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探偵II
一人、殺してあげましょう
しおりを挟む朝っぱらから隙もなく整った御剣衛の顔を見ると、不快になるのは何故だろう。
男なら誰でもかもしれない。
あんな風に、自分はなれないと思うから。
律した生活をしていても、決して、彼には敵わないのだと思い知らされたばかりだ。
八代が閉めたばかりのドアの前でそんなことを考えていたとき、チャイムを鳴らす音がした。
「回覧です~」
ないだろうが、回覧っ。
このアパートは自治会に入っていない。
困った助手はドアを叩き出した。
仕方なく開けると、相変わらずの間抜け面が覗いた。
「用もないのに来るな」
「用ならありますよ。
結婚式、決行になりました」
「知ってる」
と言う自分に、
「盗聴器ですか?」
と廊下を塞ぐように立っている身体の向こうを見て、中を窺う。
「そんなことしなくても、此処は壁が薄いんだ、気をつけろ。
流行が押し入れの中で、ぶつぶつ言っているのまで聞こえてた」
あいつは早く出してよかったと思う。
きっと、あと一歩で、鬱になるところだった。
それにしても、流行が彼女の存在を知らなくて幸いだった。
あの男はよくも悪くも嘘をつけないから。
だからこその使い道もあるのだが。
一緒に動くとき、自分の相方に何も知らせないことで、こちらも何も知ってはいないと敵に思わせることができる。
今、目の前に居る彼女は、気をつけろの意味がわかっているのかいないのか。
「何処に行ってたんですか?」
と訊いてくる。
「朝食を買いにだ」
と言いながら、廊下付近で話すのもどうかと思い、仕方なく、中へと通した。
ついてきながら、彼女は、
「ああ。
さっきまで、衛さんが居たから、此処、見張ってなくてもよかったですもんね」
しれっとそう言う。
なんだか溜息をつきそうになった。
「お前の言う通り、お前は少し壊れている」
「他人から言われると、少々ムカつきますが」
彼女はあまり窓辺近くに寄らないようにしているようだった。
自分と接触しているところを警察や、まだわからない犯人に知らせたくないのだろう。
偉いな、と普段なら子供にするように褒めるところだが。
「私、だいたい記憶は戻ったんですけど」
と彼女は言い出した。
「先生に訊きたいことがあるんです。
先生が途中で、失踪されたのは何故ですか?
御剣衛とは連絡とられてたみたいですけど」
いつものように黙っていたが、彼女はしつこく自分を見つめてくる。
あまり間近に見られると、さすがに――。
彼女に背を向け、夕べ、投げ捨てた盗聴器の受信機に手を伸ばす。
「探偵をやめようかと思っていたからだ」
えっ、と彼女は声を上げた。
「御剣に頼まれた仕事だけは途中だったから、彼にだけは連絡をしていたが」
本当はその仕事からこそ、手を引きたかった。
「……先生」
と呼びかけてくるその声に、誰よりも警戒する。
彼女は探偵としての経験値が低いだけで、本当は自分よりも遥かに聡い。
「なんだかわかんないけど、やめないでください。
私、行くところなくなるじゃないですか」
そんなしょうもないことを言い出した彼女を振り向き、
「流行のところにでも行けっ」
と言う。
だが、薄情にも、いやあ、あの人はちょっと、と笑っていた。
先の見込みが薄そうだと思っているのだろう。
「だが、俺よりもあいつの方が余程、ちゃんとした探偵だ」
「何かあったんですか?
先生の自信を失わせるようなことが」
本当に何もかも見通せているわけではないのだろう。
記憶もすべては戻っていないようだし。
だが、その警戒心のない目に余計警戒してしまうのは、自分に疾しいところがあるからだ。
「秋川奏は人を殺していました。
その死体を彼女は夕べまで流行さんが隠れていた押し入れに隠していたようです。
調べてみましたが、奇麗なもんで、なんの証拠も残っていませんでした。
素人の業とは思えませんね。
ましてや、秋川奏は、その人となりを鑑みるに、とりこぼしをしないほど賢くもない」
偉い言いようだな、と思った。
「何が言いたい?」
「先生が此処に潜入してるの。
前からなんじゃないですか?
