89 / 89
帰還
しおりを挟む
「……直人」
「直人、じゃねぇよ。いや、俺はいかにも反町直人だけど。というか、その……」
唇は動くが言葉がついてこない。まばたきの多さを考え合わせれば、どのような心理状態に置かれているのかは一目瞭然だ。
見つめるというイナの行為を、発言を促していると解釈したらしい。直人は唾を飲み込み、語を継いだ。
「どういうことだよ。頭上からやかましいガキの声が聞こえてきたと思ったら、お前が降ってきたんだが。焦ったとか驚いたとかの次元じゃねぇぞ。ていうか、常識的に有り得ねぇ。周りには高い建物なんてないのに。なにがどうなってるんだ?」
「おい直人、話なげーよ。この体勢、そろそろ飽きてきたんだけど」
「いや、だって空から――」
「いいから下ろせ!」
直人の肩をグーで殴りつける。殴られたほうは「いてっ」と言って顔をしかめた。加害者を睨みつけたが、控えめな舌打ちを鳴らすだけにして命令に従う。下ろしかたも柄にもなく紳士的で、イナを労わる気持ちが感じられる。
約一分ぶりに自らの足で大地を踏み締めたイナは、直人に触られた部位をあてつけがましく手で払う。相対したときには、直人の眉は漢数字の八を描いている。
「ていうか、マジで怖いんだけど。お前、なに空から落ちてきてんの? 意味分かんねぇ。飛行機から落ちた、とかじゃないよな? 音も聞こえなかったし。……いや、マジで謎なんだが。だって、説明がつかない……」
直人は頭上に広がる虚空を睨む。イナは無防備になった腹部にパンチを叩き込もうとしたが、気配を察知した彼の掌に防がれた。無言の眼差しが、百の言葉を連ねるよりも口うるさく、事情の説明を求める。
「細かいことを気にするなんて、ちょっと直人らしくないね。十日会わなかった間に、性格が小動物みたいに軟弱になっちゃったんじゃないの」
「十日? 妙な数字をいきなり出して、煙に巻こうとするな」
「は? なに言ってんの、この童貞は」
「うるせぇな。それは放っておけよ。俺はな、お前の様子がおかしいから、必死こいて探し回ってたんだよ。一時間くらい前に口喧嘩したばかりだろ、俺たち。忘れたとは言わせねぇぞ」
「……ああ、なるほど。あっちとこっちでは時間の流れかたが違うんだね。ていうか、直人、ぼくのこと探してくれてたんだ? ふーん。空から槍でも降る日なのかもね、今日は」
「槍どころか、生意気なクソガキが降ってきたんだが。ていうか、ただでさえ混乱してるのに、意味不明な発言を追加するのは勘弁してくれ。頭悪いから、これ以上はついていけねぇって」
「あっそう。じゃあ考えるのはやめて、ぼくと二人で遊びに行こうぜ。どうせ暇でしょ」
「ちょっと待て。お前が空から降ってきた件については……」
「しつこいな。そんなことはどうでもいいから、遊びに行こうって言ってんの。直人は暇なの? 忙しいの?」
「いや、暇だけど……」
直人は頭をかきながら首を傾げる。そして、深呼吸のようなため息。さらには髪の毛をがりがりとかいてから、
「遊びに行くって、どこへ? どこか行きたい場所でもあんの?」
「そんなの、決まってんじゃん」
直人の手を握る。道が続く先を指差し、満面の笑み。
「ぼくのおばあちゃんの家! ちょっと気になる絵本があるから、二人で探そう」
「はあ? なんでいきなり絵本が――って、おい!」
直人の手を引いて、イナはいきなり駆け出した。
小柄な小学六年生の女児であるイナと比べると、男子高校生の力は圧倒的に強い。手を振り払おうと思えば容易に振り払えたはずだが、直人はイナについてきてくれる。ただそれだけのことが、声高らかに歌い出したくなるくらいに嬉しい。
絵本探しなんて、ただの名目、おまけのようなものだ。
「おい、待て! バカみたいに走んな、バカ!」
「バカって言うほうがバカだから。悔しかったらぼくに追いついてみなよ」
二人の手は早くも離れ、ゴールを決めない徒競走の様相を呈していた。噴き出す汗を、吹きつける風がたちどころに雲散霧消させる。イナも、直人も、いつの間にか笑顔になっている。
雲一つない快晴の下、どこまでも走り続けられそうだった。
