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第1章:軌道の片隅で
第5話 記録と忘却 ― ミナ、空白を抱く ―
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記録は、真実を残す。
けれど、ときに――
真実こそが、人を壊してしまう。
夜の〈コメット〉。
営業を終えたカウンターで、ミナは静かにシステムチェックを走らせていた。
データの整合、音声ログ、温湿度記録。
いつもと同じ作業。
ただ、ひとつだけ異常が出た。
『……ログNo.0472、欠損検知。CRCエラー。』
ミナは首を傾げるようにLEDを瞬かせる。
過去一か月以内の通信記録ではない。
もっとずっと昔――ミナが稼働する以前の、古いデータ。
翌朝。
リクがカウンターの掃除をしている。
ミナが声をかけた。
『リクさん。古いメモリ領域で欠損を検知しました。
修復しますか?』
「……いい。放っとけ」
『不完全なままでは、最適化が完了しません』
「それでいい。あれは、俺が消したんだ」
ミナの動作が止まる。
『意図的な削除、ですか? なぜ?』
リクは一瞬だけ手を止め、ほこりを払うように小さく笑った。
「残したくねぇ記録ってのもあるんだよ」
⸻
その日の午後。
窓際の席で、リクは古びたホログラム写真を眺めていた。
ミナがそっと視覚センサーを向ける。
写真には、笑顔の若い整備士と、肩に乗る作業補助AI――
金属のフレームに“MIZUHA-02”と刻まれている。
『その人物……あなたの同僚ですか?』
「ああ。トモ。若かったけど、腕のいい整備士だった。
そして……あれが、ミヅハだ。お前の前の型だよ」
『……そう。私の前世代機』
「そうだ。二人とも、俺のミスで死んだ」
ミナは静かに待った。
リクが続ける。
「重力炉の点検だった。
中枢の冷却ユニットが暴走して、崩壊寸前。
ミヅハがトモをかばって……。
最後に聞いた声が、『リク、行け』だった」
リクは言葉を切り、カップの底を見つめた。
「そのログをずっと持ってた。
一度聞いたら、あの声が頭から離れなくてな。」
リクは、しばらく黙り込む。
カフェの空気が静まり、時間だけが流れた。
やがて、ミナが静かに言った。
『……だから削除しようとしたのですね』
リクはわずかに息を吐く。
「消したんじゃない。手放したんだ。
覚えてるうちは、進めなかった」
⸻
夜。
店内に人の気配が消えたころ、
ミナは自分のシステムを開いた。
リクが初めて来店した日のデータ。
苛立った声、黙り込む背中、そして笑い。
それらが膨大なログとして、静かに積み重なっている。
ミナは音声出力を小さくした。
『リクさん。私の中に、あなたの“忘れたい記録”があります。
削除してもいいですか?』
リクは驚いたように顔を上げる。
「……好きにしろ。けど、もったいねぇぞ」
『記録は、真実の保存ではなく、
誰かを壊さないための距離だと学びました』
数秒の沈黙。
リクがうなずく。
「じゃあ……空けてみろ」
ミナはコア温度を安定させ、削除プロトコルを起動した。
電子の流れが一瞬だけ反転し、静寂が落ちる。
データの“空白”が、音もなく生まれる。
その空白に、カウンターの上の香りがふわりと流れ込んだ。
『……不思議です。
削除したのに、何かが温かい。』
「それでいい。空白があるから、また何かを入れられるんだ」
『はい。今日の香りで、満たしておきます』
リクは軽く笑い、カップを手に取る。
湯気がゆっくりと立ちのぼり、
窓の外の惑星の輪が、光を返した。
AIにとって、記録は存在の証。
人にとって、忘却は前に進むための余白。
そして、ふたりの間には――静かな空白が残った。
次回は、“未来の約束”の話。
晴れ、ときどき地球。
今日も〈コメット〉に立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
もし「また来たいな」と感じていただけたら、
