グッバイ童貞

阿波野治

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vs高井⑤

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「動くなぁ!」

 大音声が店内の空気を震わせた。
 弁当やおにぎりやサンドウィッチが並べられた陳列棚の前、奥のレジカウンターの前方で、高井が女性の背後から首に左腕を回し、右手に持ったサバイバルナイフのきっさきを頬に突きつけている。女性は赤いフレームの眼鏡をかけ、二十歳前後だろうか。服装から、この店の従業員だと一目で分かる。

「武器を手放せ! さっさとしないと、この眼鏡をぶっ殺すぞ!」
「いや……。武器を放した瞬間、人質を殺して襲いかかってくるでしょ。誰が手放すかって話」

 三花は呆れ顔だ。人質を取られていなかったなら、溜息の一つや二つついていたかもしれない。

「うるせぇ! いいから早くしろよ、ドブ猿がぁ!」

 高井は激しく床を踏み鳴らす。女性従業員は「ひぃ」と声を漏らし、体を縮めた。

「早くしろ! 今すぐ捨てろ! 早く早く早くぅっ!」
「ていうか、武器を捨てろはこっちの台詞。大人しく投降するなら――」

 混乱した怒りに支配されていた高井の顔が、にわかに静けさに包まれた。
 次の瞬間、サバイバルナイフの刃が女性従業員の右肩に根本まで埋まった。
 凄まじい絶叫。傷口を両手で押さえ、さらに束縛から逃れようとしたが、高井の左腕がそれを許さない。
 あいつ、やりやがった……!
 刃が引き抜かれる。血潮が噴水のように溢れ出し、女性従業員の制服を、高井の顔を濡らす。

「人質がどうなってもいいのか! 俺様の命令に従え!」
「どうでもよくないわけじゃないけど、多分、人質が死ぬと困るのはむしろ――」
「うるせえっ!」

 眼鏡と顔の隙間に刃が捩じ込まれ、きっさきが右目に突き刺さった。ぷちゅり、という眼球が潰れる音を、俺は人生で初めて聞いた。再び、けたたましい叫び声。

「捨てろよ早くぅ! 刺す刺す刺す! 捨てるまで刺すっ! ああああああっ!」

 肩に一回、二回、首、肩、肩、肩、首、首。さらに右耳を付け根からすっぱりと切り落として眼鏡を落下寸前までずれ落ちさせ、さらに肩、首、肩、首、首。
 四回刺された時点で、女性従業員は白目を剥くと共に叫ぶのをやめた。六回で四肢をだらりと垂らして失禁し、九回で全身を小刻みに痙攣させ始めた。高井は最早、無抵抗の肉体に刃を突き立てる機械と化していた。
 舌打ちが聞こえた。鳴らしたのは、高井ではなく三花。

「埒が明かないな、これは。――仕方ない」

 出入口を振り向き、怒鳴るように叫ぶ。

「アリッサ、突っ込め! 目標、弁当の陳列棚! ――カモン!」

 手招いた瞬間、駐車場に停車していた軽トラックが動き出したのを、俺は自動ドアの硝子越しに見た。
 鋼鉄の塊が次第に加速しながら見る見る迫りくる。そのまま衝突し、派手な音を立てて硝子が砕け散る。車は止まらない。三花が真横に大きく跳んだのを目の端に捉えて、俺も同じ方向に跳んだ。
 軽トラックは人質の女性従業員ごと高井に衝突。雷鳴にも似た激しい音を立てながら、二人を押しつける形で壁にめり込んで停車した。
 三花が起き上がり、高井のもとへと歩み寄る。いささかも急いていない足取りだ。着地の際に右肩を打ったらしく、疼痛を感じる。患部を左手で押さえながら立ち上がり、三花のもとへ。
 車体と壁の隙間から、高井の上半身が斜めに突き出している。双眸と口を大きく開き、口角から血と涎の筋を垂らしている。右手に握り締めていた血塗れのサバイバルナイフは、現在は床に転がっている。
 三花はハンドアックスを左手に持ち替え、右手でナイフを拾い上げた。高井の首がゆっくりと回り、極限まで見開かれた両の瞳が三花の姿を捉える。

「はい、というわけで」

 ナイフを一閃。両目に横線が引かれ、鮮血が迸り、絶叫が店内に轟いた。三花の目つきが鋭くなる。

「高井、さようなら」

 頸動脈が切り裂かれ、大量の血が噴出する。サバイバルナイフを投げ捨て、降りかかってくる血を左手で防ぎながら俺に向き直る。

「逃げよう。友也は助手席ね。走れ!」

 命じられるままに助手席に飛び乗る。三花は荷台ではなく、助手席に乗り込んできた。俺の方を向いて膝の上に座り、首に両腕を回す。押しつけられた胸の柔らかな感触に、鼓動が速まる。

「おい! ここは俺が座る――」
「アリッサ! 発進!」

 軽トラックは猛スピードでバックし、出入口から店内を窺っていた老夫婦を撥ね飛ばした。何かに憑りつかれたような表情のアリッサは、巧みなハンドル捌きで車体を方向転換させると、地面に横たわっている老夫婦を轢き潰して道に出た。

「秘密基地まで行って。安全運転でね」

 アリッサに命じ、しがみつく腕の力を強める。ずり落ちてしまわないように、俺は両手を三花の尻に添えた。

「おい、これはどういうことだ?」
「高井を殺したこと? コンビニに軽トラを突っ込ませたこと? それとも、こうして友也に抱きついていること?」
「全部だけど、最後の疑問が断然気になる」
「だって、荷台に乗りたくなかったし」
「だったら、俺に荷台に行けって言えばいいだろ」
「友也に嫌な思いをしてほしくないから、一緒にここに乗ることにしたんだってば」

 三花の声は仄かだが確かな熱を帯びている。唾を呑み込もうとしたが、それすらも憚れられた。赤信号に引っかかったらしく、軽トラが停車する。

「ねえ」

 三花は歌うように軽やかに言う。

「セックス、しようか」

 遠くで鳴り響いたクラクションの音に紛れさせるようにして、俺は今度こそ、口内の余分な液体を嚥下した。
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