すばらしい新世界

阿波野治

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柘植

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 かれこれ一時間以上は歩き続けている。その間ずっと、生き残りがいないかを探している。血眼になって、ではないにせよ、かなり熱心に。
 片側二車線の車道同士が交わる交差点の真ん中でイナは足を止める。言葉とともにため息も出た。

「……いないのかよ」

 一時間以上探しても見かけなかったのだから、そう結論を下すのが妥当だろう。
 校舎の開いた窓越しに見た人影は、気のせい。この世界に生き残りは一人も存在しない。
 そんな現実、承服しかねる。
 承服できない現実は、力を使って改変するしかない。

 今、イナは静寂に包まれた交差点のど真ん中に立っている。
 通行人はいない。車は通っていない。空には一羽の鳥も飛んでいない。前方にそびえる銀行の建物を見据えながら、声に出して命令を下す。

「出てこいよ、生き残り。いるんでしょ? ぼくが大嫌いなやつが」

 呼応するように、銀行の自動ドアが左右に開いた。
 現在地球上で最も神に近い存在であることも忘れて、イナの心身は極度に緊張する。

 自動ドアまでの距離は二十メートル。像はぼやけていたが、五十がらみの男性だと、瞬時に情報を取得できた。
 イナへと歩み寄ってくる。急いでいるわけでも、もったいぶっているわけでもない速度。近づくに伴って像が明瞭となり、明らかになったその人物の正体は、

「こら! 伊!」
 いきなり怒鳴りつけられて、イナの双肩は不可抗力的に跳ね上がった。生え際が大きく後退し、黒縁眼鏡をかけ、茶褐色のスーツを着ている。

「また社会のルールに背くようなことをやっているな、貴様は。そこは交差点だぞ。車が通る道であって、人が佇む場所ではない。さっさと歩道まで戻らないか!」
 去年、小学五年生のときのクラス担任だった、柘植何某だ。

 イナは柘植とは因縁がある。
 小学五年生の新年度から、この中年教師と対立する場面が数えきれないほどあった。
 厳格で旧弊で妥協できない性格の柘植は、イナの頻繁な反社会的な秩序破壊行為に対して、容赦ない叱責の言葉をぶつけてきた。
 イナとしてはもちろん、その対応は気に食わない。報復として、挑戦的な言動をくり返した。それが柘植の心証を悪化させ、彼女に対する言葉はますます厳しくなる。

 湿気が猛威を振るい始めた六月初旬に、柘植の堪忍袋の緒がとうとう切れた。事態のあらましはこうだ。

 イナは休み時間、教卓の天板に油性ペンで女性器の落書きをしていた。自分自身のものではなく、十八禁の動画や静画を参考に、リアルさをとことん追求した、それゆえに悪質な女性器を。
 すると、珍しく早めに教室に到着した柘植がそれを見つけ、ペンを持つ右手の手首を掴んだ。故意か無意識か、顔をしかめてしまったくらいに強い力だった。
 イナは、手段としては物理的な破壊を好むが、言葉の暴力も嫌いではない。反射的な反抗、咄嗟の反撃の場合には、むしろそちらを用いることが多い。自らの体の小ささ、腕力の乏しさを考え合わせて合理的に判断したからでもあるし、咄嗟にはそちらのほうが発信しやすいからでもある。

『セクハラ! 暴力! やめろよクソじじい!』
 イナは大声で叫んだ。
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