グッバイ童貞

阿波野治

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vs林&二葉②

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 十歩も歩くとダイニングに出た。壁紙の色は汚れ一つない白。空間の中央に、壁紙よりもさらに白いテーブルクロスがかかった、四人掛けのテーブルが据えられている。上には何も置かれていない。
 奥に並べられたうちの左側の椅子に、女性が腰を下ろしている。着用しているのは漆黒のスーツ。顔を心持ち俯けていて、ワインレッドの長い前髪が表情を隠している。
 おもむろに顔が持ち上がった。浮かんでいたのは、冷ややかな諦念が湛えられた、少し疲れているようにも見える、陰性の表情。
 真正面から見据えられた瞬間、全身が粟立った。
 女性――二葉の顔はすぐに妹へと向けられた。

「三花、久しぶり。相変わらず元気そうね」

 電話で聞いた時と同様、声には感情が籠もっていない。
 三花は返事をしない。唇を軽く歪めた、ふて腐れた子供のような顔で姉を睨んでいる。

「掛けなさい。食事の準備はすぐに整うから。――林」

 斜め後方に控えていた、銀髪の女性に瞳で合図を送る。林と呼ばれた女性は深々とお辞儀し、ダイニングの右手にあるドアの向こうへと消えた。二葉は再び妹の顔を見て、さらに俺の顔を見る。

「掛けなさい。お友達も」

 三花はなおも姉を睨んでいたが、諦めたように小さく溜息をつき、二葉の向かいの椅子に腰を下ろした。俺も三花の隣の椅子に座る。

「二葉お姉ちゃんこそ、元気そうだね。いつも通り陰気な顔して」
「元々こんな顔なのだから、仕方がないわ。あなたと違って美人に生まれつかなかったのだから」
「出た、二葉お姉ちゃんの『仕方ない』。その台詞を聞くと無性に苛々するから、慎んでほしいんだけど」
「仕方ないわ、口癖なのだから」
「……馬鹿にしてるの?」
「馬鹿にしていないわ。せっかくこうして久しぶりに会ったのに、そう喧嘩腰にならなくてもいいじゃない」
「喧嘩腰なのはお姉ちゃんの方でしょ。元気そうだねって言っただけなのに、こんな顔だから仕方ないって、何なの? 人の神経を逆撫でするような言い方して」

 三花は怒りを滲ませた、これでも精いっぱい感情を抑制した結果だと言いたげな声で、一方の二葉は淡々とした口振りで、自ら話し、相手の言葉に応じる。
 俺は基本的には三花に目を据え、たまに二葉の顔を一瞥した。口は挟まない。姉妹同士の会話に水を差したくないから、ではない。かける言葉が何一つ浮かばないのだ。

「そんなつもりはないのだけど、三花がそう思ったのなら、私が悪いんでしょうね。謝るわ」
「ほら、そうやってまた嫌そうに言う。……あのねえ、二葉お姉ちゃん。二葉お姉ちゃんはあたしと十何年一緒に暮らしてきたんだから、あたしがまどろっこしい真似をされるのが嫌いな性格だって知ってるでしょ。それなのにそういう言い方をするってことは、なに? あたしをおちょくってるの? 言いたいことがあるならストレートに言ったらどうなの」
「言いたいこと? 呼び出したのは三花でしょう」
「だから、そういう意味じゃないって!」

 三花はいきなり声を荒らげた。思わずのけ反ってしまったが、二葉は眉一つ動かさない。その沈着冷静ぶりが癪に障ったらしく、三花の尻が椅子から浮きかける。咄嗟に制止しようとしたが、感情は爆発する寸前で抑え込まれた。

「そうじゃなくて、あたしが言いたいのは、殺したいくらいあたしのことが憎いなら、あたしを挑発するような言葉を重ねたりなんかしないで、『むかつくから死ね』って真正面から堂々と言えよってこと」
「殺したい? 憎む? 私は三花に対して、そう思ったことは一度もないわ」
「じゃあ、何で刺客を差し向けてきたの? マップスとかいう、無関係の人間を平気で殺すようなキチガイどもを」
「私は姉さんの指示を彼女たちに伝えただけ。責任は私にはないわ」
「かわいい妹が殺されそうになっているのに手をこまねいていたんだから、あんたも同罪でしょうが」
「姉さんの命令には逆らえないもの。仕方ないわ」
「なに被害者ぶってんの? 一樹の臭い股に顔を埋めてオナニーするのが好きなくせに。あんなキチガイ相手によく発情できるよね、二葉は」
「……三花。その言い方はよくないんじゃない?」
「ほうら、怒った」

 三花は勝ち誇ったような顔を見せた。二葉は表情を動かさなかったが、反論を述べようとした。三花はそれを阻止するかのように握り拳でテーブルの天板を叩き、一層目つきを鋭くして姉を見据える。

「大好きなお姉ちゃんのことを馬鹿にされて、悔しかった? だったら、むかつくって言えよ。好きな人を馬鹿にされたからむかついたって、正直に言えよ。あんたのそういうところが嫌いなのよ、あたしは。あたしのこと、憎いんでしょ? 殺したいんでしょ? だったら、むかつくから殺したいって言えよ。あたしの目を見て、大声で、はっきりと言えよ。ほら、早く」
「……三花」
「言えないの? それとも、あたしのことがむかついて、むかついて堪らないから、わざとあたしが望むのとは逆の行動を取って、不愉快な気持ちにさせてやろうって魂胆? ……ああ、そうですか。じゃあ、嫌でも言わせてやる。二葉、今日あたしがあんたを食事に誘ったのは、あんたを殺すためだ。次にあたしをむかつかせるような言動をあんたが見せたら、その瞬間にあんたを殺す。さっさと言えよ、二葉。これ以上黙っていたとしても、殺すぞ。ほら、早く言え……!」

 二葉は間を取るように静かに息を吐き、こう答えた。

「三花が私を呼び出した理由は把握したわ。でも、空腹だとお互いに都合が悪いんじゃないかしら。――林」

 ドアが開いて林が現れた。キッチンワゴンを押しながらテーブルに歩み寄り、てきぱきと配膳する。まずフォークとナイフとスプーン、取り皿とペーパーナプキンが配付され、続いてパン、スープ、サラダ、ドリンク。それらはテーブルの中央を広く避けて置かれた。

「ひとまず食事にしましょう。食事がある程度進んだら、改めてあなたの話を聞くわ。だから、まずは食べなさい。三花も、お友達も」
「なあ、三花。言うことを聞いておいた方がいいんじゃないか?」

 林がキッチンワゴンと共に引き下がったのを見届けて、姉を睨み続けている三花の袖を引く。

「とりあえず、食べよう。……な?」

 決定的な瞬間が訪れるのを可能な限り遅らせるためなのか。空腹を満たして戦いに備えたかったのか。自分でも曖昧なまま、俺はそんな台詞を吐いていた。
 水を差さされたと受け取られ、火に油を注ぐ結果になるのではという危惧もあったが、三花の表情は目に見えて和らいだ。

「そうね。それがいいかもしれない」

 穏やかに頷いてフォークを手にする。それを合図に食事が始まった。
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