あなたの罪はいくつかしら?

碓氷雅

文字の大きさ
1 / 30

#1-①

しおりを挟む
 その宵は、晩秋の静けさを携えて、しかしにぎやかに彩られていた。

「アーシェン・クルート!」

 宴もたけなわ、アーシェン・クルート公女主催の夜会では各々仲のいいグループで話に華を咲かせる。アーシェンが話していた輪から離れた途端、婚約者であるはずのグリア・ロゼットラス侯爵令息は声を張り上げて彼女の足を止めた。

「あら、グリア様。ごきげんよう」
「貴様との婚約を破棄させてもらう!」

 両手を腰にあて、鼻の穴を膨らませながらグリアは満足そうに胸を張る。

 はて、とアーシェンは思う。いつからここはマナーのない無法地帯になったのか、と。自分よりも身分の高い人には許可があるまで名乗ることはおろか、声をかけることはできない。挨拶は定型文句か、頭を下げるだけにとどめるのが貴族の暗黙の了解だ。

 だというのに、公爵令嬢であるアーシェンを婚約者とはいえ侯爵令息のグリアはあろうことか引き留め、婚約破棄を宣言したのである。

「冗談はおよしになって。皆さま、お騒がせしました。…さて、宵も更けてまいりまし、」
「無視するな!」

 グリアの怒声にしんとしたのも束の間、無礼者のこの男が本当に貴族なのかと会場の人は噂し、あたりはどよめいた。気にする頭もないのか、グリアは怒りに任せて言葉を続ける。

「義理の妹をいじめた悪女め! この場で自分の罪を告白するなら婚約破棄はなかったことにしてもいいぞ。さあ、罪を償え!」
「なっ…グリア様っ! なんてことを…!」

 駆けてきたアーシェンの義妹、アリエルは息を切らしてグリアの前に立ちふさがった。

「何をしていらっしゃるのですか! お気は確かですか?」
「何を言う、愛しいアリエル。さあ、こっちにおいで。あんな女にいじめられてつらかったろう?」
「だからそれは…」
「アリエル。もういいわ。危ないからグリア様から離れなさい」

 はい、と腰に伸びてきていたグリアの手を払い、アリエルはアーシェンの後ろに下がった。

 この夜会の参列者はアリエルの成人を祝うために集まった人たちだ。そんな夜会の主催をしていることから、アーシェンがどれほど義妹のアリエルを大切に思っているか、常識のある貴族にわからないはずがない。本来、成人を祝う夜会は両親から最後に送られる夜会だ。多忙を極めるクルート公爵に準備は到底できず、アリエルの実母、アメリア夫人は貴族になって間もない。

 だからとアーシェンが自ら名乗り出たのだ。クルート公爵としては浮気相手との子供の面倒を見てくれるというアーシェンのしたいようにさせるしかなかった。アーシェンと瓜ふたつのクルート公爵夫人は五年前に亡くなっている。アリエルは今年十八歳。公爵夫人が存命のうちの不貞であることは明白で、しかし何も言わないアーシェンに父親のクルート公爵は身の震えを止められないほどに家族には小心者だった。

「アーシェン! 貴様っ、何様のつもりだ! アリエル、早くその女から離れるんだ!」
「やかましい!」

 普段、淑女の鏡のようなアーシェンの怒声で、会場は静まり返った。グリアは腰を抜かしてしりもちをついてしまっている。

「…お騒がせしました。今宵はアリエルの成人の祝い、皆様引き続きお楽しみください。お帰りの際にはお土産を用意させております。近くの者に声をかけてくださいませ」

 大丈夫よ、とアリエルに声をかけたアーシェンは執事にグリアを連行させ、そのあとを行く。暴れまくるグリアだったが鍛え抜かれた護衛兼執事のシュートの前では、キャンキャン騒ぐ子犬も同然だった。

「お嬢様、どちらの部屋にいたしましょうか」
「そこの応接室でいいでしょう。誰かアメリア夫人を呼んできてちょうだい」

 侍女のひとりが頭を下げ、列から抜ける。ソファーに腰かけたアーシェンにそっと紅茶が出された。カップを傾けて喉を潤す。慣れないことはするものではないなと喉をさすった。

「さて、グリア様。どう落とし前つけてくださいますの?」
「はあ? それはこっちのセリフだ! 俺は次期公爵だぞ! 無礼にもほどがある!」

 こうも自分の行動が見えていない人が自分の婚約者であったことに悪寒が走った。いくら功臣の侯爵の息子とはいえ、アーシェンは公爵令嬢。婚約者でも礼儀のひとつはあってほしいものだ。

