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第三章 やりなおしの歌

第二十五話 やりなおしの歌7

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 翌日も休みだったアタシは朝から街へ出た。昨日も散々探した場所にいるはずもないと、隣の駅のあたりに赴く。当てはなく、ただ彷徨うように歩く。すると、スマホが鳴った。源太さんからだ。
「見つかったの⁉」
『いや、まだ……』
「そっか……」
『木村ちゃんにまで心配かけてごめん。ちゃんと寝て、ご飯は食べた?』
「少しは……」
『それなら安心した』
 このやりとりに、いなくなったパパの面影がちらついた。もしまだパパがそばにいてくれたなら、落ち込んでいる時、こうして声をかけてくれた未来があったかもしれない。無い未来を思い描いて、自分を追いつめて、さらにつらくなる。
「あのね、一つお願いがあるんだけど……今日、休み?』
「うん、休み」
『タイちゃんの実家に行ってみてくれない?』
「実家……ですか?」
『イエフリは今から一日ラジオ収録の仕事があって、ラジオ局から出れない。頼めるの、木村ちゃんくらいで……』
「わかった、アタシが行きます」
『ありがとう。住所は知ってる?』
「ううん」
 履歴書に書いてもらったけど、本社に送ってしまってるからわからない。まさかこんなことになるなんて思ってもなかったから、詳細に覚えてるはずもなく、ただ遠かった記憶しかない。
『住所、送る。少し遠くて申し訳ないけど、家族に会いに行った可能性も捨てられないから』
「たしかに」

 アタシはすぐに家に戻って身支度を整え、教えてもらった住所を頼りにバイクを走らせる。住所だけではピンと来てなかったけど、ダダの実家は高校の近くだった。七年前と変わらない風景を見るたびに、鼻の奥がツンと痛い。ダダはきっと徒歩か自転車で通学していていたのだろう。そんなこともアタシは知らなかった。
 地図アプリが示す場所に降り立つ。二階建てのごく普通の一軒家。大理石で出来た表札に「金田」と彫られている。勇気を振り絞って、インターフォンを押した。
『はい』
「あ、あの、はじめまして。ワタクシ、金田太介さんと同じ高校に通っていた――」
 とまで言うと、
『あっ! ちょっと待ってね』
 弾むような声に変わったと思えば、音声はすぐ切れ、ドアが開いた。ショートカットの小柄な女性が出て来た。透き通った綺麗な白髪。こめかみに虹色のヘアピンをつけ、毛糸のベストの下にふんわりとしたコットンワンピース。年上に言うことではないけど、とてもかわいらしい。
「寒い中よく来てくれたわね。どうぞどうぞ、上がってくださいな」
 笑顔で迎え入れてくれるのは嬉しいが、その反面、初対面のアタシをあれだけの情報で家に入れちゃうのは不用心すぎではと心配になる。
「あ、あのぉ……」
「ごめんね。太介、今ここにはいなくて……」
「そうなんですね」
「あら、私ったら、ご挨拶もせずに……。初めまして。太介の祖母、金田キタエです」
 キタエさんは小さく頭を下げたあと、
「あなたがキムキムちゃんでしょ?」
 と笑いかけてくれた。
「なんで……」
「太介がね、よく話してくれてたの。絵描いてたら、キムキムっていうあだ名の女の子が遊びに来てくれるって。聞いてた通り、可愛らしいお嬢さんだわ。今、お茶出すわね。コーヒーでいいかしら?」
「あ、えっと、はい」

