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#1-①
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その宵は、晩秋の静けさを携えて、しかしにぎやかに彩られていた。
「アーシェン・クルート!」
宴もたけなわ、アーシェン・クルート公女主催の夜会では各々仲のいいグループで話に華を咲かせる。アーシェンが話していた輪から離れた途端、婚約者であるはずのグリア・ロゼットラス侯爵令息は声を張り上げて彼女の足を止めた。
「あら、グリア様。ごきげんよう」
「貴様との婚約を破棄させてもらう!」
両手を腰にあて、鼻の穴を膨らませながらグリアは満足そうに胸を張る。
はて、とアーシェンは思う。いつからここはマナーのない無法地帯になったのか、と。自分よりも身分の高い人には許可があるまで名乗ることはおろか、声をかけることはできない。挨拶は定型文句か、頭を下げるだけにとどめるのが貴族の暗黙の了解だ。
だというのに、公爵令嬢であるアーシェンを婚約者とはいえ侯爵令息のグリアはあろうことか引き留め、婚約破棄を宣言したのである。
「冗談はおよしになって。皆さま、お騒がせしました。…さて、宵も更けてまいりまし、」
「無視するな!」
グリアの怒声にしんとしたのも束の間、無礼者のこの男が本当に貴族なのかと会場の人は噂し、あたりはどよめいた。気にする頭もないのか、グリアは怒りに任せて言葉を続ける。
「義理の妹をいじめた悪女め! この場で自分の罪を告白するなら婚約破棄はなかったことにしてもいいぞ。さあ、罪を償え!」
「なっ…グリア様っ! なんてことを…!」
駆けてきたアーシェンの義妹、アリエルは息を切らしてグリアの前に立ちふさがった。
「何をしていらっしゃるのですか! お気は確かですか?」
「何を言う、愛しいアリエル。さあ、こっちにおいで。あんな女にいじめられてつらかったろう?」
「だからそれは…」
「アリエル。もういいわ。危ないからグリア様から離れなさい」
はい、と腰に伸びてきていたグリアの手を払い、アリエルはアーシェンの後ろに下がった。
この夜会の参列者はアリエルの成人を祝うために集まった人たちだ。そんな夜会の主催をしていることから、アーシェンがどれほど義妹のアリエルを大切に思っているか、常識のある貴族にわからないはずがない。本来、成人を祝う夜会は両親から最後に送られる夜会だ。多忙を極めるクルート公爵に準備は到底できず、アリエルの実母、アメリア夫人は貴族になって間もない。
だからとアーシェンが自ら名乗り出たのだ。クルート公爵としては浮気相手との子供の面倒を見てくれるというアーシェンのしたいようにさせるしかなかった。アーシェンと瓜ふたつのクルート公爵夫人は五年前に亡くなっている。アリエルは今年十八歳。公爵夫人が存命のうちの不貞であることは明白で、しかし何も言わないアーシェンに父親のクルート公爵は身の震えを止められないほどに家族には小心者だった。
「アーシェン! 貴様っ、何様のつもりだ! アリエル、早くその女から離れるんだ!」
「やかましい!」
普段、淑女の鏡のようなアーシェンの怒声で、会場は静まり返った。グリアは腰を抜かしてしりもちをついてしまっている。
「…お騒がせしました。今宵はアリエルの成人の祝い、皆様引き続きお楽しみください。お帰りの際にはお土産を用意させております。近くの者に声をかけてくださいませ」
大丈夫よ、とアリエルに声をかけたアーシェンは執事にグリアを連行させ、そのあとを行く。暴れまくるグリアだったが鍛え抜かれた護衛兼執事のシュートの前では、キャンキャン騒ぐ子犬も同然だった。
「お嬢様、どちらの部屋にいたしましょうか」
「そこの応接室でいいでしょう。誰かアメリア夫人を呼んできてちょうだい」
侍女のひとりが頭を下げ、列から抜ける。ソファーに腰かけたアーシェンにそっと紅茶が出された。カップを傾けて喉を潤す。慣れないことはするものではないなと喉をさすった。
「さて、グリア様。どう落とし前つけてくださいますの?」
「はあ? それはこっちのセリフだ! 俺は次期公爵だぞ! 無礼にもほどがある!」
こうも自分の行動が見えていない人が自分の婚約者であったことに悪寒が走った。いくら功臣の侯爵の息子とはいえ、アーシェンは公爵令嬢。婚約者でも礼儀のひとつはあってほしいものだ。
「はぁ…もういいですわ。シュート、書類を」
アーシェンの背後に立つシュートはさっと数枚綴りの書類を渡す。ぺらぺらと目を通し、間違いがないことを確認してアーシェンはグリアの前に置いた。
「な、んだこれは」
「婚約破棄の書類ですわ。どうぞ、こちらにサインを」
「破棄などしない!!」
「はい? かように大勢の前で破棄すると宣言なさったではありませんか。しかも、解消ではなく、破棄と。ですから事情をご存じのものと思っておりましたのに…」
