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イケメンさんと相席になりました
匂いを嗅いだら、もう駄目ですっ
しおりを挟むほんとうはシチューを作ろうと思っていた。
だが、その店の前を通ったとき、砂月は決めた。
今日の晩ご飯はお好み焼きとビールだと。
そのくらい強烈なソースの匂いが、この赤いのれんの向こうから漂ってきている。
砂月は慌てて部屋に戻り、小さな冷蔵庫に、今、買ってきたばかりの食材をぎゅうぎゅうと詰め込んだ。
スーパーに並ぶ野菜や肉を見たときのワクワクするようなやる気は、どうして、こうも簡単に消え失せてしまうのか。
砂月は今どき自動でない、重いガラス戸を開ける。
「あ~、砂月ちゃん。
いらっしゃい。
今、満席だよ~」
と店の奥、大きな鉄板の前でおじさんが言う。
「そうですか……」
残念無念。
もう口は完全にお好み焼きになってしまっているのにっ。
スーパーに戻ってお惣菜のお好み焼きを買ってこようか。
あの半月みたいになってるやつ。
いやいや、ここのホカホカ熱々のお好み焼きを濃厚なタレで、鉄板でじゅうじゅう言わせながら、いただきたいっ。
砂月はおじさんに向かい言った。
「あとから、また来ますよー」
そうそう。
もう、そういうことができるんだった、と思い、砂月は、にんまり笑う。
そのとき、
「あ、ここ、空きますよ~」
と声がした。
たまに見かけるサラリーマンの人が二人掛けの席から立ち上がる。
「あ、すみません~」
とおじさんは言い、そのサラリーマンの向かいで新聞を読んでいた若い男に言った。
「おにーさん、美人さんと相席いい?」
近くの席の大学生らしき男たちが、
「断るやついないよな」
と言って笑っている。
「ああ、どうぞ」
と新聞から顔を上げ、軽く男は言った。
誰と相席になろうが、どうでもよさそうだった。
だが、砂月はびっくりしていた。
男の顔が驚くくらい、繊細な感じに整っていたからだ。
おじさんが、にやにや笑いながら言う。
「砂月ちゃん、イケメンさんの前でいい?」
「だ、大丈夫です~」
大丈夫です、というのも妙な返事だが。
前に座っている人の顔が、男でも女でも、あまりに整っていると緊張して、ご飯が喉を通らなくなるのは確かなので、そう答えていた。
さっき席を立ってくれたサラリーマンがお勘定を済ませ、出て行こうとしたので、砂月はペコリと頭を下げる。
いやいや、というように彼は笑って出て行った。
家族へのお土産なのだろうか。
お持ち帰りのお好み焼きまで持っている。
いいな。
帰って、テレビでも見ながらお好み焼きで呑むのもいいよね。
でも、やはりここは、熱々のお好み焼きで、冷たいビールをぐびりとっ。
ここのお好み焼きは最高だ。
なんと言っても、大量に入っている野菜が甘く、柔らかく、しっとりしていて、噛みやすいし。
その野菜のさっぱり加減と、タレの甘辛さとの相性がバッチリで、するすると食べられる。
ちょっと緊張しながら、砂月はイケメンさんの向かいに座った。
すると、彼は早くから頼んでいたらしく、焼きそばがすぐやってきた。
ここはお好み焼きも焼きそばも奥で焼いたのを持ってきて、鉄板に載せてくれるのだ。
おうっ。
目の前にじゅうじゅうの焼きそばがっ。
しかも、イケメンさんは、おむすびと味噌汁まで注文している。
なんということっ。
砂月は苦悩する。
お好み焼きとっ。
お好み焼きと心に決めていたのにっ。
何故、この人は、目の前で、タレの焦げた香りも香ばしい焼きそばを食べるのかっ。
まるで、屋台が目の前に現れたようだった。
縁日のときめきが今っ。
こんなものを私に見せつけ、匂いを嗅がせてくるイケメンさんが憎いっ。
ちなみに、ここのお好み焼きは、関西風と広島風、両方ある。
それだけでも迷うのに、更に、この焼きそばだ。
「砂月ちゃん、なんにする?」
とおばちゃんが訊いてくる。
「お、お好み焼き、広島風。
そば入りのスペシャルで」
あいよー、とおばちゃんは去っていった。
美人……。
まあ、美人か、と思いながら、海崎高秀は目の前に座った砂月をチラと見る。
どちらかと言うと、可愛いらしい感じだが。
まあ、別に誰が前に座ろうと関係ない。
今、俺の目に映っているのは、濃いめのソースがかかり、いい具合に焼き上がっている焼きそばだけだ。
この店の前を通ったとき、強いソースの香りに惹かれた。
いつか食べに行こうと思っていて、やっと来れたのだ。
お好み焼きか焼きそばか散々迷ったが、焼きそばの方がソースを満喫できる気がして、焼きそばにした。
そばの入ったお好み焼きスペシャルも気になっていたが、これにして正解だったと思う。
高秀は陶器の皿に置かれたおむすびを見た。
おむすびは炊き立てのごはんで握られているらしく、熱々のふかふかで。
中に入っている明太子が外側だけ、ごはんの熱でちょっと白っぽくなってるのがまたいい。
そして、三角のおむすびの下の方にだけ、小さな海苔が巻いてあった。
熱でちょっとしんなりなりかけているが、まだパリパリなところもある。
米と一体化して美味しいしっとりとした部分も、ピンとしたまま、海苔本来の濃い味わいを残している部分も、どちらも味わえる。
そして、この絶妙の塩加減。
田舎のおばあちゃんが握ってくれたおむすびという感じだ。
口に入れると、吹き渡る風に稲穂が一斉に頭を下げる田んぼが浮かび、微笑む、誰のだかわからないおばあちゃんの幻が見えたが。
さっき見たところによると、握っていたのは、バイトの青年だった。
出汁の効いた味噌汁とおむすび、そして、焼きそばの組み合わせ。
我が選択に間違いなしっ、と思ったとき、目の前の『美人さん』が言った。
「お、お好み焼き、広島風。
そば入りのスペシャルで」
おい、美人っ。
迷って迷って頼まなかった、そば入りお好み焼きを俺の目の前で食べようというのかっ。
高秀はそこで目を上げ、『砂月ちゃん』と呼ばれていた女を見た。
砂月ちゃん、はビクリとし、ちょっと慌てたような顔をしたあとで、セルフサービスの水を汲みに行ってしまった。
しまった……。
なんの落ち度もない人を睨んでしまった。
申し訳ない。
もう目を合わせないようにしよう、と思いながら、高秀はよく冷えた水を飲む。
おう。
イケメンさんと目が合ってしまった。
なんて綺麗な顔をした人なんだ。
特にイケメンに興味のない私でも、あんな澄んだ綺麗な目で見つめられたら、ビクビクしてしまうではないですかっ。
砂月は高秀から視線をそらすように立ち上がり、テレビ近くにあるウォータークーラーの水を汲みに行く。
高秀は睨んでしまって申し訳ないと思っていたが。
そもそもあまり表情が顔に出ない男なので、砂月は睨まれているとは感じていなかった。
なにもせずに座ってるのもあれだから、雑誌でも見るか。
砂月は棚にあった最新号のタウン誌を手に席に戻る。
男の人だから、すぐに食べていなくなるだろうしな、と思っていたが、高秀は、念願のソース焼きそばをじっくり味わって食べていた。
お、そうだ。
焼きそばが気になって、肝心なもの頼むの忘れてた。
お好み焼きを待ちながら、ランチ特集を眺めていた砂月は顔を上げて言う。
「あ、おばちゃん、ビール生、中で」
「はいよー」
つまみになにか頼みたいところだが、ここはじっくりお好み焼きを味わいたい。
だが、お好み焼きは焼けるまでに時間がかかる。
その間、ずっと真正面から、焼きそばの香ばしい香りが漂っていた。
……くっ。
美味しそうだっ。
焼きそばの方が早かったかな、と後悔しかけたとき、ジョッキまで、キンキンに冷えたビールがやってきて、どん、と置かれた。
いやいや、そうだっ。
私の選択は間違いではないっ。
私の方が勝っているっ。
このビール様でっ。
ぐっと一息にビールを喉に流し込んだとき、高秀が言った。
「すみません、生ビール、中で」
負けたっ。
いや、負けてないっ。
お好み焼きサイコーッ、とまだ来ないので、人様のお好み焼きを眺めながら、もう一口ビールを呑んだ。
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