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不思議なお客さま

貴方、なにしに此処に来ましたか

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 不思議な客が居る……と芽以は思っていた。

 静たちが帰ったあとは、普通に営業していたのだが――。

 夜、大学生風のちょっと可愛らしい顔をした男がひとりで入ってきて、奥まった席に座った。

 脇目も振らず、メニューを熟読している。

 これは余程のパクチー好きか、と思ったとき、彼はこちらを見て言った。

「すみません。
 もっともパクチーが少ないもののひとつはどれですか?」

 英語の例文か。

 私は常々、この例文が引っかかってしょうがなかったんだが、と芽以は思っていた。

 『もっとも~』と言ったら、普通、一個しかないと思うのだが。

 英語を訳すと、どうして、あんな風になってしまうのだろう。

 っていうか、この人、なにかを訳せと言われたわけでもないのに、何故、こういうしゃべり方を。

 勉強漬けの人だろうか、と思いながら、芽以はメニューを見て、即、答えた。

 前例があったからだ。

「パクチーソースをかけるものがいいと思いますよ。
 ご自分で量を調節できますし」

 圭太は、どぶどぶかけてたっけな、とぼんやり思い出しながら言うと、彼は、
「……では、まったくかけない、ということも可能なのですね」
とまるで、内緒で、よく当たるロトの番号教えます、と言ってくる人のような怪しげな顔つきとヒソヒソ声で訊いてきた。

 いや、貴方、なにしに此処に来ましたか、と思ったあとで、窓の方を振り返る。

 外の看板のパクチー専門店の文字が小さかったろうかな、と思ったのだ。

「では、この野菜とチキンのロースト、パクチーソースで」
と青年は頼んできた。

 ああ、はい、と芽以はその注文を逸人に伝えた。

「あの、あのお客さん、パクチー苦手みたいです」

 一応、逸人にそう教える。

 ちょっとパクチーの風味を薄くするとか、量を減らすとか出来るかもしれないと思ったからだ。

 逸人は厨房から、チラと彼を見、
「……わかった」
と言った。

 ――わかったようではあるが、なにも薄くしてはくれなかったが。

 このパクチーの王様は、パクチー嫌いを崖から突き落として鍛えようと言うのだろうか。

 いや、自分もパクチー嫌いのはずなのだが……。

 しかし、不思議なお客さんだな、と芽以は少し離れた位置から彼を眺めていた。

 一人で来ているのだから、みんなが行こうというので、仕方なく来た、というわけでもないだろうし。

 罰ゲームとか?

 そういえば、触りもしないのに、スマホをテーブルの上に出したままだな。

 食べるところを写真に撮ってこいと、みんなに言われたとか?
と思いながら、料理を出すと、やはり、彼はそう言ってきた。

「すみません。
 僕がパクチー食べるところを写真に撮ってくれませんか?

 お暇なときでいいですから」

 やはり罰ゲームだったか、と思いながら、芽以は微笑む。

「はい。
 わかりました。

 今、大丈夫ですよ」

 ちょうど、客はみな食べているところなので、芽以のすべきことは今はない。

 では、と青年は、チキンと野菜にパクチーソースをかけ始める。

 一度、手を止め、顔をしかめたあとで、圭太と同じように、結局、全部かけた。

 おおっ。
 それ、結構来ますよ、と思いながら、それらを口許に運ぶ彼の写真を何枚か撮った。

 すると、
「うっ」
と叫び、彼は目でなにかを探した。

 芽以にはわかる。

 トイレだ。

 自分もそうだったからだ。

「こちらですっ」
と芽以は慌ててトイレに彼を案内した。

 彼は、しばらくして、トイレから出てきた。

「すみません。
 僕、パクチー苦手で」

 ……挙動不審だったので、わかってましたよ、と微笑みながらも思っていたが、言わなかった。

「お水どうぞ」
とグラスを差し出す。

「ありがとうございます」
と言った青年の手がグラスを持つ芽以の手に触れたとき、後ろで声がした。

「芽以。
 軽々しく男と手を握り合うな」

 逸人がフライ返しを手に立っていた。

 よく光るフライ返しを見ながら、これも凶器にならなくもないな、と思う。

 新しい発見だ……。


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