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第一章 幽霊花魁

登楼

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 なあ、と那津は小金を手にしたまま、隆次を振り返った。

「吉原に行くにはどうしたらいい」

 目をしばたたいた隆次は、
「金を持って、徒歩か、舟で行け」
と至極当然な答えを返してきた。

 そりゃそうだ、と立ち上がろうとした那津に隆次が言う。

「そうか。
 お前は客として吉原に行ったことがないんだな。

 誰か気に入った女でも見つけたのか?」

 いや、と答えると、じゃあ、なにしに行くんだよ、という顔をする。

「桧山に会いに行く」

 そう言ったときの自分の目を見て、隆次は、……なるほど、と笑った。

 依頼が途中でぷつりと切れてしまい、納得いっていないことが伝わったようだ。

 まあ、納得がいかないのは『依頼が途中で終わったこと』だけではないのだが――。

 隆次がチラと金の包みを見る。

「だが、どのみち、そんなはした金じゃ、吉原一の花魁は買えないぞ」

 まあ、そうだろう。
 だからこそ、どうやったら、あの吉原で桧山と話すことができるのか、考えあぐねていたのだ。

 だが、そこで、
「俺が出そう」
と隆次が軽く言ってきた。

 那津は一介の町人であるはずの隆次のその言葉に驚いて彼を見上げる。

「俺が金を貸してやる。
 桧山に会ってこい」

「いや、しかし……」

 大丈夫だ、と隆次は笑った。

「金ならあるんだ。
 使う予定のなかった金がな。

 どうせ……」

 そのあとの言葉は聞き取れないほど小さかったが。

 ちょうど吹いた風に乗って那津の耳まで届いた。

「『返す』だけだしな――」




 三日後、鬼簾おにすだれの張り出した引手茶屋で、那津は桧山を待っていた。

 霧雨が降る中、傘を差した花魁道中がやってくる。

 若い者、新造、そして、禿を従えた桧山が姿を現した。

 誰もが足を止め、その美しい一団を眺めている。

 この艶やかな行列の辿り着く先は何処なのかと皆、興味津々窺っているようだった。

 まさか俺みたいな、何処かの若旦那でもない若造が呼んだとは思わないだろうな、と思いながら、那津はそんな往来の人々をぼんやり眺めていた。




 桧山たち一行が到着し、引手茶屋の二階で宴会が始まった。

 最初に店に金を預けるようになっているので、この怪しい客にも茶屋の者は親切だった。

 坊主が客として吉原には入れば、女犯の罪を犯すことになってしまうので、料理屋か船宿で坊主とはわからない格好に着替える。

 服装は変えられても、髪型は変えられないので、坊主は同じ剃髪の医者に化けるのだ。

 那津も今は、医者が着る白い羽織を着ていた。

 背後で年配の女が囁いているのが那津の耳にも届いてくる。

「ねえ、この方、医者のフリしてるけど。
 確か与力よ。

 私、昔、見たことあるわ」

 いや、人違いだ、と言おうとしたとき、別の女が口を開いた。

「そういえば、小間物屋のお糸がさっき、この方に、以前、ならず者から助けてもらったことがあるって言ってたわ」

 そう。与力だったの、となり。

 剃髪しているから、普段から変装して、何処かに潜入しているに違いない。

 やっぱり、隠密なんじゃないかとか、勝手に話が広がっていっているようだった。

 桧山にも聞こえているのか、笑いをこらえている。

 びいどろの灯籠の灯りに照らし出された桧山の白い首筋が、ぞくりとするほど艶かしく。

 側に並ぶ新造たちも美しいが、彼女の前では霞んで見えた。

 酒宴がひとしきり落ち着いた頃、那津は彼女を見つめて言った。

「……話がある」
「だと思っただんす」

 桧山は、視線で店の者たちを下がらせる。


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