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さようなら、旦那様
ただいま混乱中
しおりを挟む真珠とようやく幸せな時間を過ごしたあと。
うとうととした桔平は、いつの間にか、真珠の姿が消えていることに気がついた。
ここに運ばせていた荷物もない。
有能な秘書、侑李に電話してみる。
真珠がここにいることを独自の怪しい情報網を使って、すぐに突き止めてくれたのも侑李だからだ。
だが、侑李もさすがにここで真珠が消えるとは思っていなかったらしい。
見張っていなかったのでわからないと言う。
「なんで手に入れた途端に消えるんだっ。
手を伸ばしたら、どんどん遠ざかるっ。
あいつ、ほんとにゴミだなっ」
真珠が語っていたゴミの話を知らない侑李は、
「いや~、そこまで言わなくとも~」
と苦笑いしていたが。
そこまで言わなくとも、という言葉には、ちょっとそれに近いくらい厄介な人ですけどね、というニュアンスが含まれていた。
お前、ほんとに真珠が好きなのか……? と思ったとき、侑李がちょっと気のない声で言ってきた。
「何処行っちゃったんですかね~?
他のホテル?
それか、お友だちになったご老人の家ですかね?」
どうせ、カップルのちょっとしたイザコザなんだろう、という感じだった。
だが、桔平は、
「なんかあいつ、ものすごい勢いで遠くに逃げ去ってそうな気がするぞ……」
と怯える。
手を出そうとしただけで、このホテルまで逃げていた。
手を出したあとなら、もっととんでもない遠くまで逃げてそうな気がする、と思ったのだ。
「じゃあ、カイロとかですかね」
と言って、侑李が笑った。
「行きそびれてますからね。
笑って旅してるかもしれませんよ」
「……さすがに今、笑って旅はしてないと思うが。
カイロ行きって、今、あったか?」
そこで、ふと気づいたように侑李が言う。
「そういえば、成田直行便なら、ちょうどありますよね。
中峰さんが乗ろうとしてるやつ」
二人は沈黙した。
「真珠様、やっぱりファーストクラスに乗って直行便で日本に帰っちゃったみたいです」
しばらくして、侑李からそんな連絡が入ってきた。
「あいつ、自分で空港行って、ファーストクラスとって帰ってったのかっ」
ホテルで迷子になったり、絵本程度のアラビア語しかしゃべれない奴が生意気なっ、とよくわからない怒り方をしてしまう。
そんなに俺から逃げたかったのかとショックを受ける一方。
真珠らしい反応だな、とも思っていた。
自分を受け入れてしまったことに混乱しつつ、遠ざかっていったのだろう。
よくあいつがやる、苦笑いしながら後退していく感じだな、と思うと、腹が立ちつつも、笑ってしまう。
「真珠様、エコノミーだと、中峰さんと出会ってしまうから、ファーストクラスで帰ったんですかね?」
と侑李は言ったが、真珠が有り金はたいてファーストクラスにしたのはそれでではなかった。
真珠は完全個室のファーストクラスがある新型機で日本に向かっていた。
今、誰とも顔を合わせたくない気分だったからだ。
来るときに乗ってきた機体は、シャワーもバーラウンジもあったが、扉を閉めても上の部分が空いていた。
だが、この飛行機のファーストクラスは扉を閉めてしまえば、本当に密室になる。
真珠は混乱した頭のまま、遠ざかるドバイの街を見下ろしていた。
今日は霧もなく、こんな時間でも街は輝いている。
あの光のどれかが有坂さんがいるホテルなのか、とぼんやり思った。
あのままずっと、あの腕の中でまどろんでいれば幸せだったろうに。
でも、ちょっとショックだったから、と真珠は思う。
私、あんな簡単に男の人と関係を持ってしまうような軽い女だったのか。
「いや、なにも簡単じゃなかったが……」
それも、まともに話すようになってから、数日しか経っていない人と。
「いや、結婚してから、五年経ってるが……」
そんないちいち桔平が突っ込んできそうなことを思いながら、真珠は真っ白な布団を被る。
だが、ぎゅっと目を閉じても、砂漠で夕日を背に笑った桔平の顔が今そこにあるかのように、くっきり頭に浮かんで見えた。
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