「はぁ…もういいですわ。シュート、書類を」

 アーシェンの背後に立つシュートはさっと数枚綴りの書類を渡す。ぺらぺらと目を通し、間違いがないことを確認してアーシェンはグリアの前に置いた。

「な、んだこれは」
「婚約破棄の書類ですわ。どうぞ、こちらにサインを」
「破棄などしない!!」
「はい? かように大勢の前で破棄すると宣言なさったではありませんか。しかも、解消ではなく、破棄と。ですから事情をご存じのものと思っておりましたのに…」
「事情だと?」
「ええ」紅茶を一口飲む。「随分クルートの名前で好き勝手していたようですね」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

愚者(バカ)は不要ですから、お好きになさって?

海野真珠
恋愛
「ついにアレは捨てられたか」嘲笑を隠さない言葉は、一体誰が発したのか。 「救いようがないな」救う気もないが、と漏れた本音。 「早く消えればよろしいのですわ」コレでやっと解放されるのですもの。 「女神の承認が下りたか」白銀に輝く光が降り注ぐ。

第一王子は男爵令嬢にご執心なようなので、国は私と第二王子にお任せください!

黒うさぎ
恋愛
公爵令嬢であるレイシアは、第一王子であるロイスの婚約者である。 しかし、ロイスはレイシアを邪険に扱うだけでなく、男爵令嬢であるメリーに入れ込んでいた。 レイシアにとって心安らぐのは、王城の庭園で第二王子であるリンドと語らう時間だけだった。 そんなある日、ついにロイスとの関係が終わりを迎える。 「レイシア、貴様との婚約を破棄する!」 第一王子は男爵令嬢にご執心なようなので、国は私と第二王子にお任せください! 小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも投稿しています。

【本編完結】真実の愛を見つけた? では、婚約を破棄させていただきます

ハリネズミ
恋愛
「王妃は国の母です。私情に流されず、民を導かねばなりません」 「決して感情を表に出してはいけません。常に冷静で、威厳を保つのです」  シャーロット公爵家の令嬢カトリーヌは、 王太子アイクの婚約者として、幼少期から厳しい王妃教育を受けてきた。 全ては幸せな未来と、民の為―――そう自分に言い聞かせて、縛られた生活にも耐えてきた。  しかし、ある夜、アイクの突然の要求で全てが崩壊する。彼は、平民出身のメイドマーサであるを正妃にしたいと言い放った。王太子の身勝手な要求にカトリーヌは絶句する。  アイクも、マーサも、カトリーヌですらまだ知らない。この婚約の破談が、後に国を揺るがすことも、王太子がこれからどんな悲惨な運命なを辿るのかも―――

王子様、あなたの不貞を私は知っております

岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。 「私は知っております。王子様の不貞を……」 場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で? 本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。

完結 裏切りは復讐劇の始まり

音爽(ネソウ)
恋愛
良くある政略結婚、不本意なのはお互い様。 しかし、夫はそうではなく妻に対して憎悪の気持ちを抱いていた。 「お前さえいなければ!俺はもっと幸せになれるのだ」

公爵令嬢は婚約破棄に感謝した。

見丘ユタ
恋愛
卒業パーティーのさなか、公爵令嬢マリアは公爵令息フィリップに婚約破棄を言い渡された。

悪女は婚約解消を狙う

基本二度寝
恋愛
「ビリョーク様」 「ララージャ、会いたかった」 侯爵家の子息は、婚約者令嬢ではない少女との距離が近かった。 婚約者に会いに来ているはずのビリョークは、婚約者の屋敷に隠されている少女ララージャと過ごし、当の婚約者ヒルデの顔を見ぬまま帰ることはよくあった。 「ララージャ…婚約者を君に変更してもらうように、当主に話そうと思う」 ララージャは目を輝かせていた。 「ヒルデと、婚約解消を?そして、私と…?」 ビリョークはララージャを抱きしめて、力強く頷いた。

男爵令息と王子なら、どちらを選ぶ?

mios
恋愛
王家主催の夜会での王太子殿下の婚約破棄は、貴族だけでなく、平民からも注目を集めるものだった。 次期王妃と人気のあった公爵令嬢を差し置き、男爵令嬢がその地位に就くかもしれない。 周りは王太子殿下に次の相手と宣言された男爵令嬢が、本来の婚約者を選ぶか、王太子殿下の愛を受け入れるかに、興味津々だ。

処理中です...