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恋か純愛かストーカーか
それは伝説の……
その日、ベルゼブブ新太は職場の給湯室で珈琲を淹れていた。
自家焙煎した豆を挽いて淹れる。
そして、それを本日疲れてそうな人に振る舞う。
書類とパソコンの画面を交互に見つめ、渋い顔をしていた女性社員の横にそっと置く。
「この列、なくてもいいんじゃない?」
と画面を指差し言ったあとで、別の男性社員のところに移動した。
「あっ、ありがとうございますっ、楓さんっ」
という声が後ろから聞こえてくる。
新太は、いやいや、と振り向かずに言った。
仕事で煮詰まったときなど、珈琲を淹れるのは、いい気分転換になるのだ。
新人男性社員、森下のデスクにも置くと、森下は、
「嬉しいですっ、楓さんっ。
やっと僕にも伝説の珈琲がっ」
と感涙に咽ぶ。
……伝説の珈琲?
いや、この生豆はその辺で買ってきたやつなんだが。
「すごい働いて疲れたら、楓さんの珈琲がいただけるというので、馬車馬のように働きましたっ」
と森下は叫ぶ。
淹れたついでの、ちょっとした親切のつもりだったのだが。
みんなの息抜きになるどころか、社員を倒れるまで働かせてしまう悪魔の珈琲と化していたようだ。
会社のブラック化を推し進めているような気がする、
と思いながら、新太は窓の外を眺めながら、珈琲を飲んだ。
そのとき、デスクの上にあったスマホが鳴った。
手を伸ばしてとると、日子からだった。
「インスタはじめました」
今か、と思いながら開いてみる。
皿兼カッティングボードに美しく盛られたサラダ。
鮮やかなエディブル・フラワーまで添えられている。
「……誰が作ったんだ、これ?」
シゲタカか? と芳しい珈琲を飲みながら新太が呟いていた頃、誠孝はとてつもなく焦っていた。
自動販売機の側で珈琲を飲んでいた誠孝は、スマホを見ながら渋い顔をしていた。
画面に映っているのは、見た目も鮮やかな美しいサラダ。
日子のインスタだ。
日子は変わってしまった……。
家を片付けるようになっただけではなく、自炊まではじめてしまったのだ。
しかも、仕事のようにコツコツ続けはじめたので、あっという間に、素晴らしい料理が作れるようになってしまった。
「日々の記録も兼ねて」
とはじめたインスタには、見た目素晴らしいうえに味もいい料理が並んでいる。
何故、味がいいのかを知っているかというと、この間、差し入れだとちょっとだけ煮物を持ってきてくれたからだ。
仕事の要領で料理を研究しはじめた日子は、レシピ本で完璧に学んだあと、独自にアレンジを加え始めた。
「今まで帰ってきたら、もう行き倒れて寝てましたけど。
ちょっとでも料理とかすると、いい気分転換になるって気がついたんですっ」
気がつくな。
「それもこれも沙知見さんのおかげですっ。
沙知見さんが部屋を綺麗に片付けてくださったからっ。
キッチン周りもピカピカでやる気になるし。
置いてある物が少ないから、すごく効率的に動けるんですっ」
……過去に戻って、部屋を散らかし直してきたい。
日子め、勝手に駄目人間から脱却するな。
俺がつけいる隙がなくなるだろうが。
いや、つけいりたいわけではないのだが……。
自炊をして作り置きをするようになった日子は、コンビニにも来なくなったので、コンビニでバッタリ会うこともなくなった。
近くのスーパーでも見かけない。
日子、お前は今、どこに……。
「いや、お前の部屋の前の部屋」
とベルゼブブ新太が聞いていたら、言ってきそうなことを誠孝は思う。
仕事に行くタイミングも変わったのか、ついには朝も夜も出会わなくなった。
朝、エントランスにいた東城に、
「おはよう。
日子は通ったか?」
と訊くと、
「おはようございます。
俺が交代したとき、ちょうど来ましたよ」
と言う。
そうか。
警備員だと、かなりの確率で日子に会えるんだな。
また、警備員に職業替えしようかと思ってしまった。
日子に会えない。
ただ、部屋のチャイムを鳴らせばいいだけなのに。
インスタにコメントもつけられず、いいねを押す日々。
何やってんだ、俺は。
日子のファンか!?