「直人、じゃねぇよ。いや、俺はいかにも反町直人だけど。というか、その……」
唇は動くが言葉がついてこない。まばたきの多さを考え合わせれば、どのような心理状態に置かれているのかは一目瞭然だ。
見つめるというイナの行為を、発言を促していると解釈したらしい。直人は唾を飲み込み、語を継いだ。
「どういうことだよ。頭上からやかましいガキの声が聞こえてきたと思ったら、お前が降ってきたんだが。焦ったとか驚いたとかの次元じゃねぇぞ。ていうか、常識的に有り得ねぇ。周りには高い建物なんてないのに。なにがどうなってるんだ?」
「おい直人、話なげーよ。この体勢、そろそろ飽きてきたんだけど」
「いや、だって空から――」
「いいから下ろせ!」
直人の肩をグーで殴りつける。殴られたほうは「いてっ」と言って顔をしかめた。加害者を睨みつけたが、控えめな舌打ちを鳴らすだけにして命令に従う。下ろしかたも柄にもなく紳士的で、イナを労わる気持ちが感じられる。
約一分ぶりに自らの足で大地を踏み締めたイナは、直人に触られた部位をあてつけがましく手で払う。相対したときには、直人の眉は漢数字の八を描いている。
「ていうか、マジで怖いんだけど。お前、なに空から落ちてきてんの? 意味分かんねぇ。飛行機から落ちた、とかじゃないよな? 音も聞こえなかったし。……いや、マジで謎なんだが。だって、説明がつかない……」
直人は頭上に広がる虚空を睨む。イナは無防備になった腹部にパンチを叩き込もうとしたが、気配を察知した彼の掌に防がれた。無言の眼差しが、百の言葉を連ねるよりも口うるさく、事情の説明を求める。
「細かいことを気にするなんて、ちょっと直人らしくないね。十日会わなかった間に、性格が小動物みたいに軟弱になっちゃったんじゃないの」
「十日? 妙な数字をいきなり出して、煙に巻こうとするな」
「は? なに言ってんの、この童貞は」
「うるせぇな。それは放っておけよ。俺はな、お前の様子がおかしいから、必死こいて探し回ってたんだよ。一時間くらい前に口喧嘩したばかりだろ、俺たち。忘れたとは言わせねぇぞ」
「……ああ、なるほど。あっちとこっちでは時間の流れかたが違うんだね。ていうか、直人、ぼくのこと探してくれてたんだ? ふーん。空から槍でも降る日なのかもね、今日は」
「槍どころか、生意気なクソガキが降ってきたんだが。ていうか、ただでさえ混乱してるのに、意味不明な発言を追加するのは勘弁してくれ。頭悪いから、これ以上はついていけねぇって」
「あっそう。じゃあ考えるのはやめて、ぼくと二人で遊びに行こうぜ。どうせ暇でしょ」
「ちょっと待て。お前が空から降ってきた件については……」
「しつこいな。そんなことはどうでもいいから、遊びに行こうって言ってんの。直人は暇なの? 忙しいの?」
「いや、暇だけど……」
直人は頭をかきながら首を傾げる。そして、深呼吸のようなため息。さらには髪の毛をがりがりとかいてから、
「遊びに行くって、どこへ? どこか行きたい場所でもあんの?」
「そんなの、決まってんじゃん」
直人の手を握る。道が続く先を指差し、満面の笑み。
「ぼくのおばあちゃんの家! ちょっと気になる絵本があるから、二人で探そう」
「はあ? なんでいきなり絵本が――って、おい!」
直人の手を引いて、イナはいきなり駆け出した。
小柄な小学六年生の女児であるイナと比べると、男子高校生の力は圧倒的に強い。手を振り払おうと思えば容易に振り払えたはずだが、直人はイナについてきてくれる。ただそれだけのことが、声高らかに歌い出したくなるくらいに嬉しい。
絵本探しなんて、ただの名目、おまけのようなものだ。
「おい、待て! バカみたいに走んな、バカ!」
「バカって言うほうがバカだから。悔しかったらぼくに追いついてみなよ」
二人の手は早くも離れ、ゴールを決めない徒競走の様相を呈していた。噴き出す汗を、吹きつける風がたちどころに雲散霧消させる。イナも、直人も、いつの間にか笑顔になっている。
雲一つない快晴の下、どこまでも走り続けられそうだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる