昨日、あなたに恋をした

菱沼あゆ

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完璧だったはずの男

犬と飼い主かな……?

 

 ついにこのときが来た……。

 土曜の朝、日子は大量のゴミ袋とビニール紐を手に、部屋の真ん中で仁王立ちになっていた。

 昨日の夜、ザックリ掃除はした。

 あとはこの、何処へどうしまったらいいのかもわからないものを捨てるか。

 何処かに突っ込むだけだ!

 何処かに……。

 雑然とした部屋を見回した日子はまだなにもしていないのに、すべてを放棄しようかと思うくらい疲れてしまう。

 仕事と同じ要領で、この量の荷物を何処かにしまったり捨てたりするのにかかる労力と時間を正確にシミュレートしてしまったからだ。

 ……未来をうれいても仕方がないと言うではないか。

 絶望の中にも光はあると言うし、
と思考がおかしな方向に壮大になりながら、黙々と片付けていたが。

 ふと見上げた窓から見えた空が青く。

 どこからか楽しげな家族の笑い声が聞こえてきたとき、張りつめていたものが、ぷつっと切れた。

 この無惨な部屋の外には素晴らしい世界があるようだ……。

 ふらふらと窓辺に行った日子の視界に近くのマンションが入った。

 あのマンション、買ってこよう。

 そして、一からやり直そう。

 いや、ここは沙知見さんや東城先輩もいる、いいマンションだから、あっちを物置にしよう、と財布をつかみそうになる。

 マンションを借りるのにまず必要なのは、財布よりも、印鑑とか住民票とかなのだが。

 そのとき、部屋のチャイムが鳴った。

 インターフォンを覗くと、誠孝だった。

「はい」
と玄関を開けて、驚かれる。

 普段は着ないジャージを着ていたからのようだった。

「どうした。
 やる気満々だな」

「はい、格好だけ」

「なにも進んでないんだろう」

「一応、片付けてはいるんですが。
 なにをどうしたらいいのかわからないんですよ。

 公式を覚えないまま数学のテストにいどんで、テストの時間中に公式を一から作っている気持ちです」

「その公式を持ってきてやったから入れろ」

 腕組みして、こちらを見ながら誠孝は言う。

 汚い部屋を見せたくないと言っていたからだろう。

 確かに彼は最強のすけっ人となるだろう……。

 だが、ボロボロに疲れながらも、まだ恥じらう心が日子にはあった。

「あ、あの、では、ちょっと目隠ししてもいいですか?」

「俺に手探りで片付けろと言うのか。
 第一、目隠し、なにでするんだ。

 タオルかなにかか、誘拐犯か。
 お前の手でするのか、その方が恥ずかしいだろうが」
と一気に畳みかけるように言われ、仕事で言い負かされるときみたいだな、と日子は思った。

「すみません。
 よろしくお願いいたします」
と観念して頭を下げる。

 よく考えたら、なんだか逆だな、と思いながら。

 沙知見さんが初めてうちに来るから、片付け、手伝ってーと、ゆーちゃんたちに言うのが普通では?

 仕事上、対立することも多いイケメン様に、
「友だちが来るから片付け手伝ってください」
というのは、おかしいのでは?

 だが、そんなことを考えている間に誠孝はもうリビングまで入ってしまっていた。

 部屋を見渡し、
「……いまどきの泥棒は、泥棒に入られたことを気づかせないらしいぞ」
と呟いている。

 おそらく、
「泥棒が入ったような惨状だな」
と言いそうになったが、最近の泥棒は散らかさないことを思い出したのだろう。

 つまり、私は泥棒以下か、と思いながら、日子は、この先はもう、ただただ沙知見さんの指示に従おう、と心を決めた。

 


「あの世にまで持っていきたいものはこの部屋の中にあるか」

「ありません」

「明日いるものはこの部屋の中にあるか」

「あります」

「では、それをつかめ」
と誠孝に言われ、日子はバッグをとり、化粧品をとり、少し考えて、明日着ていく服をとった。

「よし、それらを退けろ。
 あとはすべて捨てるくらいの気構えで行け」
と言われ、ひっ、と日子は固まる。

「あ、あさって着ていく服がありませんっ」

「よし、それを取ってこい」

 はいっ、と日子は駆け出す。

「そういえば、着て寝るものがありませんっ」

「よし、取ってこいっ」

「はいっ」

 お片付けを習う先生と生徒というより、犬と飼い主のような様相をていしてきた。

 とりあえず、一週間以内にいるものだけを別のスペースに避けたあと、物の散乱する室内を見て、誠孝は頷いた。

「何処かにしまうのは大変だからな。
 捨ててしまうのが一番早い」

 日子はゾッとした。

 普段の仕事と同じように、この人、出した言葉は必ず実行するに違いない、と思ったからだ。

「あっ、待ってくださいっ。
 ゲ、ゲーム機とソフトをっ」

 手を伸ばしかける日子を見て、あざけるように誠孝は笑う。

「お前は莫迦ばかか」

「はいっ、すみませんっ」

「ゲーム機捨てるわけないだろう。
 テレビやトイレを捨てないのと同じだ」

 ……同じですかね?

 その微妙なシゲタカお片付けルールにちょっと笑ってしまった。

 スピーディで厳格なだけではなく、少しは緩さもあるようだ。

 とホッとした日子だったが。



 ……甘かった。

 誠孝は言葉通り、日子の部屋にあったほとんどの物を分別して捨ててしまった。



 ……鬼か。




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