の中の一つとして遺して、反町直人という唯一無二の個性は消滅してしまった。イナの能力が万能ではない現状、実質的に永久に、かつ不可逆的に。

「――燃やそう」

 有形の思い出も、無形の思い出も、思い出に執着する心も、つまらない二階建て住宅とともに。
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