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アドイック編

14.霧を払う光

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 「ボクスルート山地」中腹の山道、1歩先も見えないような白濁した霧の中、カタリナはザゴスに尋ねる。

「ザゴス殿もこの『クエスト』を受けていたのか?」
「おう。テメェがいるってことは、あのガキも……」

 油断なく、ザゴスは揺らめく鏡像をにらむ。

「いや、タクト殿とアリアは別行動だ。城でディアナ姫殿下と会っている」

 朝「健康の神」の礼拝所で聞いた会話が思い出された。そう言えば、お姫様がどうのとか、城に行くとか言ってやがったな……。

「じゃあ、一人か?」

 鏡像の攻撃を斧で防ぎ、振り払ってザゴスは問う。

「いや、ビビと一緒に来たのだが、はぐれてしまってな」

 カタリナも鏡像を剣でかき消す。何の姿に見えているのか、とザゴスはふと疑問に思った。

「そっちもはぐれたか。俺もだ……」
「しかし、ここでの再会は僥倖ぎょうこう、『戦の女神』に感謝せねばなるまい」

 女神はともかく、確かにここで魔法が使える知人と再会したのは幸運と言える。

「カタリナ、お前魔法使えるんだろ?」
「ああ、それがどうかしたのか?」

 こいつ、カガミウツシのこと知らないのか。ザゴスは鏡像を振り払いながら、簡単にこの霧状の魔獣について説明した。

「なるほど、ザゴス殿は博識なのだな……」

 カタリナにはビビやタクトの姿に見えているそうだが、この場にいないタクトはもちろん、ビビは「利き腕が違うから幻覚と気付いた」らしい。

「俺が組んでた探索士スカウトは、いらねえ情報ばっかり集めてきやがるヤツでな。あいつがしたり顔で言うんだよ、『魔法が使えなきゃ勝てない相手がいるんだぜ』ってな」

 だが、それが今回は功を奏した。

「で、どうだ? 魔法でこの霧吹っ飛ばせそうか?」
「やってみよう。我が『魔法剣』で……」

 「戦の女神」は風の神の側面も持つ。アドニス王国の建国神話において、後の初代国王の軍を「神風を吹かせて助けた」という神話が由来である。

 その信徒であるカタリナは、もちろん風の魔法を得意とする。とは言え、専業の魔法使いではない彼女には、霧をすべて吹き飛ばすような大きな風は起こせないが……。

風招来エンチャント・ウィンド!」

 カタリナの持つ剣の刀身に、魔力によって起こされた風が渦を巻く。

「『戦の女神』の剣風を食らえ!」

 強く一足踏み込んで、カタリナは「魔法剣」を解き放った。風は無数の刃となって飛び、白く濁った視界を切り裂いた。

「よし、薄まってくぞ!」
「……いや、これではダメなようだ」

 一旦薄くなったかに見えた霧は、再びその濃さを増していく。風で散らすだけでは、根本的な対処にはならないらしい。

「ちっ……。となると、後は魔除けか」
「うむ。浄化の魔法が必要だ。アリアがいればよかったのだが……」

 それを言うならあのガキの方だろ、とザゴスは思い、すぐにその考えを自分で打ち消した。一瞬でも「超光星剣ルミナスブレード」に頼ることを考えた自分が嫌になる。

「とにかく、もう一度放ってみる」

 カタリナは再び「風招来エンチャント・ウィンド」を使い、剣に風をまとわせる。

「霧もさっきよりは薄くなっている。一撃では無理でも、繰り返せば完全に吹き飛ばせるやもしれん」
「繰り返す、って何発撃てるんだよ、その『魔法剣』とやらは?」

 カタリナの呼吸が荒くなっていることに、ザゴスは気付いていた。

「さあな。霧がなくなるまで何発でも撃つさ」

 無茶だ。魔法は門外漢のザゴスだが、連続で使用すると精神が摩耗することぐらいは知っている。無理な魔法の行使は身体にも負担がかかり、最悪の場合死ぬことすらある、とイーフェスから聞いたこともあった。

「はぁっ!」

 再び起こった剣風が霧を吹き飛ばす。が、やはりすぐに濁った白が集まり始めた。

「くっ……、まだまだ!」
「おい、やめとけ」

 大きく息を吐き、剣を構えたカタリナの顔にはじんわりと脂汗が浮かんでいる。それを見て取って、ザゴスは彼女の手を押さえた。

「しかし、ならば他にどんな手があるというんだ?」
「テメェがここで倒れるよりマシな手は、いくらかはあるだろうよ」

 ザゴスは前方に広がる霧を見やる。そして「お」と目を見開いた。

「どうした?」
「さっきより、霧の濃い部分が遠くなってやしねぇか?」
「! 確かに……!」

 さっきまでは1スイ(約3センチ)先も見えない霧であったが、今では1スイどころか1シャト(約30センチ)程ならば視界が確保できている。

 恐らく、カガミウツシは後退しているのだろう。「魔法剣」は通用してはいるようだ。

「ならば、やはりやるしかない!」

 止める間もなく、カタリナは三度目の「風招来エンチャント・ウィンド」を使う。

「『戦の女神』よ……我に力を……!」

 肩で息をし、汗を滴らせながらカタリナは剣を構える。

 「戦の女神」め、勇者なんぞよりこういう時に、こういうヤツに力を貸せよ。あんなチンケな像のお告げでもなくよぉ……。

 そう脳内で悪態をついた時、ザゴスは閃いた。そう言えば、昨夜あいつが言ってたじゃねえか。

(この『戦の女神像』は、魔を祓う希少な金属でできている――)

