昨日、あなたに恋をした

菱沼あゆ

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なんだかんだで、目が覚めたら……

相手の顔は自分を映す鏡なんですよ~

 
 今日は遅くなっちゃったな、と思いながら、日子はマンションのエレベーターに乗り込んだ。

 こちらに向かってやってくる人影がエントランスホールに見えたので、扉は開けておいた。

 だが、近くまで来たその人物に、日子は思わず、ボタンから指を離してしまう。

 あっ、しまった、と気づいて、もう一度押そうとしたとき、長い指が閉まりかけた扉を止めていた。

 ひっ、すみませんっ、と日子は固まる。

 誠孝に上から睨まれた。

「何故、いきなり閉める」

「ちっ、違いますよ~。
 沙知見さんの姿が見えたので、ちょっとビクッとしちゃって、指が離れちゃっただけですよ~」

 特にいい言い訳も思いつかずに、真実をそのまま言ってしまう。

「何故、ビクッとする」

 何故って……。

 何故でしょうね、と思いながら、日子は、

「さ、さあ?
 あ、昨日はありがとうございましたっ。

 ごちそうさまでしたっ。
 今度はぜひ、うちに……」
と言いかけ、止まる。

 うちに?
 あの、とっ散らかったうちに?

 沙知見さんを?

 いや、すでに一度来てもらってはいるのだが。

 それは酔っていたから平気だったので。
 今、正気の状態で来てくださいという勇気はない。

「い、一ヶ月後くらいに、ぜひ、うちにいらしてください」

 日子は、そう言いかえた。

「……うちでいいぞ」

 要領の悪い自分のことだ。
 沙知見さんちみたいにするには、掃除に一ヶ月はかかると踏んだのが伝わったようだ。

 そもそも、いつも帰ったら、ぱったり倒れて寝てるしな~。

 ……でも、沙知見さんも同じ条件だよね~と日子は密かに誠孝を尊敬する。



 昨日、こいつは俺の部屋が綺麗すぎて緊張すると言っていた。

 酔えなかったのは、それでだろう。

 だが、今、俺の部屋でもないのに、何故、こいつは緊張しているんだろうか。

 誠孝は日子を見下ろしながら、そんなことを考えていた。

 今も日子は話しながら、なんとなく逃げ腰だ。

 こんな緊張してるやつとエレベーターに乗ってると、なんだか落ち着かないんだが……。

 誠孝はエレベーターの中を見回してみた。

 黒と大理石風の色柄で、重厚感あるデザインのエレベーターは常にきちんと清掃されている。

 もしや、この空間が綺麗すぎているからいけないとか?

 だからって、エレベーターの中を散らかすわけにもいかないし。

 誠孝はエレベーターに鞄の中身をぶちまけるところを想像してみた。

 ……片付けが大変そうだな。

 途中から乗ってくる人がいたら迷惑だろうし。

 次に、昨日からラグに置いたままにしているリモコンをとってきて、エレベーター内に斜めに置いてみる妄想をしてみた。

 現実的でないな……。

 一回エレベーターを降りて、走って部屋まで上がり、また下りてきて飛び乗らないといけないし。

 何故俺は、鞄の中にリモコンを入れておかなかったんだ、と妙な反省をしたとき、ん? と気づいた。

 つるつるした大理石風素材の壁の下の方に、うっすら子どもの靴痕らしきものが残っている。

 汚れてるじゃないかっ、このエレベーター!

 これで日子がビクビクしなくなって、ゲームに誘ってくれたときみたいに、微笑みかけてくれるかもしれないと思った誠孝は嬉しくなり、

「これを見ろ」
とその汚れを指さしてみた。

 身を乗り出し、壁を見た日子は深く頷き、
「ゲソ痕ですね」
と言う。

 ……お前は普段、なにを見てるんだ。

「あ、いえ。
 汚れてますね」
と二時間サスペンス好きらしい日子は、慌てて言いかえる。

 どうだ、落ち着いたか? と誠孝は思っていたのだが。

 日子は、……はは、とちょっと困ったように笑って言ってきた。

「綺麗好きな人は、外でも汚れてるところみると落ち着かないんですね~」

 ……神経質なくらい綺麗好きなやつだと思われてしまったようだ。

 いや、俺は単に自分の居住空間が散らかっていると効率が悪くなるので、いつもきちんとしているだけで。

 別に潔癖症とかではないんだが、と思っていたが、なにも言えずに誠孝はエレベーターを降りた。

 じゃあ、と向かい合わせになっている部屋の前で日子が言う。

 今まで味わったことがないような微妙な気持ちで誠孝が鍵を開けていると、

「あ」
と日子が後ろで声を上げた。

「沙知見さん、スダチお好きなんですよね?
 またいただけるみたいなんで、今度、お持ちしますね」

 そう微笑み、日子は部屋に消えていった。

 仕事で対峙するときとは全然違うその顔を部屋に入っても誠孝は何度も思い返していた。

 ……仕事中は、そっちが斬りかかってくるなら、こちらも容赦はせぬ!
 みたいな顔してるからな、と誠孝は、日子が聞いていたら、

「だから、相手の顔は自分を映す鏡なんですよ~。
 沙知見さん、いつもどんな顔で我々を見下してるか、自覚あります~っ!?」
と叫んできそうなことを思っていた。


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