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父の肖像

第三話

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「書店……!」
 どうしたらいいのかわからず、心細い今、大好きな本を見て、癒されよう。砂漠で見つけたオアシスのごとく、店の中へと入る。
 駅に程近い場所に構える、小さな書店。小さくても書店がある街は良い街だ。書店なんて昔はどこでもあったのに、ホント少なくなっちまったな。家の周りにもねぇから、車で隣町の大きな商業施設内の書店に行く。そこは大型店で、フロアの半分以上を占めている。専門書や洋書の取り扱いがあり、店内奥にはカフェも併設されていて、ゆっくり過ごせるのが魅力的ではある。
 だが、この店のように小さな書店もこの世界にはなくてはならないと思う。駅にも近く、通勤通学の途中にパッと入って、サッと買って出る。コンビニのような手軽さと身近さが小さい店舗の強みだろう。オレは大型書店も小さな書店も、チェーン店でも個人経営でも、オレは書店が、本が好きだ。
 あまり読まない雑誌コーナーは通り抜けて、文芸書や文庫コーナーへと向かう。そういや年末年始は忙しくて書店へ足を運べなかった。エンド台に平積みにされた新刊本たちが「発売されたぞ」「読みたくはないのか」とオレに言ってくる。手に取ったら最後、ここで買わねば忘れてしまいそうだ。カバンの中から老眼鏡を取り出し、気になるタイトルのものはあらすじを確認。特に好きな作家の作品は例え面白くなかったとしても、すべて一度は読んでおきたい。「また本たくさん買ってきたの? 本棚、もういっぱいだよ!」と紗子から叱られるのは覚悟の上。どんどん購入する本を抱えていると、
「すいません」
 隣で本を探していた十代の若い女性が、歩いてきた店員を呼び止める。立ち止まった店員は、黒縁メガネの奥に大きな瞳を持つ青年だった。背丈はオレとあまり変わらないから一七〇センチあたり。黒髪はパーマなのか不規則にうねっている。清潔感と真面目な雰囲気が漂う彼の、意外と感じた点といえば、両耳たぶに透明のピアスをつけていることだ。いつも校則チェックでピアスをつけてないか確認するから、思わず目がいってしまった。職業病というやつだな……。「ピアスをつけているから不良」というイメージは古いが、やはり、彼のようなおとなしそうな青年がピアス穴を開けているのは、少し驚いた。
「あのぉ、本を探していて」
「かしこまりました。タイトルや作者名をお教えいただけますか」
「それが……あいまいで……」
「それでも大丈夫ですよ」
「えーっと、お姫様が主人公、舞台は日本で……」
「表紙や挿絵にイラストがあるようなものですか?」
「いえ。古典の授業の時に先生が表紙を見せてくれたんですけど、絵はなくて、文庫って言うんですか? 手のひらサイズの小さい本でした」
「なるほど」
「作者は女の人で……なんだったっけ……。ちょっとおもしろそうだなと思ったのに何も覚えてなくて……。本当すいません」
 女性はペコペコと頭を下げる。確かに記憶が曖昧と言ってたがここまで曖昧とはな。もっと詳しく自分で調べてから訊けばいいものを……。限られた情報から求める本を探しだす店員も大変だな。と、横で会話を聞きながら、思わず眉をしかめてしまう。店員は真剣なまなざしで、メモを取りながら、
「他に何か思い出せることはありますか?」
「うーん……。先生が言ってたのは『日本版のシンデレラみたいな話だよ』って……」
「……『おちくぼ姫』」
 つい、頭の中に浮かんだタイトルが口から漏れる。店員と女性がオレを見る。恥ずかしくて口を覆うと、
「それ! それです!」
 女性が目を輝かせる。
「『おちくぼ姫』ですね。在庫をパソコンで確認してきますので、少々お待ちください」
 そう言って、レジの横に置いてあるパソコンへ走っていった店員は、文庫の棚から一冊の本を持って、女性のもとに戻ってきた。
田辺聖子たなべせいこ『おちくぼ姫』、これで間違いないですか?」
 文庫サイズで、表紙にはタイトルと著者名の他に、赤地に丸で描かれた花の模様が描かれている。確かコレ、手触りが他の文庫のカバーと違ってツルツルしてなくて、和紙のようなザラっとした手触りなんだよな。
「あー! 先生が持ってたの、まさにこれです! ありがとうございました」
 女性は本を受け取ると、すぐさまレジへと駆けて行った。店員と共にその背中を見送る。
「あの、先ほどはありがとうございました」
「オレの方こそ会話を盗み聞きしたようなことになってしまって……」
「いえいえ。『おちくぼ姫』、僕もまだ読んだことない本だったので、全然ピンと来てなくて。助かりました」
「良かったです。あ、『おちくぼ姫』、面白いですよ。田辺聖子の文章は読みやすいですし」
「そうなんですか! 今度読んでみます」
 店員は微笑みを残して、仕事へと戻って行った。
 オレもああいう文学青年になりたかったモンだ。生まれつき身体ががっしりしていて、髪はスポーツ刈り。声も低く、圧があると言われる。「本が好きだ」と言うと、「ウソだろ~、見えねぇ」とよく笑われた。国語教師なのに体育教師に間違われることもしばしば。彼みたいに細身で顔も整ってりゃあ、少しは国語教師っぽく……いやいや、教師に見た目もクソもねぇって話だが。
 数十分ほど店内をまわったあと、両手で本を大事に抱え、レジへ行くと、さっきの青年が立っていた。
「お預かりします」
 一冊一冊バーコードをスキャンしていく。文庫、文芸書、新書合わせて十点近く。一万円はゆうに超えた。クレジットカードで会計を済ます。紙袋に商品を丁寧に詰めてくれている青年に、「あの、これは本に関係ない話なんですが」と切り出す。
「この辺で喫茶店はありますか? 土地勘がないモンで……」
 さすがに疲れた。とにかく休憩してから、そのあとの行動を考えたい。本以外のことを訊くのは困るだろうとは思ったが、ここで飲食店選びを失敗すると、さらにオレの心が折れてしまいそうだった。
「そうですね……。この店を出て、左に曲がってください。すぐに信号が見えてくると思うので、そこを右へ。途中の角に歯科の看板が出てくるので、また右に。細い路地を進むと『さざなみ』っていう喫茶店がありますよ。少しわかりづらいかもしれませんが」
「教えてくれてありがとう、行ってみます」
 品揃えも店の雰囲気も、そして店員の彼も、すべてが良い書店だった。あんな店が身近にあれば通うだろう。咲はあの店を知ってるだろうか。
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