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ささやかなる見学会

このマンションともお別れですね

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 夜、夢を見た。

 新居近くの山道を二人で、途中、吸血鬼に襲われたりしながら散歩する夢だ。

 どんどん歩いていくと、突然、山の中にラーメン屋があって。

 ああ助かった、と思って中に入ったが。

 そのラーメン屋には冷水機がなく。

 カウンターに回転寿司の蛇口があって。

 ……いや、ラーメン屋にあるのだから、ラーメン屋の蛇口なのだろうが。

 ともかく、お湯の出る蛇口があって、横に100円の値札がついたカップ麺が置いてあった。


 そんなしょうもない夢を見たりしているうちに、完成見学会と引き渡しの日がすぐそこまでやってきていた。


「いよいよ、引っ越しだが、お前の方は大丈夫か」

 金曜の夜、万千湖は駿佑にそう問われた。

 土曜が見学会。

 日曜が引っ越しだ。

 そういえば、もうあのマンションに課長をお招きすることもないのか、と思い。

 二人で回転寿司に行ったあと、万千湖は駿佑をマンションに招いてみた。

 二人で玄関の七福神を眺め、
「なんかちょっと寂しいですね。
 歩いていけるくらい近い回転寿司も古本屋も。

 ……もう来ることないかもしれないですもんね」
としんみりする。

 そうだ。
 この七福神様も詰めないと、と手に取ったとき、駿佑が言った。

「片付け、まだ終わってないなら手伝うぞ」

「ありがとうございます。
 だいたい、ダンボールに詰めたんですけどね」

 どうぞ、と万千湖は駿佑を中に通す。

「冷蔵庫、腐らないものしかもう入ってないんですが。
 そろそろ中身抜いて、電気切っておいた方がいいですかね」

 家具も家電も最初からついているのでいらないから、売ったりあげたりして、もう処分していたが。

 冷蔵庫だけはまだ残してあったのだ。

 引っ越しの日に安江が引き取りにくることになっている。

「中身、出して詰めるのか?
 一緒にやろうか?」

 はい、ありがとうございます、と万千湖は畳んであるダンボールをひとつ持ってきた。

 駿佑がそれを組み立ててくれている間、万千湖は冷蔵庫の中のものを出していった。

 缶チューハイ。

 獺祭。

 小瓶のワイン。

 金雀。

 缶チューハイ。

 大瓶のワイン。

 神社でもらった日本酒。

 久保田。

「待て」
と駿佑が言った。

「酒ばっかりじゃないか」

「いや~、腐らないもので冷やしといた方がいいものって言うと、これくらいしか」
と万千湖は苦笑いする。

 文句を言いながらも、駿佑は一緒に酒を詰めてくれた。

「あ、課長、課長。
 最後にこの部屋で一緒に写真、撮りましょう」

 スマホをキッチンのカウンターに置いて、二人でタイマーで写真を撮る。

 日記とスケジュール帳と一緒に、スマホからすぐに焼ける小さなプリンターはまだ出してあったので、二枚焼いてみた。

 駿佑と自分の分だ。

 相変わらず無表情の駿佑と笑顔の自分。

 後ろには、引っ越してしまえば、もう二度と入ることはないだろう、この部屋が写っている。

 それを眺めながら万千湖は言った。

「アイドル辞めて、OLになって。
 いよいよ新生活だっ! って、この部屋に越してきたんですよね」

 今もあのときと同じに、また、ダンボールだらけでガランとしている。

 でも、駿佑がいた。

 あのときにはいなかった同居人が今はいる。

「課長、明日からよろしくお願いします」

「……ああ。
 ………………こちらこそ」

 こちらこそまでがすごい間があったな。

 でも、それも課長らしいな、と万千湖は笑う。

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