まったく興味のなかったインスタに登録したのも、日子のインスタを見て、いいね、を押すためだし……。
あまりに日子の顔を見ないので、いっそ、仕事でミスして、日子の会社に謝りに行きたいとまで思ってしまう。
自分の会社からの指示が悪くて、ミスを誘発させたのではと思ったときも、認めては会社のためにならないと突っぱねてきたのに。
今では、こっちのミスでないことでも、行って土下座したい気持ちになっている。
いや、やらないが……。
しまいには変更表を手に日子の許に走っていく夢を見た。
だか、走っても走っても。
バスに乗っても、船に乗っても、どうしても日子のところにたどり着けないのだ。
だんだん、日子が実在の人物ではないような気がしてきた。
だが、インスタ投稿してるな……。
いや、AIかもしれん。
それか、ネットやテレビの向こうの人なのかも。
だって、全然見ないしな。
誠孝は、ついに新聞のテレビ番組欄で『楓日子』を探してしまった。
……日子に、しばらく会えないからって、なんなんだ。
どうでもいいじゃないか。 いや、AIかもしれん。
それか、ネットやテレビの向こうの人なのかも。
だって、全然見ないしな。
誠孝は、ついに新聞のテレビ番組欄で『楓日子』を探してしまった。
……日子に、しばらく会えないからって、なんなんだ。
どうでもいいじゃないか。
もともと、仕事でちょろっと顔を合わせていただけの奴だし。
ただ、美味いものや美味い酒をご馳走すると、子どもみたいな顔で喜んだり。
俺に仕事で叩かれて、毒づいたり。
宅配便を可愛いパジャマみたいな服で取りに出ようとしてみたり。
東城にストーカーされてみたり。
男でも惚れ惚れするようなベルゼブブさんに好かれてみたりする。
……たったそれだけの奴じゃないか。
そう思いながら、日子の部屋の扉を見たとき、チン、と可愛らしい音がして、エレベーターが着いた。
「あっ、沙知見さんっ。
お疲れ様で~すっ」
と日子が現れる。
……これは夢だろうか、と思ってしまった。
日子のことを考えていた、今、このタイミングで日子が現れるとはっ、と思ってしまったが。
よく考えたら、このところずっと、日子のことを考えていた。
「最近見なかったが、元気そうだな」
「あっ、そういえば、そうですねー」
俺はお前にとっては、そういえば、最近会ってないな、くらいのものなんだな……と寂しく思ったとき、日子が笑って言ってきた。
「三日くらい会ってなかったですかね~」
……三日だったのか。
俺の体感時間では、一ヶ月くらいだったんだが。
まあよく考えれば、仕事で必ず接触があるのに、日子と一ヶ月もなんのやりとりもない、なんてこと、あるはずもなかった。
三日くらいなら、顔を合わせなかったことは今までにもあった気がする。
なんで、長く会ってない気分になったんだろうな、と思う誠孝に向かい、日子は、
「いやー、沙知見さんがインスタに、すぐ、いいねしてくださるので嬉しくてっ。
それで寝る間を惜しんで、頑張って、料理とかしてみましたっ」
と言って笑う。
日子を俺から遠ざけていたのは、俺だったのか……。
「そういえば、ちょっと変わったスーパーができたのご存知でした?」
その先の古い石の橋のとこ、と言いながら、日子はよく見る京都のブランドの柄のマイバッグから赤っぽい塩を出してきた。
「この塩、いいらしいんですよ。
この前は、バリ島の塩買ってみたんですけど」
……普段やらないやつが突然、料理をやりだすと、まず、妙なところに凝りはじめるよな、と思いながら、
「お前のお母さんは普通の塩を使ってらしたが、料理、相当美味しいじゃないか」
とつい言ってしまった。
はっとした日子が、どさり、とそのピンクの塩を落とす。
「そうですよね。
つい、材料とか器具とかに変に凝ってしまって。
最先端の調理器具が欲しいとか思っちゃってました。
料理って、そんなもんじゃないですよね」
こいつ、極端から極端に走りそうだからな。
今度は、
「材料や調理器具に頼らず、初心にかえりますっ」
とか言って、いきなり木をこすって、火起こしからはじめそうだ。
だが、なんだかんだで、日子がここまで頑張っていたのは本当だ。
あれだけ料理苦手だったのに、
と誠孝は、ようやく微笑ましく感じられるようになった。
「でも、ちょっと食べてみたいかな、その塩で作ったお前の料理」
その言葉が口から出たとき、……あ、言えた、と思った自分に気づいた。
なんだ、俺はずっとそう言いたかったのか、と思ったとき、日子が喜んだ。
「ほっ、ほんとですかっ。
私の料理を沙知見さんに食べていただくなんて恐れ多くてっ。
この間、ちょこっとだけ煮物をお持ちしましたけど。
美味しいって入ったきたのも、社交辞令かもしれないとか思っちゃってっ。
あと三千年は修行しなければ、沙知見さんには持っていってはいけないと思ってましたっ」
「……三千年か。
もう千年修行したら、中華になるな」
と言いながら、危ないところだった、と思っていた。
ここで出会わなかったら、三千年後にしか会えなかったようだ……。
「今、お時間ありますか?
沙知見さんにご馳走したいものがあるんです」
と日子とも思えないセリフを言うのを、日子と久しぶりにゆっくり過ごせそうな安堵感からか、素直に、成長したなと思って聞けた。
だが、
「あ、ちょっと足りないものがあるので、コンビニに買い足しに行ってきますねっ」
と日子が笑顔で言ってきたので、つい、
「お前、今まで、その立派なスーパーに浮気してたんだろ?
どの面下げてコンビニに行くつもりだ?」
と今までコンビニで会えなかった恨みをぶつけてしまい、
「……あなたはコンビニのなんなのですか」
と日子に言われてしまった。
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