御剣絡みの話には私をあまり介入させてくれなかったから知りませんけど」
「俺が死体を始末したと?」
「衛さんか奏に頼まれて。
ああ、衛さんはないですよね。
何も知らなかったようですから」
「あの日……
奏が何かしたのはわかった。
男が奏に近づいていたようだから、気をつけてはいたんだが。
衛に報告する暇もなかった。
奏は余程、自分の正体が衛に知れることを怖れていたんだろう」
「そうですね、たぶん。
それで、衛さんから離れなきゃいけないことになるのを怖れてたんですよ。
最初は姉の復讐のために近づいたんだったんでしょうに。
皮肉なもんですよね」
と淡々と彼女は言う。
「奏は、人を殺すということが、どういうことなのかわかっていなかったのか。
かなり動転していた。
それで――」
「奏の許に行ったんですか?」
あまり思い出したくない記憶だ。
『何かあったんですか』
と最初は、何も知らない隣人を装って。
奏は何も話さなかった。
当たり前だ。
彼女に気づかれないよう、接触しないようにしていた隣人なのだから。
奏は、死体を隠した。
そのうち、腐臭がするようになった。
なんとなく、奏が哀れで、衛には黙っていた。
「それから――」
八代はそこで、言葉を止める。
「それから?」
と彼女は残酷なまでにあっさりと訊いてきた。
「死体を始末してやった」
「……でしょうね。
衛さんもそれを疑って、貴方に連絡をとってきたんじゃないですか?
なんて答えたんです?」
「何も知らないと言った」
その辺から既に問題だ、と眉をハの字にしていた。
「奏には不審に思われたんじゃないですか?」
「いや」
「なんでです?」
と窺うように彼女はこちらを見ている。
すべてを話すべきなのか。
「不自然でない程度に彼女に接触するようにして。
それから」
またそこで言葉が止まってしまう。
自分が自分を尋問するのなら、もう既に死ぬ程怪しいと思っているところだ。
言葉を選びながら言った。
「報酬を受け取ったんだ。
その代わりに死体を始末した」
「報酬?
ああ、ただで死体を始末してやるのも変だからですか?」
いや、逆だ、と思う。
あの時点まで自分は迷っていた。
死体を片付けてやるかどうか。
ベッドの上に座り、目の前に立つ、そっくりな奏の手を掴む。
同じ細さがあったが、その反応はまるで違っていた。
別人なのだから当たり前だ。
同じ顔でも。
いや――
他にも、同じものがある。
奏は自分の方から肩に手を回し、身を屈めて、口づけてきた。
離れながら、側に座り、
「貴方なら、少しは厭じゃないと思ったの」
と囁く。
「誰なら厭なんですか?」
奏は無言で何処かを指差したが、もう見てはいなかった。
一人なら殺してあげましょう、と自分は言った――。
彼女はよくわからない風な顔で、こちらを見ていた。
「ともかく、俺は探偵はもう廃業する」
と盗聴器を袋に投げ入れると、
「駄目ですって!」
と彼女はこちらの手を掴んできた。
らしくもなく、びくりとする。
その小さな顔を見下ろし、言った。
「俺は奏に訊いた。
誰か一人殺してやろうかと」
「……なんだってそんなこと」
呆れたように彼女は見る。
それには構わず続けた。
「御剣衛か、咲田馨か」
「奏は知ってたんですか?
咲田馨が生きていることを」
そう彼女は驚いた声を上げる。
「知っていたようだ。
いつ気づいたのか知らないが。
ファミレスで見たのかもしれないな。
だからこそ、奏は追いつめられていた。
ホンモノがすぐそこまで来ていることに」
彼女は唇を噛み締める。
「俺は何も出来なかっただけでなく、余計なことまでした。
依頼人の期待も裏切った」
「……奏が死んだから?」
いや、と言ったあとで、溜息をつき、
「いいから戻れ。
あまり長く此処に居るのはまずい」
と言うと、そうですね、と己れの部屋の方を見て言った。
「まあ、また来ます。
晩のおかずを作り過ぎたので、お隣さんにお裾分けに来たって設定で。
いつもコンビニで買って食べてるお隣さんが哀れで」
と余計な一言を付け加える。
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