 あれよあれよとリビングに通された。掃除がいき届いてて、綺麗な部屋。アタシは生まれてこの方、マンションでしか暮らしたことがない。リビングだけでアタシの部屋の半分以上の広さがある。他人の家に入るのも久しぶり過ぎて、なんだかソワソワしてしまう。
 こげ茶色の革のソファに腰掛けると、本棚が目の前に置かれている。目線の高さに写真立てが飾られていた。小さな男の子が真ん中に立ち、その両隣を二十代くらいの若い男女が腰を屈めて映っている。三人とも笑顔だ。その隣の写真は男の子一人が写っている。背景には……あ、確か金沢駅にある門だ。こないだ友達が同じ画角で写真撮ってSNSに上げてたなぁ。
「おまたせしましたー」
「ありがとうございます」
「ずっと太介には、キムキムちゃんをお家に呼んでほしいって言ってたの。でも『やだ』の一点張りで。こうして会えて本当に嬉しい」
「そんなに喜んでいただけるとは……」
「あまり自分のことすら話さない子だったから。キムキムちゃんの話が初めて出た時は、主人とびっくりしたものよ」
「ダダは……あ、太介くんは……」
「ダダってあだ名面白いわね」
「アタシが名前聞き間違えて、そうなりまして……。その、ダダは、最近までここに住んでたんですか?」
「大学卒業あたりまではここで生活してたの。今はどこに住んでるのか、全然教えてくれなくて。たまに電話したら元気そうだからいいけれど」
「そうだったんですか。小さい頃のダダってどんな子でしたか?」
「今と変わらないわよ。絵を描いて、ピアノ弾くのが好き。本当に物静かな子。小学生の頃に、お父さんもお母さんも亡くして、私たちの家に来た時からずっと弱音や文句ひとつ言わずに……」
 アタシはさっき目に入った写真に視線を向ける。
「あの写真のお二人はダダの……?」
「そう。――私は太介の母の母。だけど、太介のお父さんとは会ったことがないの」
「えっ」
「娘も絵を描くのが小さい頃から大好きで、コンクールで賞を何度も獲ったりして、将来は『画家』の一点張り。でも、私もお父さんも『画家で生きていけるはずがない。勉強しろ』って、あの子の才能を認めてあげなかった。そうしているとどんどん溝が広がって、ある日、家を出て行ったわ。そして知らない間に結婚して、息子……太介がいた」
 そう言うとキタエさんはコーヒーカップをゆっくり持ち上げ、すすった。
「太介のお父さんが先に亡くなって、娘は一人で働いて太介と生活してたみたいなんだけど、体調崩して病院に行ったらがんが見つかった。余命も長くないって宣告されたと。だから、私が死んだら太介を育ててほしいって土下座しに来るまで、私たちは親なのに何も……ごめんなさいね」
 目頭を押さえうつむく。
「私も小さい頃、手芸とか裁縫が大好きでねぇ。それで生計立てれるくらいの人間になりたいと思ってたけど、家族から大反対受けたの。そんなことがあったのに、ダメよね、本当。自分がされて嫌だったことを娘にしてしまったんだから……。娘が亡くなったあと、太介のすることは否定してあげないであげようって、お父さんと決めて……」 
 アタシはキタエさんのそばに行き、背中をゆっくりさすった。かける言葉が出なかった。少し経つと、「ありがとう、大丈夫よ」と笑ってくれた。
「キムキムちゃんはいつから太介と仲良かったの?」
「高校三年生の春でしたかね。アタシが無理矢理話しかけてっていう感じで……。最初はめちゃくちゃ嫌がられてました」
「高校三年生の春は、おじいさんが入院して、進級早々、このままじゃ卒業は難しい、ちゃんと授業に出なさいって先生からお叱りを受けたりしたからねぇ。いろいろストレスが溜まってたんでしょう。家でもずっと部屋にこもりきりで、私ともあまり話してくれなくなった頃だった」
「そうだったんですか。アタシ、何にも考えずに無神経だったというか……」
「キムキムちゃんのおかげで、また私とも話してくれるようになったの。おじいちゃんのお見舞いも行けるようになって。キムキムちゃんとお話しすることが太介にとって落ち着ける時間になっていってたんだと思うの」
「それなら良いんですが」
 黙り込む。ダダは「悲しい」とか「つらい」と零すことは一度もなかった。アタシが聞き役にはならないと思ったのかもしれない。聞いていたところで、アタシは彼の何の役にも……。キタエさんの言うところの「落ち着ける時間」を本当に提供できてたのか、自信はない。
 ダダにとって、アタシって一体何だったんだろう。
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