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ささやかなるお見合い
こんばんは、課長
しおりを挟むぐっと喉に冷たい日本酒を二回流し込んで、ぷはーっとやったところで、万千湖は正気にかえった。
ようやく駿佑の顔をまともに見て挨拶する。
「こんばんは、課長」
「……いや、今か」
「すみません。
よく冷えた酒とニンニクの焦げた香りに正気を失っていたので」
ちょっと意識が飛んでまして、と万千湖は謝った。
「昼間、揉めていたようだが、大丈夫か?」
「あっ、はいっ。
ありがとうございました。
課長のおかげで助かりました。
危うく、お気に入りのお弁当箱を捨てられるところだったんですが。
お弁当箱が一個増えて終わりました」
「何故、一個増える……?」
「みなさんが、今日のことは雁夜課長には黙っておいてと言って。
100均で一個買ってくださったんです」
「100円で買収されたのか」
「いや~、100円だと買収されづらいですけど。
100円というか、110円で買った、選びに選んだお弁当箱だと買収されちゃいますね~」
だが、駿佑は、
「あいつらは莫迦なのか。
お前を口止めしても、俺をしなきゃ意味ないだろうが……」
と言う。
万千湖は日本酒の並んだ棚を見ながら言った。
「そうですねえ。
増本さんたちに言っておきます。
課長も買収してあげてくださいと」
万千湖に嫌がらせをしてきたのは、システムの増本瑠美たちだった。
「いや、弁当箱はいらないぞ」
と駿佑が言ったとき、万千湖が声を上げた。
「あっ、五橋があるっ。
五橋を熱燗でっ」
だが、そのとき、目の前で焼かれていた、厚みがあるのに、やわらかそうな肉が香ばしい匂いと弾けるような音とともに出来上がってしまった。
海老やホタテはまだ焼けていない。
「しまったあああっ。
先にワインにすべきだった~っ」
頭を抱える万千湖の横で、駿佑が、
「……幸せな悩みだな」
と呟いていた。
「今日は幸せでした。
課長に海老の殻までむいてもらって」
夜道を送ってもらいながら、ご機嫌な万千湖はそう言った。
「おごってもらってすみませんでした。
今度は私がおごりますね」
今度……と駿佑は口の中で呟いたあとで、言う。
「そうだな。
もうちょっと会っておいた方がいいな、部長の手前」
「そうですねー。
せっかく部長がご紹介くださったんですから」
「今日はそのことについて打ち合わせようと思ってたんだが。
三回くらいは会った方がいいかと思って」
「三回。
いいですね~」
と万千湖は笑う。
万千湖の頭の中では、三回課長と会う。
三回、今日みたいに楽しくお酒が呑める、にすりかわっていた。
「ところで、今日は打ち合わせだったんですよね。
今日もその三回のうちの一回に入るんですか?」
駿佑を見つめ、万千湖は訊いた。
駿佑は一瞬黙ったあとで、
「……どっちでもいいが」
と言う。
「そうなんですかっ」
と万千湖は喜び、手を打った。
「じゃあ、今日のはカウントしないでくださいっ」
「……え?」
「もう三回課長と出かけたいですっ」
呑みに、と万千湖は頭の中で思っていたが、酔っていたせいもあり、口からは出ていなかった。
「そ、そうか。
わかった……」
「あっ、ここですっ。
お世話になりましたっ」
万千湖はマンションの前で、深々頭を下げたが、その瞬間、コンタクトがずれていた。
「いてっ」
「大丈夫か?」
「あ、大丈夫です。
コンタクトがずれただけで」
と万千湖はその目を覆う。
「目が悪いのか」
「はい、ちょっとだけ」
ちょっとだけ? と訊き返す駿佑に、ではでは、と言って万千湖は中に入っていった。
エントランスホールから振り返ると、駿佑はまだ、こちらを見ていた。
万千湖は手を振る。
万千湖がエレベーターに乗るまで、駿佑は見送ってくれていたようだった。
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