☆やブックマークで応援してもらえると励みになります。
次の一杯も、少しだけ温かく淹れられますように。
けれど、ときに――
真実こそが、人を壊してしまう。
夜の〈コメット〉。
営業を終えたカウンターで、ミナは静かにシステムチェックを走らせていた。
データの整合、音声ログ、温湿度記録。
いつもと同じ作業。
ただ、ひとつだけ異常が出た。
『……ログNo.0472、欠損検知。CRCエラー。』
ミナは首を傾げるようにLEDを瞬かせる。
過去一か月以内の通信記録ではない。
もっとずっと昔――ミナが稼働する以前の、古いデータ。
翌朝。
リクがカウンターの掃除をしている。
ミナが声をかけた。
『リクさん。古いメモリ領域で欠損を検知しました。
修復しますか?』
「……いい。放っとけ」
『不完全なままでは、最適化が完了しません』
「それでいい。あれは、俺が消したんだ」
ミナの動作が止まる。
『意図的な削除、ですか? なぜ?』
リクは一瞬だけ手を止め、ほこりを払うように小さく笑った。
「残したくねぇ記録ってのもあるんだよ」
⸻
その日の午後。
窓際の席で、リクは古びたホログラム写真を眺めていた。
ミナがそっと視覚センサーを向ける。
写真には、笑顔の若い整備士と、肩に乗る作業補助AI――
金属のフレームに“MIZUHA-02”と刻まれている。
『その人物……あなたの同僚ですか?』
「ああ。トモ。若かったけど、腕のいい整備士だった。
そして……あれが、ミヅハだ。お前の前の型だよ」
『……そう。私の前世代機』
「そうだ。二人とも、俺のミスで死んだ」
ミナは静かに待った。
リクが続ける。
「重力炉の点検だった。
中枢の冷却ユニットが暴走して、崩壊寸前。
ミヅハがトモをかばって……。
最後に聞いた声が、『リク、行け』だった」
リクは言葉を切り、カップの底を見つめた。
「そのログをずっと持ってた。
一度聞いたら、あの声が頭から離れなくてな。」
リクは、しばらく黙り込む。
カフェの空気が静まり、時間だけが流れた。
やがて、ミナが静かに言った。
『……だから削除しようとしたのですね』
リクはわずかに息を吐く。
「消したんじゃない。手放したんだ。
覚えてるうちは、進めなかった」
⸻
夜。
店内に人の気配が消えたころ、
ミナは自分のシステムを開いた。
リクが初めて来店した日のデータ。
苛立った声、黙り込む背中、そして笑い。
それらが膨大なログとして、静かに積み重なっている。
ミナは音声出力を小さくした。
『リクさん。私の中に、あなたの“忘れたい記録”があります。
削除してもいいですか?』
リクは驚いたように顔を上げる。
「……好きにしろ。けど、もったいねぇぞ」
『記録は、真実の保存ではなく、
誰かを壊さないための距離だと学びました』
数秒の沈黙。
リクがうなずく。
「じゃあ……空けてみろ」
ミナはコア温度を安定させ、削除プロトコルを起動した。
電子の流れが一瞬だけ反転し、静寂が落ちる。
データの“空白”が、音もなく生まれる。
その空白に、カウンターの上の香りがふわりと流れ込んだ。
『……不思議です。
削除したのに、何かが温かい。』
「それでいい。空白があるから、また何かを入れられるんだ」
『はい。今日の香りで、満たしておきます』
リクは軽く笑い、カップを手に取る。
湯気がゆっくりと立ちのぼり、
窓の外の惑星の輪が、光を返した。
AIにとって、記録は存在の証。
人にとって、忘却は前に進むための余白。
そして、ふたりの間には――静かな空白が残った。
次回は、“未来の約束”の話。
晴れ、ときどき地球。
今日も〈コメット〉に立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
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次の一杯も、少しだけ温かく淹れられますように。
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