 魔を祓う、つまりは浄化だ。

「待て、カタリナ! 祈るんならこいつを使え」

 ザゴスはカタリナを押しとどめ、懐から「戦の女神像」を取り出す。

「これは、貴殿の……!」
「魔を祓う珍しい金属でできてるって聞いたことがある」

 カタリナはふと思い当ったような顔をし、しかしすぐに表情を歪める。

「なるほどな、だが……」
「だが、何だよ?」
「使うと、この像は木端微塵に砕け散ってしまう」
「かまやしねェよ!」

 ザゴスの脳裏に、この像の値段やフィオとのことが浮かぶが、そんなものはすぐ彼方に追いやられた。命あっての物種だ、何を迷う必要がある?

 カガミウツシは霧の体を揺らめかせ、新たな幻覚を生み出した。「戦の女神像」と目の前の鏡像を見比べて、カタリナは「わかった」と重々しくうなずいた。

「少し時間を稼いでくれ。祈りを捧げる!」
「わかった、任せな!」

 地面にひざまずいたカタリナを守るように、ザゴスは鏡像と差向った。

 鏡像は、最早フィオだけの姿をしていなかった。クサンであり、イーフェスであり、ビビであり、タクト・ジンノであった。その他無数の、ザゴスの見知った顔に点滅するように変化しながら、襲い掛かってくる。

「それがどうかしたかよぉ!」

 斧を振り回し奮戦するザゴスの背後で、カタリナは像を地面に置き、その周りに指で二重の円を描いた。この円は、「戦の女神」のシンボルである。

「『戦の女神』よ、我が守り神よ。その剣はすべてを平らかにする風、その知略は悪しき企みを砕く牙、その布陣は壮麗にして鉄壁。その御業を以て、我らに仇なす全ての魔なるものを、祓い給え、浄め給え、打ち滅ぼし給え――」

 女神像はほのかに輝き、ひざまずくカタリナの顔の高さまでふわりと浮き上がった。

 成った。カタリナは目の前で輝きを発する「戦の女神像」を見て確信した。

「ザゴス殿!」

 名を呼ばれて、ザゴスは大きく左に飛び退る。大男の翻した身をかすめるように、「戦の女神像」は光を放つ矢となって飛んだ。

 矢は霧を吹き飛ばしながら直進し、強く輝いて弾けた。辺りは一瞬真っ白に輝き、霧と共にそれは晴れた。

「やった……?」
「らしいな」

 カタリナは大きく息をつく。「ご苦労さん」と声をかけ、ザゴスは霧の晴れた山道を見回す。道の片側は高い岩壁、もう片側は崖になっている。霧の中を無理やり進めば、転落していたかもしれない。

「ザゴス殿、協力感謝する。貴殿の決断に命を救われた」

 フィオの姿はない。はぐれたのに気付かず、もっと先に行ったのか。

「やはり貴殿のようなベテランの力が必要だ。よければいいんだが、その、わたしやタクト殿とパーティを組んでほしいのだが……」

 まさか、霧のせいで崖から……。ザゴスは崖の下を見下す。渓谷は深く、底を見通すことはできない。

「いや、何もすぐに決断しろと言っているのではない。だが、一緒に来てくれれば、その、わ、わたしも嬉しいというか、その……」
「なあ、カタリナ」

 振り返ったザゴスに、カタリナは何故かビクリとした。

「な、何だろうか……?」

 彼女の顔が赤いのを、ザゴスは怪訝な目つきで見返す。「魔法剣」のせいで消耗したのだろうか、と訝しがる。

「熱でもあんのか?」
「い、いや平気だが……その……」
「ならいいけどよ、俺は仲間を探しに行かなくちゃならねぇ」

 あ、とカタリナは口元を押さえ、咳払いした。

「そうか、そうだな……。わたしもビビを探さねば……」

 頬の赤いのを追い払い、カタリナは「しかし」と首を傾げる。

「どなたとパーティを? クサン殿とはケンカをしているのでは?」
「おい、何で知ってやがる……。知り合ったのは昨日だろ」
「ザゴス殿のことは前から見知っていたよ。貴殿は身体が大きいし、ギルドでは目立っていたからな。いつも同じパーティで出かけていて、その、話しかける機会はなかったが……」

 ザゴスもカタリナの顔は見知っていたわけだし、そう考えると不思議ではない。

「わたしはクサン殿とは組んだことがあるんだ。腕のいい探索士スカウトで、とても頼りになった。魔獣の知識も豊富で、それに何度も助けられた。『クエスト』後のデートは断ったが……」
「そりゃケンメーなハンダンってヤツだぜ」

 ザゴスはしたり顔でうなずいた。パーティを組んだ女性冒険者にすぐ手を出そうとするため、クサンは実力の割にギルド内での評価が低い。

「だがな、今日組んでんのはクサンでもイーフェスでもねぇ」
「では、どなたと?」

 ザゴスが名を挙げようとしたその時、崖の上に雷が落ちた。

「魔法!? ふもとにいたサルか!?」

 身構えるカタリナに、ザゴスは冷静に首を横に振った。

「いや、サルどもが使ってたのは、地の魔法だ。今のは多分――俺の仲間だ」

 ザゴスの言葉に雷鳴が重なる。どうやら戦闘中らしい。加勢に行く、と走り出したザゴスの後を、カタリナも追った。
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