「事情だと?」
「ええ」紅茶を一口飲む。「随分クルートの名前で好き勝手していたようですね」
「アーシェン・クルート!」
宴もたけなわ、アーシェン・クルート公女主催の夜会では各々仲のいいグループで話に華を咲かせる。アーシェンが話していた輪から離れた途端、婚約者であるはずのグリア・ロゼットラス侯爵令息は声を張り上げて彼女の足を止めた。
「あら、グリア様。ごきげんよう」
「貴様との婚約を破棄させてもらう!」
両手を腰にあて、鼻の穴を膨らませながらグリアは満足そうに胸を張る。
はて、とアーシェンは思う。いつからここはマナーのない無法地帯になったのか、と。自分よりも身分の高い人には許可があるまで名乗ることはおろか、声をかけることはできない。挨拶は定型文句か、頭を下げるだけにとどめるのが貴族の暗黙の了解だ。
だというのに、公爵令嬢であるアーシェンを婚約者とはいえ侯爵令息のグリアはあろうことか引き留め、婚約破棄を宣言したのである。
「冗談はおよしになって。皆さま、お騒がせしました。…さて、宵も更けてまいりまし、」
「無視するな!」
グリアの怒声にしんとしたのも束の間、無礼者のこの男が本当に貴族なのかと会場の人は噂し、あたりはどよめいた。気にする頭もないのか、グリアは怒りに任せて言葉を続ける。
「義理の妹をいじめた悪女め! この場で自分の罪を告白するなら婚約破棄はなかったことにしてもいいぞ。さあ、罪を償え!」
「なっ…グリア様っ! なんてことを…!」
駆けてきたアーシェンの義妹、アリエルは息を切らしてグリアの前に立ちふさがった。
「何をしていらっしゃるのですか! お気は確かですか?」
「何を言う、愛しいアリエル。さあ、こっちにおいで。あんな女にいじめられてつらかったろう?」
「だからそれは…」
「アリエル。もういいわ。危ないからグリア様から離れなさい」
はい、と腰に伸びてきていたグリアの手を払い、アリエルはアーシェンの後ろに下がった。
この夜会の参列者はアリエルの成人を祝うために集まった人たちだ。そんな夜会の主催をしていることから、アーシェンがどれほど義妹のアリエルを大切に思っているか、常識のある貴族にわからないはずがない。本来、成人を祝う夜会は両親から最後に送られる夜会だ。多忙を極めるクルート公爵に準備は到底できず、アリエルの実母、アメリア夫人は貴族になって間もない。
だからとアーシェンが自ら名乗り出たのだ。クルート公爵としては浮気相手との子供の面倒を見てくれるというアーシェンのしたいようにさせるしかなかった。アーシェンと瓜ふたつのクルート公爵夫人は五年前に亡くなっている。アリエルは今年十八歳。公爵夫人が存命のうちの不貞であることは明白で、しかし何も言わないアーシェンに父親のクルート公爵は身の震えを止められないほどに家族には小心者だった。
「アーシェン! 貴様っ、何様のつもりだ! アリエル、早くその女から離れるんだ!」
「やかましい!」
普段、淑女の鏡のようなアーシェンの怒声で、会場は静まり返った。グリアは腰を抜かしてしりもちをついてしまっている。
「…お騒がせしました。今宵はアリエルの成人の祝い、皆様引き続きお楽しみください。お帰りの際にはお土産を用意させております。近くの者に声をかけてくださいませ」
大丈夫よ、とアリエルに声をかけたアーシェンは執事にグリアを連行させ、そのあとを行く。暴れまくるグリアだったが鍛え抜かれた護衛兼執事のシュートの前では、キャンキャン騒ぐ子犬も同然だった。
「お嬢様、どちらの部屋にいたしましょうか」
「そこの応接室でいいでしょう。誰かアメリア夫人を呼んできてちょうだい」
侍女のひとりが頭を下げ、列から抜ける。ソファーに腰かけたアーシェンにそっと紅茶が出された。カップを傾けて喉を潤す。慣れないことはするものではないなと喉をさすった。
「さて、グリア様。どう落とし前つけてくださいますの?」
「はあ? それはこっちのセリフだ! 俺は次期公爵だぞ! 無礼にもほどがある!」
こうも自分の行動が見えていない人が自分の婚約者であったことに悪寒が走った。いくら功臣の侯爵の息子とはいえ、アーシェンは公爵令嬢。婚約者でも礼儀のひとつはあってほしいものだ。
「はぁ…もういいですわ。シュート、書類を」
アーシェンの背後に立つシュートはさっと数枚綴りの書類を渡す。ぺらぺらと目を通し、間違いがないことを確認してアーシェンはグリアの前に置いた。
「な、んだこれは」
「婚約破棄の書類ですわ。どうぞ、こちらにサインを」
「破棄などしない!!」
「はい? かように大勢の前で破棄すると宣言なさったではありませんか。しかも、解消ではなく、破棄と。ですから事情をご存じのものと思っておりましたのに…」
「事情だと?」
「ええ」紅茶を一口飲む。「随分クルートの名前で好き勝手していたようですね」
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