わたしの流れ方

阿波野治

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睾丸の実

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 家賃五千円の戸建て住宅に住んでいる。過去に一家惨殺事件が起きたとか、暴力団関係の施設に三方を囲まれているとか、借り主にとって不利な条件がないにもかかわらず、この値段は破格としか言い様がない。
 わたしはこの家での暮らしにおおむね満足しているが、たった一つ、不満に思っていることがある。庭の南南東の角に生えている一本の常緑樹だ。高さは約三メートル、夏の終わりから秋の半ばにかけて大量の実をつけるのだが、その実というのが、人間の睾丸にそっくりなのだ。醜悪な見た目と、実から発散される独特の青くささが相俟って、夏の終わりが来るたびに憂鬱な気持ちになってしまうのだ。
 睾丸に酷似した実が生っているのはせいぜい二か月間ということもあり、今までは我慢してきたが、このたび、わたしが我慢するだけでは済まない事態になった。タイピーさんが我が家を訪問することになったのだ。
 タイピーさんはとある小説投稿サイトで仲良くしている女性の方で、そのサイトの主流からは外れている作風のわたしの作品を高く評価してくれている。メッセージ機能を使ってやりとりしているうちに、住んでいる場所が近いことが分かり、
「じゃあ家に来ます?」
「行かせていただきます!」
 ということになったのだ。
 女性であるタイピーさんに睾丸の実を見せるのはどうかと思ったが、彼女が訪問日に指定したのは二日後。四十八時間では巨大な樹をどうすることもできず、当日を迎えた。
 タイピーさんは若くて小柄な女性だった。笑った顔がかわいくて、対面を果たしてからというもの、わたしの顔はにやけっぱなしだ。
 立ち話もそこそこに家の中に入ろうとしたが、タイピーさんは庭が気になるらしく、一通り見て回ることになった。そして南南東の角の樹を発見された。
「なんなの、この実。変な形!」
 タイピーさんは驚いている。わたしは顔を真っ赤にして答える。
「睾丸の――睾丸の、睾丸の実です……」
「たまたまの実? へー。これを日夜目にしているから、独特の世界観の小説が書けるんですね!」
「いや、それは関係ないと思いますが……。そんなことより、早く家の中に入りましょう」
「いいえ。この樹を見ている方が私はいいです」
 醜悪で臭いのに、なぜ? そう目で問いかけると、
「私、あなた自身の秘密じゃなくて、あなたの作品の秘密を知りたいので」
 満面の笑みで言ってのけ、いきなり、睾丸の実を一つちぎった。その直後、「あっ」と小さく声を漏らし、左斜め前方を指差す。指差した先にあるのは、我が家の敷地を囲うブロック塀。
「思った通りね。別世界の扉、開きましたよ。一緒に別世界旅行、行きましょう」
「別世界の扉? 何のことです? ブロック塀があるだけでは――」
「冗談言ってないで、行きましょう」
 タイピーさんはわたしの手を握り、ブロック塀に向かって歩き始めた。危ない、と叫ぼうとした瞬間、彼女の体は塀にめり込んだ。凄まじい恐怖が胸を突き上げた。
「嫌だ! 別世界なんて行きたくない! たとえ変な樹が生えていても、わたしはこの家に――」
 しかしタイピーさんは問答無用で前進し、わたしは別世界に連れ去られた。
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